18:15 〜 19:30
[HDS29-P04] 関東山地南部・保之瀬天平における更新世後期以降の山体重力変形
キーワード:四万十帯, 線状凹地, トップリング, バックリング, テフラ, 14C年代
【目的・方法】 近年,山体の重力変形とそれによる地形(線状凹地,重力性低崖等)が,大規模崩壊の前兆現象としてとらえられている.重力変形の実態やその発達過程,関連した地形の特性を解明することは,山地地形学・山地防災学の双方に重要である.従来,これらの地形や変形現象の研究は堆積岩地域で主に行われてきたが,四万十帯に属する多摩川上流では皆無に等しかった.本研究では,多摩川上流地域(四万十帯)の保之瀬天平において,地形図の読図と空中写真判読にもとづき重力変形地形・変形現象を対象とした地形学図を作成し,踏査(露頭記載,簡易測量等)や試錐掘削(テフラと14C年代試料の採取)を行った.
【調査地域】 多摩川上流地域では標高1000 m以上の山地が卓越する.保之瀬天平(1118 m)は,山梨県丹波山村の多摩川・後山川に挟まれて存在する東西性の幅広の稜線をさし,その頂部や側方の谷壁斜面に線状凹地や段状の地形が発達する.地質は四万十帯小河内層群倉掛層(砂岩,黒色頁岩及び砂岩頁岩互層)と同層群大成層(砂岩,砂岩頁岩互層及び砂岩頁岩互層)からなる.それらは北北西-西北西の一般走向をもち,北へ60°-80°傾く.
【結果・考察】 保之瀬天平の稜線とその北東側の谷壁斜面には,稜線の走向と並行な線状凹地や,遷急線・遷緩線の組み合わせからなる段状地形が発達する.これは基盤岩の一般走向ともほぼ一致する.基盤岩の層理面・劈開面はN30°-70°W・60°-80°Nと,N25°-75°W・45°-80°Sの2群に大別される.前者は節理の少ない堅固な基盤岩で得られた.一方,後者は線状凹地や段状地形などの地形が発達する稜線下方の谷壁斜面で得られた.このような基盤岩では層理面・劈開面に沿った開口割れ目の発達や岩盤のトップリング(転倒)・バックリング(座屈)が起きている.この他,線状凹地や低崖の発達過程を検討するため,線状凹地の2地点(P1,P2)で試錐掘削した.P1は565 cmまで掘進した.0-66 cmはクロボク土層で,その下位の全層がローム質褐色土層だった.また,コアの全層にわたり土層の乱れや礫の混入がない.64 cm付近から約4.1-4.3 cal kaが得られ,153 cm付近から姶良Tnテフラ(AT,30 ka)が発見された.したがって,P1ではAT降下期には堆積場としての凹地が準備されており,その後も滑落崖の成長を伴うような顕著な地形変化はなかったと考えられる.一方,P2は795 cmまで掘進した.0-162 cmがクロボク土層で,その下位の全層がローム質褐色土層だった.このうち,0-110 cmと790 cm以深で砂岩礫が挟まれ,625 cm以深で地下水の浸潤を認めた.162 cmの土層から9.5-9.8 cal kaが,176 cmの土層から6.9-7.2 cal kaが得られた.また325 cmからATが,709 cmから御岳伊那テフラ(On-In,93 ka)が検出された.このことから,P2における堆積場の形成は古く,On-In降下期には凹地が生じていたと推定される.つまり,最終氷期の初期までには重力変形の進行によって線状凹地が形成されていたが,その後は土層への礫の混入が再び始まる約7 cal ka(14C年代とテフラ年代から計算した堆積速度に基づくP2の110 cm深の年代)まで,地表付近の攪乱を起こすような顕著な地形変化は生じなかった.P2付近では,線状凹地の形成にあずかる稜線部の正断層に沿って,山体の一部が完新世前半に再滑動した可能性がある.なお,線状凹地の埋積物から発見されたテフラとしては,紀伊山地における鬼界葛原とならび,本事例のOn-Inは日本でも古い部類にあたる.
(本研究は平成25年度とうきゅう環境財団の助成を受けた.(株)ジオアクトの安達 寛氏にはボーリング掘削に関する技術的助言をいただいた.)
【調査地域】 多摩川上流地域では標高1000 m以上の山地が卓越する.保之瀬天平(1118 m)は,山梨県丹波山村の多摩川・後山川に挟まれて存在する東西性の幅広の稜線をさし,その頂部や側方の谷壁斜面に線状凹地や段状の地形が発達する.地質は四万十帯小河内層群倉掛層(砂岩,黒色頁岩及び砂岩頁岩互層)と同層群大成層(砂岩,砂岩頁岩互層及び砂岩頁岩互層)からなる.それらは北北西-西北西の一般走向をもち,北へ60°-80°傾く.
【結果・考察】 保之瀬天平の稜線とその北東側の谷壁斜面には,稜線の走向と並行な線状凹地や,遷急線・遷緩線の組み合わせからなる段状地形が発達する.これは基盤岩の一般走向ともほぼ一致する.基盤岩の層理面・劈開面はN30°-70°W・60°-80°Nと,N25°-75°W・45°-80°Sの2群に大別される.前者は節理の少ない堅固な基盤岩で得られた.一方,後者は線状凹地や段状地形などの地形が発達する稜線下方の谷壁斜面で得られた.このような基盤岩では層理面・劈開面に沿った開口割れ目の発達や岩盤のトップリング(転倒)・バックリング(座屈)が起きている.この他,線状凹地や低崖の発達過程を検討するため,線状凹地の2地点(P1,P2)で試錐掘削した.P1は565 cmまで掘進した.0-66 cmはクロボク土層で,その下位の全層がローム質褐色土層だった.また,コアの全層にわたり土層の乱れや礫の混入がない.64 cm付近から約4.1-4.3 cal kaが得られ,153 cm付近から姶良Tnテフラ(AT,30 ka)が発見された.したがって,P1ではAT降下期には堆積場としての凹地が準備されており,その後も滑落崖の成長を伴うような顕著な地形変化はなかったと考えられる.一方,P2は795 cmまで掘進した.0-162 cmがクロボク土層で,その下位の全層がローム質褐色土層だった.このうち,0-110 cmと790 cm以深で砂岩礫が挟まれ,625 cm以深で地下水の浸潤を認めた.162 cmの土層から9.5-9.8 cal kaが,176 cmの土層から6.9-7.2 cal kaが得られた.また325 cmからATが,709 cmから御岳伊那テフラ(On-In,93 ka)が検出された.このことから,P2における堆積場の形成は古く,On-In降下期には凹地が生じていたと推定される.つまり,最終氷期の初期までには重力変形の進行によって線状凹地が形成されていたが,その後は土層への礫の混入が再び始まる約7 cal ka(14C年代とテフラ年代から計算した堆積速度に基づくP2の110 cm深の年代)まで,地表付近の攪乱を起こすような顕著な地形変化は生じなかった.P2付近では,線状凹地の形成にあずかる稜線部の正断層に沿って,山体の一部が完新世前半に再滑動した可能性がある.なお,線状凹地の埋積物から発見されたテフラとしては,紀伊山地における鬼界葛原とならび,本事例のOn-Inは日本でも古い部類にあたる.
(本研究は平成25年度とうきゅう環境財団の助成を受けた.(株)ジオアクトの安達 寛氏にはボーリング掘削に関する技術的助言をいただいた.)