[PC16] 先天性盲児の自己像の初期発達
療育場面の映像の質的分析から
Keywords:視覚障害児, 自己像, 質的分析
問題と目的
教育や保育における特別支援の対象に含まれる視覚障害児だが,一般には障害によって欠損を抱え込んでいるイメージで捉えられがちである(Perez- Pereira et al., 1999)。しかし伊藤(2015)も指摘するように,視覚障害は単なる欠損ではなく独特の経験として機能しているかもしれない。特に先天性の盲児は,視覚のない状態を当然のものとして育ち,周囲との相互作用のなかで自らの生きる世界を形作ると考えられる。本研究では,盲児の体験と自己像がどのような形でどのように構築されるか,質的研究の方法を用いて探索した。
事例と研究資料
Aは晴眼の両親のもとに生まれた先天性の視覚障害の女児である。1歳1ヶ月時の診断によれば,両眼ともに視神経の低形成が認められ。翌月,視覚機能の評価と療育を目的にBリハビリセンターに紹介されてきた。療育内容は,当初は行動観察のほか,触運動系による識別学習が中心だったが,少しずつ変化し,5歳時には点字学習も開始された。療育は児の6歳7ヶ月まで概ね1ヶ月おきに53回行われ,それぞれビデオ録画された。セッションはおよそ1~1.5時間で録画時間の総計は約80時間である。
分析手続き
これは,療育という自然場面の記録から盲児の体験を抽出しようとするものであり,エスノグラフィの方法を参考に,全体観察,焦点観察,選択的観察と続く一連の分析を共同で行なった(箕浦,1999)。分析の焦点は,最終的に当該盲児の生きる空間と身体に絞られた。今回は6歳4ヶ月時点の資料の分析結果を中心に報告する。
結果と考察
A児は視覚以外の感覚を利用し,ダイナミックタッチ等も介して,手の届く範囲の事物はすばやく認知し言語化できた。一方,より広い空間や純粋に視覚的な属性については,独自の体験をもち,それを自覚し始めていると考えられた。
独特な空間の広がり:6歳におけるA児は,「お勉強」のときには机を挟んでほぼ一貫して相手の方向に体と顔を向けており,他者と共同の1対1の空間を作る身体技法を身につけているようであった。その一方,「あっち」という言葉は「そっち」とあまり差異化されずに使われる傾向があり,相手の位置との関係で「こっち」「そっち」「あっち」と分節される一般的空間配置とはやや異なる世界に,自らを位置づけていることが考えられた。
相手の「見る」行為への意識:5歳頃から増えてきたのが,「見て」という相手のまなざしを意識した言動である。例えば点字の学習でリベットを用いて「ア」を作るよう言われ,それが完成すると,「ね,見て見て。C(助手の女子学生)に見せる。」と,複数の人の視線を求める発言をしている。また,「お勉強」の合間の休憩時間が終わる頃,Thrに「ねーねー見てー」と言って人形を示し,Thrから「じゃあそれやってからね」と勉強再開の延期を引き出している。ここで「見る」は「注意を向ける」くらいの意味と考えてもよいが,それは自分が行なう行為のバリエーションの外のものと考えられているように見える。なお,自分の行為として「見る」という言葉は使われていない。
相手の「見る」内容への言及:6歳時点のA児は,周りの人が口にしていると思われる視覚関連の概念についても言葉にして使い始めている。例えば,ペグ挿しの練習をしているとき,Aはその練習の内容とは全く関係ないにも関わらず,ペグについてThrに,「これ何色?」と尋ね,Thrは「緑」と答えている。また,A児の手元の箱に緑のペグがなくなったときThrが青のペグを隣の箱から移動させたのだが,そのときA児は,「何色の入れてるん?今度違うの入れてるん?」と尋ねる。もちろんA児は色を知覚した体験はもっていないのだが,それまでの大人とのやり取りのなかで,色という属性の存在とその属性に関連する事物を理解している。そして,その属性は周りの人からの言葉により認知するほかないものと考えられている。
結 語
今回取り出せたのは,視覚障害者であるというはっきりした自己語りが始まる前に,周囲の人々との体験の差異が現れそれについての意識に基づく言動が生じている様相が取り出されたということである。今後はこうした様相がいかに周囲とのやりとりのなかで生まれるのか,その関係をより明確にしていきたいと思う。
