[JD07] バックキャスティングによる研究と教育との橋渡しの可能性
理想と現実のギャップを解消するプロセスの事例紹介
Keywords:教育実践、研究と教育、研究知見の活用
これまで,教育心理学研究において見出された知見と,実際の教育実践との間に大きなギャップがあることが度々指摘されてきた(e.g. Askell-Williams, et al., 2012)。たとえば,「自己説明が内容理解を促進する」ということは1990年ごろから指摘され(e.g. Chi, et al., 1989),多くのエビデンスが蓄積されてきたが,教育現場において当たり前に自己説明が活用されるには至っていない。その原因の一つとして,教員が日々の実践で取り入れ,効果が実感できる形で研究成果が紹介されていないという点が指摘できる(Schleicher, 2018)。研究成果である「シーズ」を,社会や現場の「ニーズ」に合わせて適応可能な形で提示することで,社会のあり方を変えていくことも,研究者の重要な役割の一つだと考えられる。本シンポジウムでは,教育心理学者が研究と教育との橋渡しの役割を果たす際の1つのアプローチとして,「バックキャスティング」に着目する。
「バックキャスティング」とは,元々は環境学分野で提唱された概念で,「未来に何が起こりそうかを考えるのではなく,どうしたら理想的な未来が得られるかを考える」(Robinson, 1990)アプローチであり,近年は政策立案やビジネスにおいても重要視されている。「バックキャスティング」を教育心理学研究と教育との橋渡しの文脈に当てはめてみると,今ある研究成果からどのような教育方法が提案できるかを考えるのではなく,教育心理学者が理想的な教育,学習者像を明確に持ち,それを実現するために研究成果をどう活用・発展させればよいかを考える,ということになるであろう。
本シンポジウムでは,バックキャスティングのアプローチで研究と教育の橋渡しの実現を試みた事例を4つ紹介する。理想と現実のギャップを解消するプロセスにおいて,どのような課題があり,それをどう解消したかを提示するとともに,バックキャスティングのアプローチが今後の教育心理学研究の広がりにつながる可能性について議論したい。
大学院における自己調整学習支援の取り組み
田中瑛津子
科学技術が急速に発展している今日,高度な専門知識を備えた人材が,アカデミアを超えて社会で活躍することが求められている。大学院教育においても,従来の専門的知識やスキルを伝達することに焦点化した教育から,専門分野を超えた汎用的なスキルも視野に入れた教育へと,質的な変換が急務となっている。
大学院生がどうやって専門分野を超えた汎用的なスキルを伸ばすことができるのかを考えた時,理想的な学習者のモデルとして「自己調整的な学習者」(Schunk & Zimmerman, 1998)が想定できる。つまり,自分に足りないスキルを自覚しスキルアップの目標を立て(予見),伸ばしたいスキルを学んだり発揮したりする機会をつくって活動し(遂行),自分の活動を振り返り次の目標設定に繋げる(自己省察)というサイクルを,自律的にまわせるような環境や仕組みを,大学院において整えることが重要であろう。
しかし,現実には,そもそも大学院生が社会で活躍するにあたりどんなスキルが求められているのかを認識できる機会がない,スキルアップの機会を見つけることができない,などの課題があった。そこで,大学院生が涵養すべきスキルをまとめたフレームワークを作成し,目標状態と自分の現状との比較をした上で大学院での学びを計画するワークショップを開発したり,学内で開催される研修やワークショップを伸ばしたいスキルから検索できる仕組みを構築した。
まだ取り組み自体が始まったばかりで,大学院生が自己調整的にスキルを学べる環境が整っているとは言えないが,これまでのプロセスと残る課題について紹介したい。
大学英語カリキュラムにおけるニーズ分析とゴール選択のあり方
シェパード クリス
バックキャスティングは,言語教育やプログラムデザインを行う際,学習者に合った明確な学習目標を決定するフレームワークを与える。本発表は,バックキャスティングの枠組みに基づき,日本での大学教育における言語教育のニーズ分析の在り方を述べる。基本的に大学の教育は,学生の将来に役に立ち,使える知識及びスキルを育むべきである。 ニーズ分析は規定のプロセスに従がって,その知識及びスキルを同定し,バックキャスティングのアプローチで教育場面において何を教えればいいかを決定する。
