18:15 〜 19:30
[HGG01-P06] 立ち入り制限のある空間における自然の享受:眺望による仮想的なふれあいイメージ
キーワード:立ち入り制限, 自然の享受, 親水象徴, アフォーダンス
はじめに
都市は、緑、水、生物相等の自然要素が確保される空間が少ない。それゆえか都市においては、自然要素が環境評価を高める存在となる。
しかし、人間の存在は、野生生物の生息に対して干渉することも多く、自然の回復や創出に対する妨げとなる。都市という限られた空間内に自然を確保し、なおかつ人々の利用を制限した公の空間を計画することは困難なことから、実際には、自然度の高い環境が存在する空間は、人の立ち入り制限のある非公式の緑地であることも多い。
例えば、都市域の雨水専用調整池は、コンクリート面で囲まれ、金網フェンスで仕切られた人の立ち入りがない空間であるが、そこに植生が侵入し多種の生物が回復している事例も観察される。つまり、人工的基盤として設置された空間の一例であり、自然の確保が計画された環境ではないものの、飼い慣らされていない自然が創出した非公式の緑地とみることができる。この空間は立ち入り禁止であるが、透視性のフェンスで囲まれるなど見通しが確保される場合、周囲の場との高低差によっては内部空間を外側から眺めることができる。したがって、空間内部に創出した自然を「眺める」という行為によって、人々は自然を享受することが可能となる一方で、「触れる」という知覚の点では享受が不可能と言える。人と自然との関係では干渉が生じるため、都市において人々が自然を享受するためのひとつの方策として、眺望のみを許可した利用制限が必要と考えられる。
それでは、人々は、飼い慣らされていない自然度の高い環境を眺望により享受することに関して、どのような印象を持ち得るだろうか。
本研究では、雨水専用調整池を事例として、空間内に繁茂した緑の状態に対する周辺住民の印象を調べ、飼い慣らされていない自然の存在する環境が、景観として美的価値を獲得するかを検討する。
また、環境が知覚者に提供する行動の予見性(アフォーダンス)について、河川の「飛び石」と呼ばれる河床に配置された親水機能を持つコンクリートブロックの存在を事例に、水辺との仮想的な触れ合いについて検討する。これは、見るという行為より環境内に入り込むイメージが想起されることが、立ち入りが制限される空間において自然享受を促す可能性につながるかを検討するためである。
以上より、立ち入りが制限された非公式の緑地において、眺望により自然を享受し得る可能性を考察する。
研究方法
アンケート調査①:
都市域の非公式の緑地として、東京都郊外における雨水専用調整池108箇所を対象とした。形状、大きさ、立地場所や周辺環境等を踏まえ、眺望空間や景観美の対象となり得る可能性を検討する。また、調整池3箇所の周辺の居住者を対象に、調整池の環境や景観に関する意識調査を行った。アンケートの回答者88名の集計結果より、各項目間の関係を相関分析により検討する。
アンケート調査②:
京都市の中心市街地を流れる鴨川において、河床に配置された飛び石を対象とし、水辺との触れ合いを誘発させる親水象徴について検討した。大学生175名を対象としたアンケート調査を行い、飛び石から受ける印象や想像されるイメージについて自由記述を得た。回答のテキストデータを分解しその構造を数量的に解析するテキストマイニングにより分析した。
結果・考察
雨水専用調整池は、凹型の形状が多く、オープンスペースとして眺望が確保されることから、緑などの確保される場所では眺望景観の対象として評価が高まる可能性がある。また、人工的な構造物が基盤であることから、テクノスケープとしての景観評価を得る可能性があり、人工と自然の対比といったコントラストが美的評価をもたらす可能性が示唆される。また、植生の遷移などうつろいの景観として美的価値を持ち得る可能性がある。ただし、周辺住民の意識調査では、自然の持つ野性的な荒々しさと美意識とのかかわりが見られず、手入れがされていると感じられる緑ほど、美しさの評価を高める傾向が示された。
また、河川に設置された飛び石に対するイメージより、行動の予見性を検討した結果、次のことが示された。飛び石は、渡るという身体行動や水辺で遊ぶ行動のイメージを誘発し、水とのふれあいを想像するきかっけとなる。したがって、環境の状態をアフォードする象徴の設置は、仮想的に環境にふれあうリアリティを高める装置として機能する。立ち入り禁止の緑地等において、眺望を確保し自然とのふれあいを想起させる象徴の存在は、自然を享受できるという面において景観評価を高める可能性がある。
