[PC49] 関わりが困難な発達障害傾向を持つ子どもに対する教師の経験過程
キーワード:発達障害、関わり、経験過程
問題と目的
発達障害の可能性のある子ども(以下,発達障害児)は増加しており,小学校のみでは7.7%の割合になる(文部科学省,2013)。通常学級に多様な他児が在籍する状況において,教師は個別の対応に物理的制約が生じる。その中で集団適応が難しい発達障害児(DuPaul & Weyandt,2006)に対し教師は困難感を抱えながら(秋山,2004)実践に取り組んでいる。また,発達障害児の行動発現は多様で(神尾,2017)教師の経験年数により困難感が軽減するとはいえず,その関わりは年代に依拠せず困難であることが指摘されている(古井・神谷,2012)。そのため,対応が最後まで難しく年度末を迎える教師もいるだろう。そのような教師は,時間が経過した後に当時の関わり経験がその後どのように教師の中で意味づけられるのか,または維持されるのかについての検討はこれまで行われていない。そこで本研究では,発達障害児に対し年度末まで関わりが難しかった経験を持つ教師が,その後数年経過しどのような意味付けを行うのかを明らかにすることを目的とする。
方 法
研究協力者:小学校通常学級担任教師20名。分析方法:質的研究方法の中でも行為,記号,価値を時間の中で扱う発生の三層モデル(TLMG)(サトウ,2015)により行った。手続き:発達障害児との関わりに対し今までで一番で難しいと感じた事例について20名の教師から語りを得た。分析過程の最初のステップとして経過年数を基準とした分析を行った。具体的には,同時期の事例が挙げられた教師4名の語りを対象とする。
結果と考察
本研究では,語られた時期を3年前,次年度移行,現在の3つに区切り,第2層のイメージとしての記号に着目し,それを概念により説明する。なお,以下では記号を【 】,概念を〈 〉で表す。
【努力しても変わらず対応に悩む】
3年前の1年間を振り返り教師は〈関わりの難しさ(必須通過点1)〉に対し〈保護者と考え方が食い違う〉〈対応が後手に回る〉〈支援が必要な子どもが多すぎる〉等の思いを持ち〈学級が落ち着かない(社会的助勢)〉〈保護者と連携できない〉〈子どもと他児との間に入り対応に悩む〉状況だった。
【平行線をたどり疲れ果てる】
その後,〈問題が解決に向かわない〉という分岐点1に向かい,〈子どもと分かり合えない〉〈疲弊する〉〈校内体制が揃わない〉という悪循環の後〈教師としての自信の揺らぎ(分岐点2)〉,〈教師を続ける〉か〈辞める・休職する〉という選択肢が生じたが,4名とも〈教師を続ける〉選択をした。
【うまくいかないまま終わり悔いが残る】
発達障害児への対応を模索する過程で今まで以上に〈家庭環境を理解する〉こと,新たな対応を行うために〈勉強会に参加する〉こと等が語られた。その他,辛い状況において〈救われることがあって続けられる〉ことが〈子どもや保護者,同僚からの支え(社会的助勢)〉もあり1年を終えることができたことが示された。そして,学年が終了したことで責任感や心理的負担感から距離を置くこともできると考えられるが,4名の教師は〈担任を終えてからもずっと後悔する(必須通過点2)〉という関わり経験が語られた。
【新学級で新たな関わりを経験する】
新年度になり新たな学級を受け持っても教師は後悔を抱え,前年度の〈自身の関わりを省察する〉一方〈先輩の実践をみる〉ことで前年度の子どもに対してはできなかったよりよい関わりを模索し続けていることが示された。
【以前の対応を現在改めて俯瞰する】
その後,3つの学級を担任することで以前の対応を別の視点から眺め,〈発達障害児も他児も変わらず一人ひとりをよく見る〉〈教師自身が学ぶことの重要性に気づく〉ことにつながる〈自身のうまくいかなかった関わりに気づく〉様相が語られた。
総合考察
以上の結果より,教師は困難な関わりが続いた発達障害児に対して学年が終了した後も継続して後悔の念を抱き続け,その思いにより機会あるごとに当時の関わりを省察することが示された。そしてそのことが新たな気付きや学びを得る契機になっていることが示唆された。すなわち,教師の困難状況における辛さはその場限りで新学年に伴い転換されるものではなく,子どもに対する“申し訳無さ”を抱え続けることで自身が納得し新たな気付きを得るまで継続することが推察された。このような気付きを得て別の学級の子どもへの関わりに活かすことで関わりがうまくいかなかった子どもに対する罪悪感が緩和されると考えられる。
