一般社団法人日本鉱物科学会2024年年会・総会

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R1:鉱物記載・分析評価(宝石学会(日本) との共催セッション)

2024年9月12日(木) 12:30 〜 14:00 エントランスホール (東山キャンパス)

12:30 〜 14:00

[R1-P-04] イラク北東部ヤシン・テペ遺跡出土の金属製錬スラグの鉱物学的特徴

*黒澤 正紀1、西山 伸一2 (1. 筑波大・生命環境、2. 中部大・人間力創成)

キーワード:スラグ、鉄製錬、鉄器、SEM-EDS、ヤシン・テペ

金属器は、完成までに多くの知識・技術・連携作業を必要とするため、化学組成・組織・同位体等の分析を通じ、多様な情報が抽出できる重要な考古学的資料となっている。しかし、金属器は土中で非常に腐食しやすく、大半の情報を失っていることが多い。これに対し、金属製錬の過程で副産物として排出されるスラグは、微小な金属を含むが、大半はケイ酸塩や酸化物からなるため、腐食に強く、様々な技術レベルの情報を保存することができる。また、腐食した金属器の断片情報と合わせると、人類の金属利用の状況を相当程度まで復元することが可能となる。そのため、金属製錬が本格化する青銅器時代以降の遺跡の研究では、金属器と合わせてスラグを調査・研究することが、考古科学の潮流となっている。 
 但し、スラグには金属・ガラス・析出鉱物の三相が混合しており、その解析には三相に記録された微小組織や微小構造・微小部分組成の分析と解析が必須となる。その様な物質化学的情報と研究手法は、自然金属・天然ガラス・天然鉱物・合成鉱物の研究を通じ、鉱物学に集中的に蓄積されている。そのため、古代スラグの研究では、鉱物学の立場から主に研究が進められてきた。今回は、人類史初期の鉄利用を検討する上で重要な、前期鉄器時代末頃のヤシン・テペ遺跡から出土した製鉄スラグについて、鉱物学的な検討を試みた。 
 ヤシン・テペ遺跡は、イラク北部スレイマニヤ県にある新アッシリア帝国(911 BC~609 BC)の都市遺跡で、帝国の東端に位置する主要都市の址の一つとされている。この遺跡は、2015年から中部大学による発掘調査が開始され、紀元前8〜前7世紀頃の貴重な未盗掘墓も発見されている。未盗掘墓では、遺骸が納められた土器製の棺と、金製品・銀製品・ビーズ・ガラス製品・土器・多数の青銅製品・鉄製品の副葬品が見いだされた。副葬品は青銅製品が多く、鉄製品が少ないことから、鉄器利用の普及途上の状況だったと考えられる。この時期は、西アジアでは鉄製品の本格生産と鋼の生産開始の時期の前後に当たり、農具や武器への鋼の利用が地域の人口増加と国家の武力統一に直接関係するため、当時の鉄生産の状況や技術レベルの検討が重要となっている。また、遺跡からは製鉄スラグも発見され、鉄生産関連の遺物が非常に少ないこの時代の遺跡として重要な位置を占めている。元々、新アッシリア帝国は、周辺諸国の征服・領地拡大のために鉄需要が旺盛であり、それを賄うために帝国に服属した辺境地での鉄の生産・貢納が盛んだったとされる。実際、帝国の西側の辺境地に当たるイスラエル付近の遺跡からは、比較的豊富なスラグの出土が認められ、鉄生産の状況がよく把握されているが、東側の辺境地では産出が少なく研究がなされていない。そこで、今回、中部大学ヤシン・テペ考古学プロジェクトの了承とイラクのスレイマニヤ文化財局の許可を得て、帝国東側の辺境地域に当たるヤシン・テペ遺跡のスラグおよび鉄腐食物の組織・構成物質・化学組成をSEM-EDSを用いて分析した。
 分析の結果、薄緑色のスラグと黒色の製鉄スラグの2種類のスラグが確認され、両者ともに表面は薄い変質した被膜で覆われていた。薄緑色スラグは、内部が薄緑色ガラス質で、Ca-Al珪酸塩ガラスと普通輝石の析出結晶から主に構成されており、スラグ中には溶融反応途中の石灰石の微小片も含まれていた。このスラグには金属粒子・硫化物が含まれておらず、鉄製錬との関係は現在検討中である。青銅生産に関連した銅製錬では、類似のスラグが時々見つかっている。製鉄スラグは、内部が黒色亜金属光沢で、ウスタイトとCa-Al珪酸塩ガラス、Ca-Al珪酸塩鉱物の析出物で構成されており、反応途中の石灰石の微小片も含まれていた。また、そのCa-Al珪酸塩は1200~1300℃で析出したものであることが示された。遺跡周辺は石灰石の利用が容易な環境であることから、石灰石が鉱石の溶融と不純物を除去する補助剤(フラックス材料・造滓剤)として利用されたと考えられる。石灰石の混入によって生じるCaOに富むスラグは、高純度の鉄の生産に好都合なスラグ組成であるため、東側の辺境地域では高品質の鉄生産が行われていたことが示唆された。また、腐食した鉄器は、鉄水酸化物と少量の鉄酸化物からなり、ほぼ完全に腐食していた。但し、一部に微小な金属鉄の残存物が認められ、その金属鉄は不純物が非常に少ない高品質の鉄であった。以上のことから、イラク北東部では、紀元前800年頃から造滓剤として石灰石を利用し、高温を利用した高い製錬技術で、不純物の少ない鉄を生産していた可能性が示された。