ニーズ分析には三つのステップがある。まずは学生自身が将来の目標状態を特定し共有する必要がある。この目標状態は,時にカリキュラムデザインの特徴を定義するときもある。たとえば,英語で大学の授業を受ける予定をしている学生が多い場合,カリキュラムはEAP(English for Academic Purposes)つまり学術英語となる。次のステップでは,その目標状態でより活躍し成功するために必要であるタスクを見分けることだ。例えば,科学や工学の研究者は,国際学会において英語のプレゼンテーションを頻繁に行う。最後に,そのタスクを完遂するために必要な言語知識及びスキルを特定する。例えば,国際学会に参加している科学者は,ポスター発表の後に質問を投げかけることが多い。質問者は疑問文を作る知識とその知識を実行させるスキルが必要である。
このようなタスクのリスト,及びそのタスクを完遂するために必要な言語的な知識やスキルのリストは,学習者のニーズである。このリストからカリキュラムゴールを選択する。
ゴールは学習者がすでに持っている知識,及びスキル,教育環境,言語教育理論に基づき決定することが望ましい。大学においてのESPカリキュラムのために行ったニーズ分析の実行,応用をバックキャスティングの例として紹介する。
「理想の授業」と「現実の実践」の往還による考える道徳授業の構築
小山義徳
道徳教育において,発表者の考える理想の授業とは「児童生徒が自ら問いを立て,その問いに基づいた議論を行い,他者の意見と自分の意見をぶつけることで,より深い考えに至るものである」と考える。しかし,現実には考えが深まる問いを児童が作るのは難しかったり,話し合いをしても考えが深まらなかったりする課題がある。本発表では,実践を繰り返す中でいかにこうした理想と現実のギャップを埋めていったかについて発表する。
本発表では「児童生徒の問いに基づいた授業」を提案する。この指導法は,1.教師が教材の解説を行い 2.児童生徒が教材を理解したことを確認する 3.児童生徒が問いを生成 4.問いに基づいた活動(話し合い,調べ学習等)の4つのステップから構成されている。このステップの中でも特に指導が難しいのが3つ目の「児童生徒が問いを生成する」ステップである。
最初に行った実践では,この4つのステップに忠実に従い道徳の授業をすすめた。しかし,その結果,児童の生成する問いの質にバラツキがあるという問題に直面した。児童の生成する問いの中には,話し合いをしても考えが深まるものが含まれていたのである。そこで,次に行った実践では,「問いの生成」のステップの前に,児童に「問いのモデル」を提示し,「問いを精査するトレーニング」を行ってから, 問いを作ってもらうことにした。その結果,児童が生成する問いの質が上がった。本発表では,このように「理想の授業」と「現実の実践」を往還することで.いかに理想を現実に近づけていったかについて発表を行う。
EFL学生の英語コミュニケーションをより効果的にする図表スキルの教授
マナロ エマニュエル
チェン オーハオ
ワン ジン
「コミュニケーション」というと,多くの人は,「言葉を書いたり話したりすること」をイメージするであろう。しかし,21世紀においては,言葉によるコミュニケーションだけでなく,記号,数式,絵,図表のような言語以外の表現形式についても効果的に活用することが求められる(National Research Council, 2012)。 なぜなら,言語情報と視覚情報の両方を適切に組み合わせたコミュニケーションは,ワーキングメモリの言語チャネルと視覚チャネルの両方が使われるため,より深い理解を促進するからである(e.g. Mayer, 2009)。しかし,図表やその他の形式の視覚表現をコミュニケーションに役に立てる方法を,学校や大学で教授されることはまれである(Manalo et al., 2013)。
目指すべきコミュニケーションスキルとは,言語と図表を効果的に使い分けられるスキルであると言える。たとえば,外国語で言葉によるコミュニケーションがそれほどうまくできない時であっても,適切な図表やイラストが描ければ,明確に意図を伝えることができる。しかし,図表を効果的に活用する方法が教えられていなければ,図表をうまく活用することは難しいと考えられる。
