第21回日本救急看護学会学術集会

講演情報

特別RTD

[SRTD] 【日本病院会病院総合力推進委員会共催】患者にとって最善な医療の選択とは何かーパターナリズムとインフォームドコンセントを問い直すー

2019年10月5日(土) 09:00 〜 10:50 第2会場 (2F コンベンションホールB)

座長:有賀 徹(独立行政法人 労働者健康安全機構), 木澤 晃代(日本大学病院 看護部)

[SRTD1] 最善の救急医療実践に必要な倫理観~患者の権利、人の尊厳、公衆への公正

山下 智幸 (日本赤十字社医療センター 救命救急センター・救急科)

がん医療などの待機的医療では、患者自身が疾患について調べ、自分の好む医療機関を受診し、十分な説明を受け、理解が困難であれば質問し、選択肢を熟考した上で、家族と相談しつつ納得できる選択肢を自ら選ぶことができる。
しかし、救急医療では直近医療機関が選択され、十分な説明を受ける時間的余裕はない。患者自らの意識がないこともあれば、家族が同定されないこともある。仮に説明が可能でも、時間的制約は大きく、病態は複雑で、患者あるいは家族は冷静でいられず、十分な理解が得られないことも想定される。医療者と患者・家族の立場は「同一」とは程遠く、本来、インフォームドコンセントが成立するような状況ではない。

いわゆるパターナリズムは、「立場の弱い患者が強い立場の医療者に決定権を委ねた状態」とされているが、救急医療の現場はそのような状態に類似している。「同意書」がなくても輸血を行い、緊急手術に踏み切らざるを得ないこともある。患者の救命や機能予後を改善するためには「同意がなくてもやむを得ない」と、最善と考えられる医療を提供しているだろう。医療者の“倫理観”が、救急医療の実践という航海における“羅針盤”であり、悪天候や荒波とも言える同意が成立しないような困難な状況においても針路を誤らずに健康という目的地に向かうためには、歪みのない整備された羅針盤を備えておく必要がある。

救急の現場で「人の尊厳dignity」を特に重視することは有用である。患者を健康にするためにどのように行動すべきか決断する際に、常に“尊厳を保てているか”を考慮する。例えば、患者の意思に従って自殺企図を容認することはありえず、人の尊厳を保つべく治療介入をすることになる。医療介入に延命効果があったとしても、患者に苦痛を強制している場合や本人を人間として苦しめることになっているときには尊厳を損なっているとする考え方もあり、本人の人生をより豊かにできない医療介入は回避すべきと考えられつつある。WHOの健康の定義から考えれば、「肉体的physical、精神的mental及び社会的socialに完全に良好な状態a state of complete well-being」という目的地に向かって救急医療を実践していくことになる。肉体的、精神的、社会的な観点で、それぞれに関して医療介入によるメリットとデメリットを考慮し、“尊厳を保つことができるか”を基にして医療介入を実施すべきか否かを判断する必要がある。

また、病院機能の低下する夜間も実施される救急医療は、医療資源の制限下で同時に複数の患者を扱わざるを得ない。このような状況で平等に医療を投入すれば防ぎ得る死が生じるため、日常的にトリアージが実施されている。人の尊厳は一患者への医療を考える際には活用しやすいが、公衆への対応を考えると公正さすなわち「資源配分の正義justice」を加味して医療介入の是非を判断する必要がある。

当然、患者の意思や事前指示、代理人や患者の推定意思を根拠にして、直接確認できなくとも“患者が望むであろう”医療を提供することは、「患者の権利right」を守るために大切な視点である。

インフォームドコンセントだけでは対処できない救急医療の現場は、パターナリズムに類似した状況である。その中で最善の医療を実践するために、同じ船に乗る医療チームとして高い倫理観を示し続け、救急に携わる医療スタッフは常に自らの倫理観を正しく醸成していくことが大切である。当日は、倫理学の歴史に触れながらこれらについて考えてみたい。