教育や保育における特別支援の対象に含まれる視覚障害児だが,一般には障害によって欠損を抱え込んでいるイメージで捉えられがちである(Perez- Pereira et al., 1999)。しかし伊藤(2015)も指摘するように,視覚障害は単なる欠損ではなく独特の経験として機能しているかもしれない。特に先天性の盲児は,視覚のない状態を当然のものとして育ち,周囲との相互作用のなかで自らの生きる世界を形作ると考えられる。本研究では,盲児の体験と自己像がどのような形でどのように構築されるか,質的研究の方法を用いて探索した。
事例と研究資料
Aは晴眼の両親のもとに生まれた先天性の視覚障害の女児である。1歳1ヶ月時の診断によれば,両眼ともに視神経の低形成が認められ。翌月,視覚機能の評価と療育を目的にBリハビリセンターに紹介されてきた。療育内容は,当初は行動観察のほか,触運動系による識別学習が中心だったが,少しずつ変化し,5歳時には点字学習も開始された。療育は児の6歳7ヶ月まで概ね1ヶ月おきに53回行われ,それぞれビデオ録画された。セッションはおよそ1~1.5時間で録画時間の総計は約80時間である。
分析手続き
これは,療育という自然場面の記録から盲児の体験を抽出しようとするものであり,エスノグラフィの方法を参考に,全体観察,焦点観察,選択的観察と続く一連の分析を共同で行なった(箕浦,1999)。分析の焦点は,最終的に当該盲児の生きる空間と身体に絞られた。今回は6歳4ヶ月時点の資料の分析結果を中心に報告する。
結果と考察
A児は視覚以外の感覚を利用し,ダイナミックタッチ等も介して,手の届く範囲の事物はすばやく認知し言語化できた。一方,より広い空間や純粋に視覚的な属性については,独自の体験をもち,それを自覚し始めていると考えられた。
独特な空間の広がり:6歳におけるA児は,「お勉強」のときには机を挟んでほぼ一貫して相手の方向に体と顔を向けており,他者と共同の1対1の空間を作る身体技法を身につけているようであった。その一方,「あっち」という言葉は「そっち」とあまり差異化されずに使われる傾向があり,相手の位置との関係で「こっち」「そっち」「あっち」と分節される一般的空間配置とはやや異なる世界に,自らを位置づけていることが考えられた。
相手の「見る」行為への意識:5歳頃から増えてきたのが,「見て」という相手のまなざしを意識した言動である。例えば点字の学習でリベットを用いて「ア」を作るよう言われ,それが完成すると,「ね,見て見て。C(助手の女子学生)に見せる。」と,複数の人の視線を求める発言をしている。また,「お勉強」の合間の休憩時間が終わる頃,Thrに「ねーねー見てー」と言って人形を示し,Thrから「じゃあそれやってからね」と勉強再開の延期を引き出している。ここで「見る」は「注意を向ける」くらいの意味と考えてもよいが,それは自分が行なう行為のバリエーションの外のものと考えられているように見える。なお,自分の行為として「見る」という言葉は使われていない。
相手の「見る」内容への言及:6歳時点のA児は,周りの人が口にしていると思われる視覚関連の概念についても言葉にして使い始めている。例えば,ペグ挿しの練習をしているとき,Aはその練習の内容とは全く関係ないにも関わらず,ペグについてThrに,「これ何色?」と尋ね,Thrは「緑」と答えている。また,A児の手元の箱に緑のペグがなくなったときThrが青のペグを隣の箱から移動させたのだが,そのときA児は,「何色の入れてるん?今度違うの入れてるん?」と尋ねる。もちろんA児は色を知覚した体験はもっていないのだが,それまでの大人とのやり取りのなかで,色という属性の存在とその属性に関連する事物を理解している。そして,その属性は周りの人からの言葉により認知するほかないものと考えられている。
結 語
今回取り出せたのは,視覚障害者であるというはっきりした自己語りが始まる前に,周囲の人々との体験の差異が現れそれについての意識に基づく言動が生じている様相が取り出されたということである。今後はこうした様相がいかに周囲とのやりとりのなかで生まれるのか,その関係をより明確にしていきたいと思う。