Manalo & Uesaka(2016)は,生徒が学習内容を説明する際の図表利用を促進するための教授法を提案している。本シンポジウムで紹介する実践研究では,外国語として英語を学ぶ中国の高校生や大学生を対象に,Manalo & Uesaka(2016)の図表利用促進の教授法を適用した授業を実施した。結果,(1) 生徒が伝達したい情報をどれだけ適切な図表で表現できるようになったかをより綿密にモニタリングする必要があること,(2) 教授された図表スキルをコミュニケーションに活用するためにはより多くの練習セッションが必要であること,がManalo & Uesaka(2016)の提案した教授法を実践で用いる際の注意点として見出された。一方で,ひとたび図表スキルが習得されれば,言葉と図表の両方を組み合わせて産出された説明の中に,学んだことに関する重要な情報をより多く表現できるようになることが明らかとなった。
「バックキャスティング」とは,元々は環境学分野で提唱された概念で,「未来に何が起こりそうかを考えるのではなく,どうしたら理想的な未来が得られるかを考える」(Robinson, 1990)アプローチであり,近年は政策立案やビジネスにおいても重要視されている。「バックキャスティング」を教育心理学研究と教育との橋渡しの文脈に当てはめてみると,今ある研究成果からどのような教育方法が提案できるかを考えるのではなく,教育心理学者が理想的な教育,学習者像を明確に持ち,それを実現するために研究成果をどう活用・発展させればよいかを考える,ということになるであろう。
本シンポジウムでは,バックキャスティングのアプローチで研究と教育の橋渡しの実現を試みた事例を4つ紹介する。理想と現実のギャップを解消するプロセスにおいて,どのような課題があり,それをどう解消したかを提示するとともに,バックキャスティングのアプローチが今後の教育心理学研究の広がりにつながる可能性について議論したい。
大学院における自己調整学習支援の取り組み
田中瑛津子
科学技術が急速に発展している今日,高度な専門知識を備えた人材が,アカデミアを超えて社会で活躍することが求められている。大学院教育においても,従来の専門的知識やスキルを伝達することに焦点化した教育から,専門分野を超えた汎用的なスキルも視野に入れた教育へと,質的な変換が急務となっている。
大学院生がどうやって専門分野を超えた汎用的なスキルを伸ばすことができるのかを考えた時,理想的な学習者のモデルとして「自己調整的な学習者」(Schunk & Zimmerman, 1998)が想定できる。つまり,自分に足りないスキルを自覚しスキルアップの目標を立て(予見),伸ばしたいスキルを学んだり発揮したりする機会をつくって活動し(遂行),自分の活動を振り返り次の目標設定に繋げる(自己省察)というサイクルを,自律的にまわせるような環境や仕組みを,大学院において整えることが重要であろう。
しかし,現実には,そもそも大学院生が社会で活躍するにあたりどんなスキルが求められているのかを認識できる機会がない,スキルアップの機会を見つけることができない,などの課題があった。そこで,大学院生が涵養すべきスキルをまとめたフレームワークを作成し,目標状態と自分の現状との比較をした上で大学院での学びを計画するワークショップを開発したり,学内で開催される研修やワークショップを伸ばしたいスキルから検索できる仕組みを構築した。
まだ取り組み自体が始まったばかりで,大学院生が自己調整的にスキルを学べる環境が整っているとは言えないが,これまでのプロセスと残る課題について紹介したい。
大学英語カリキュラムにおけるニーズ分析とゴール選択のあり方
シェパード クリス
バックキャスティングは,言語教育やプログラムデザインを行う際,学習者に合った明確な学習目標を決定するフレームワークを与える。本発表は,バックキャスティングの枠組みに基づき,日本での大学教育における言語教育のニーズ分析の在り方を述べる。基本的に大学の教育は,学生の将来に役に立ち,使える知識及びスキルを育むべきである。 ニーズ分析は規定のプロセスに従がって,その知識及びスキルを同定し,バックキャスティングのアプローチで教育場面において何を教えればいいかを決定する。
ニーズ分析には三つのステップがある。まずは学生自身が将来の目標状態を特定し共有する必要がある。この目標状態は,時にカリキュラムデザインの特徴を定義するときもある。たとえば,英語で大学の授業を受ける予定をしている学生が多い場合,カリキュラムはEAP(English for Academic Purposes)つまり学術英語となる。次のステップでは,その目標状態でより活躍し成功するために必要であるタスクを見分けることだ。例えば,科学や工学の研究者は,国際学会において英語のプレゼンテーションを頻繁に行う。最後に,そのタスクを完遂するために必要な言語知識及びスキルを特定する。例えば,国際学会に参加している科学者は,ポスター発表の後に質問を投げかけることが多い。質問者は疑問文を作る知識とその知識を実行させるスキルが必要である。
