一般社団法人日本鉱物科学会2023年年会・総会

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R1:鉱物記載・分析評価(宝石学会(日本) との共催セッション)

2023年9月15日(金) 12:00 〜 14:00 83G,H,J (杉本キャンパス)

12:00 〜 14:00

[R1P-05] イラク北東部ヤシン・テペ遺跡出土の青銅腐食片の鉱物学的・化学的特徴

*黒澤 正紀1、池端 慶1、西山 伸一2 (1. 筑波大・生命環境、2. 中部大・人間力創成)

キーワード:青銅器、腐食、化学分析、銅同位体、新アッシリア

考古学遺物としての金属器は、完成までに多くの知識・技術・組織的作業を必要とするため、組織・化学組成・同位体などの分析を通じて、多様な情報が抽出できる重要な資料となっている。非常に貴重なため、微小部分を切り出して分析されることが多いが、破壊分析は困難な場合が多い。また、多くの金属器は土中に埋没している間に腐食されるため、その影響が少ない部分を局所的に分析する必要がある。但し、サイズの小さい遺物では、腐食が進行して断片状に分解し、さらに土中に金属成分として溶け込む場合も多い。従来、そうした腐食分解物は廃棄され、研究対象とされなかったが、それらも有用な情報を持っている可能性が高い。実際、完全に腐食・溶解して土中に染み込んだ状態でも、溶存した金属成分から元の金属器の情報が得られた例がある。そのため、金属の腐食断片からも元の金属器の情報が復元できれば、従来手法では金属情報が得られない遺跡からも情報が得られる可能性があり、さらに、破壊分析を通じた詳細な解析も可能となる。そこで、今回は、イラク北東部のヤシン・テペ遺跡出土の青銅腐食片を分析し、元の青銅器の化学的特徴について解読することを試みた。  
 ヤシン・テペ遺跡は、イラク共和国スレイマニヤ県にある新アッシリア帝国(911 BC~609 BC)の都市遺跡である。当時の帝国の東端に位置し、規模が大きいことから当時の主要都市の一つとされている。この遺跡は、2015年から中部大学を中心とした組織により発掘調査がなされ、2017年には紀元前8〜前7世紀頃の貴重な未盗掘墓が発見された。墓室内部には、土器製の棺が置かれ、その中に4体の人骨と、金製品・銀製品・ビーズ・ガラス製品・土器・多数の青銅製品が副葬されていた。今回、中部大学ヤシン・テペ考古学プロジェクトの了承とイラクのスレイマニヤ文化財局の許可を得て、棺内部の底に堆積した残渣物を調べた結果、遺骸に由来した骨片を主とする残渣物の隙間に、大きさ1 mm~数十ミクロンの微細青銅腐食片を発見した。この微細片は、副葬された青銅器の腐食片と考えられる。今回は、この微細腐食片について、SEM-EDSによる組織観察・組成分析、顕微ラマン分光法による分析、ICP-MSによる不純物分析、MC-ICP-MSによる銅の同位体分析を行った。  
 観察・分析の結果、この微細青銅腐食片は、表面が孔雀石等の銅炭酸塩に覆われ、その内側に少量の銅硫酸塩と微小粒状の鉛塩化物を時々挟み、中心部に錫–銅合金が存在していた。錫–銅合金には、腐食の過程で分離した微小な純銅部分がパッチ状に存在し、そのため、純銅付近の錫–銅合金の錫濃度は相対的に大きく上昇していた。また、腐食の進行によって、鉛を含む青銅から鉛が塩化物の形で分離することが分かった。つまり、錫濃度が相対的に低く、かつ鉛の分離も少ない錫–銅合金部分が、元の青銅器の化学組成に近いということが示された。そこで、腐食の少ない青銅部分を分析した結果、腐食する前の青銅製品の化学組成は、93 wt.% のCu, 6 wt.%の Sn, 1 wt. %の Pbと推定された。この組成は、ほぼ同時期の新アッシリア帝国中心部のNimrud 遺跡から出土した青銅器の組成とほぼ同じであった。つまり、中心部から200㎞程離れたヤシン・テペでも中心部と変わらない組成の青銅製品が副葬されており、ヤシン・テペと中央との交流や結び付きが示唆された。 また、10個の微細青銅腐食片をバルクで組成分析した結果、ほぼ青銅合金と銅炭酸塩の混合物であることが確認され、その他に骨片や銀製品腐食物なども数%~60%ほど付着していることが分かった。組成的には、青銅器の成分以外に、数~18 wt%のCa、数百~数千ppmのMg・Al・Fe・Ag・Sr・Znも検出された。Agは副葬された銀製品に由来した可能性があり、その他は骨片に由来した可能性が高い。青銅原料の不純物に由来するとされるAs, Sb, Ni, Ag, Biなどは、Agを除くとほぼ認められず、非常に純粋な銅を原料としたことが示唆された。さらに、これらの銅同位体比を測定した結果、δ65Cuの値は‒0.83‰~0.57‰であった。測定値が狭い範囲に集中するので、元の青銅器に使用された銅素材の同位体比が比較的均一なことが示唆された。測定値は、マグマ起源の初生硫化物の同位体比とされる0±1‰の範囲に相当するため、元の青銅製品は、鉱床深部に存在する黄銅鉱などの鉱石を原料とした可能性が高い。この値は、大規模に銅を生産したキプロス・ヨルダンなどの鉱石およびその周辺遺跡からの銅インゴット、後期青銅器時代から鉄器時代の各遺跡から得られた銅製品の値と同じで、西アジア地域全体の金属利用の潮流と調和的な青銅品であることが分かった。