今後の課題として,教師の属性や困難状況の種類を基準とした更なる検討が求められる。
発達障害の可能性のある子ども(以下,発達障害児)は増加しており,小学校のみでは7.7%の割合になる(文部科学省,2013)。通常学級に多様な他児が在籍する状況において,教師は個別の対応に物理的制約が生じる。その中で集団適応が難しい発達障害児(DuPaul & Weyandt,2006)に対し教師は困難感を抱えながら(秋山,2004)実践に取り組んでいる。また,発達障害児の行動発現は多様で(神尾,2017)教師の経験年数により困難感が軽減するとはいえず,その関わりは年代に依拠せず困難であることが指摘されている(古井・神谷,2012)。そのため,対応が最後まで難しく年度末を迎える教師もいるだろう。そのような教師は,時間が経過した後に当時の関わり経験がその後どのように教師の中で意味づけられるのか,または維持されるのかについての検討はこれまで行われていない。そこで本研究では,発達障害児に対し年度末まで関わりが難しかった経験を持つ教師が,その後数年経過しどのような意味付けを行うのかを明らかにすることを目的とする。
方 法
研究協力者:小学校通常学級担任教師20名。分析方法:質的研究方法の中でも行為,記号,価値を時間の中で扱う発生の三層モデル(TLMG)(サトウ,2015)により行った。手続き:発達障害児との関わりに対し今までで一番で難しいと感じた事例について20名の教師から語りを得た。分析過程の最初のステップとして経過年数を基準とした分析を行った。具体的には,同時期の事例が挙げられた教師4名の語りを対象とする。
結果と考察
本研究では,語られた時期を3年前,次年度移行,現在の3つに区切り,第2層のイメージとしての記号に着目し,それを概念により説明する。なお,以下では記号を【 】,概念を〈 〉で表す。
【努力しても変わらず対応に悩む】
3年前の1年間を振り返り教師は〈関わりの難しさ(必須通過点1)〉に対し〈保護者と考え方が食い違う〉〈対応が後手に回る〉〈支援が必要な子どもが多すぎる〉等の思いを持ち〈学級が落ち着かない(社会的助勢)〉〈保護者と連携できない〉〈子どもと他児との間に入り対応に悩む〉状況だった。
【平行線をたどり疲れ果てる】
その後,〈問題が解決に向かわない〉という分岐点1に向かい,〈子どもと分かり合えない〉〈疲弊する〉〈校内体制が揃わない〉という悪循環の後〈教師としての自信の揺らぎ(分岐点2)〉,〈教師を続ける〉か〈辞める・休職する〉という選択肢が生じたが,4名とも〈教師を続ける〉選択をした。
【うまくいかないまま終わり悔いが残る】
発達障害児への対応を模索する過程で今まで以上に〈家庭環境を理解する〉こと,新たな対応を行うために〈勉強会に参加する〉こと等が語られた。その他,辛い状況において〈救われることがあって続けられる〉ことが〈子どもや保護者,同僚からの支え(社会的助勢)〉もあり1年を終えることができたことが示された。そして,学年が終了したことで責任感や心理的負担感から距離を置くこともできると考えられるが,4名の教師は〈担任を終えてからもずっと後悔する(必須通過点2)〉という関わり経験が語られた。
【新学級で新たな関わりを経験する】
新年度になり新たな学級を受け持っても教師は後悔を抱え,前年度の〈自身の関わりを省察する〉一方〈先輩の実践をみる〉ことで前年度の子どもに対してはできなかったよりよい関わりを模索し続けていることが示された。
【以前の対応を現在改めて俯瞰する】
その後,3つの学級を担任することで以前の対応を別の視点から眺め,〈発達障害児も他児も変わらず一人ひとりをよく見る〉〈教師自身が学ぶことの重要性に気づく〉ことにつながる〈自身のうまくいかなかった関わりに気づく〉様相が語られた。
総合考察
以上の結果より,教師は困難な関わりが続いた発達障害児に対して学年が終了した後も継続して後悔の念を抱き続け,その思いにより機会あるごとに当時の関わりを省察することが示された。そしてそのことが新たな気付きや学びを得る契機になっていることが示唆された。すなわち,教師の困難状況における辛さはその場限りで新学年に伴い転換されるものではなく,子どもに対する“申し訳無さ”を抱え続けることで自身が納得し新たな気付きを得るまで継続することが推察された。このような気付きを得て別の学級の子どもへの関わりに活かすことで関わりがうまくいかなかった子どもに対する罪悪感が緩和されると考えられる。
今後の課題として,教師の属性や困難状況の種類を基準とした更なる検討が求められる。