このようなタスクのリスト,及びそのタスクを完遂するために必要な言語的な知識やスキルのリストは,学習者のニーズである。このリストからカリキュラムゴールを選択する。
ゴールは学習者がすでに持っている知識,及びスキル,教育環境,言語教育理論に基づき決定することが望ましい。大学においてのESPカリキュラムのために行ったニーズ分析の実行,応用をバックキャスティングの例として紹介する。
「理想の授業」と「現実の実践」の往還による考える道徳授業の構築
小山義徳
道徳教育において,発表者の考える理想の授業とは「児童生徒が自ら問いを立て,その問いに基づいた議論を行い,他者の意見と自分の意見をぶつけることで,より深い考えに至るものである」と考える。しかし,現実には考えが深まる問いを児童が作るのは難しかったり,話し合いをしても考えが深まらなかったりする課題がある。本発表では,実践を繰り返す中でいかにこうした理想と現実のギャップを埋めていったかについて発表する。
本発表では「児童生徒の問いに基づいた授業」を提案する。この指導法は,1.教師が教材の解説を行い 2.児童生徒が教材を理解したことを確認する 3.児童生徒が問いを生成 4.問いに基づいた活動(話し合い,調べ学習等)の4つのステップから構成されている。このステップの中でも特に指導が難しいのが3つ目の「児童生徒が問いを生成する」ステップである。
最初に行った実践では,この4つのステップに忠実に従い道徳の授業をすすめた。しかし,その結果,児童の生成する問いの質にバラツキがあるという問題に直面した。児童の生成する問いの中には,話し合いをしても考えが深まるものが含まれていたのである。そこで,次に行った実践では,「問いの生成」のステップの前に,児童に「問いのモデル」を提示し,「問いを精査するトレーニング」を行ってから, 問いを作ってもらうことにした。その結果,児童が生成する問いの質が上がった。本発表では,このように「理想の授業」と「現実の実践」を往還することで.いかに理想を現実に近づけていったかについて発表を行う。
EFL学生の英語コミュニケーションをより効果的にする図表スキルの教授
マナロ エマニュエル
チェン オーハオ
ワン ジン
「コミュニケーション」というと,多くの人は,「言葉を書いたり話したりすること」をイメージするであろう。しかし,21世紀においては,言葉によるコミュニケーションだけでなく,記号,数式,絵,図表のような言語以外の表現形式についても効果的に活用することが求められる(National Research Council, 2012)。 なぜなら,言語情報と視覚情報の両方を適切に組み合わせたコミュニケーションは,ワーキングメモリの言語チャネルと視覚チャネルの両方が使われるため,より深い理解を促進するからである(e.g. Mayer, 2009)。しかし,図表やその他の形式の視覚表現をコミュニケーションに役に立てる方法を,学校や大学で教授されることはまれである(Manalo et al., 2013)。
目指すべきコミュニケーションスキルとは,言語と図表を効果的に使い分けられるスキルであると言える。たとえば,外国語で言葉によるコミュニケーションがそれほどうまくできない時であっても,適切な図表やイラストが描ければ,明確に意図を伝えることができる。しかし,図表を効果的に活用する方法が教えられていなければ,図表をうまく活用することは難しいと考えられる。
Manalo & Uesaka(2016)は,生徒が学習内容を説明する際の図表利用を促進するための教授法を提案している。本シンポジウムで紹介する実践研究では,外国語として英語を学ぶ中国の高校生や大学生を対象に,Manalo & Uesaka(2016)の図表利用促進の教授法を適用した授業を実施した。結果,(1) 生徒が伝達したい情報をどれだけ適切な図表で表現できるようになったかをより綿密にモニタリングする必要があること,(2) 教授された図表スキルをコミュニケーションに活用するためにはより多くの練習セッションが必要であること,がManalo & Uesaka(2016)の提案した教授法を実践で用いる際の注意点として見出された。一方で,ひとたび図表スキルが習得されれば,言葉と図表の両方を組み合わせて産出された説明の中に,学んだことに関する重要な情報をより多く表現できるようになることが明らかとなった。