自然の享受は都市における主要な環境評価基準であり、自然要素と触れあう行動のイメージは身体という共通性を持つため、自然とのふれあいの象徴に基づく景観評価は、文化や地域性による差異の少ない国際的な評価基準のひとつとして機能し得ると期待される。
都市は、緑、水、生物相等の自然要素が確保される空間が少ない。それゆえか都市においては、自然要素が環境評価を高める存在となる。
しかし、人間の存在は、野生生物の生息に対して干渉することも多く、自然の回復や創出に対する妨げとなる。都市という限られた空間内に自然を確保し、なおかつ人々の利用を制限した公の空間を計画することは困難なことから、実際には、自然度の高い環境が存在する空間は、人の立ち入り制限のある非公式の緑地であることも多い。
例えば、都市域の雨水専用調整池は、コンクリート面で囲まれ、金網フェンスで仕切られた人の立ち入りがない空間であるが、そこに植生が侵入し多種の生物が回復している事例も観察される。つまり、人工的基盤として設置された空間の一例であり、自然の確保が計画された環境ではないものの、飼い慣らされていない自然が創出した非公式の緑地とみることができる。この空間は立ち入り禁止であるが、透視性のフェンスで囲まれるなど見通しが確保される場合、周囲の場との高低差によっては内部空間を外側から眺めることができる。したがって、空間内部に創出した自然を「眺める」という行為によって、人々は自然を享受することが可能となる一方で、「触れる」という知覚の点では享受が不可能と言える。人と自然との関係では干渉が生じるため、都市において人々が自然を享受するためのひとつの方策として、眺望のみを許可した利用制限が必要と考えられる。
それでは、人々は、飼い慣らされていない自然度の高い環境を眺望により享受することに関して、どのような印象を持ち得るだろうか。
本研究では、雨水専用調整池を事例として、空間内に繁茂した緑の状態に対する周辺住民の印象を調べ、飼い慣らされていない自然の存在する環境が、景観として美的価値を獲得するかを検討する。
また、環境が知覚者に提供する行動の予見性(アフォーダンス)について、河川の「飛び石」と呼ばれる河床に配置された親水機能を持つコンクリートブロックの存在を事例に、水辺との仮想的な触れ合いについて検討する。これは、見るという行為より環境内に入り込むイメージが想起されることが、立ち入りが制限される空間において自然享受を促す可能性につながるかを検討するためである。
以上より、立ち入りが制限された非公式の緑地において、眺望により自然を享受し得る可能性を考察する。
研究方法
アンケート調査①:
都市域の非公式の緑地として、東京都郊外における雨水専用調整池108箇所を対象とした。形状、大きさ、立地場所や周辺環境等を踏まえ、眺望空間や景観美の対象となり得る可能性を検討する。また、調整池3箇所の周辺の居住者を対象に、調整池の環境や景観に関する意識調査を行った。アンケートの回答者88名の集計結果より、各項目間の関係を相関分析により検討する。
アンケート調査②:
京都市の中心市街地を流れる鴨川において、河床に配置された飛び石を対象とし、水辺との触れ合いを誘発させる親水象徴について検討した。大学生175名を対象としたアンケート調査を行い、飛び石から受ける印象や想像されるイメージについて自由記述を得た。回答のテキストデータを分解しその構造を数量的に解析するテキストマイニングにより分析した。
結果・考察
雨水専用調整池は、凹型の形状が多く、オープンスペースとして眺望が確保されることから、緑などの確保される場所では眺望景観の対象として評価が高まる可能性がある。また、人工的な構造物が基盤であることから、テクノスケープとしての景観評価を得る可能性があり、人工と自然の対比といったコントラストが美的評価をもたらす可能性が示唆される。また、植生の遷移などうつろいの景観として美的価値を持ち得る可能性がある。ただし、周辺住民の意識調査では、自然の持つ野性的な荒々しさと美意識とのかかわりが見られず、手入れがされていると感じられる緑ほど、美しさの評価を高める傾向が示された。
また、河川に設置された飛び石に対するイメージより、行動の予見性を検討した結果、次のことが示された。飛び石は、渡るという身体行動や水辺で遊ぶ行動のイメージを誘発し、水とのふれあいを想像するきかっけとなる。したがって、環境の状態をアフォードする象徴の設置は、仮想的に環境にふれあうリアリティを高める装置として機能する。立ち入り禁止の緑地等において、眺望を確保し自然とのふれあいを想起させる象徴の存在は、自然を享受できるという面において景観評価を高める可能性がある。
自然の享受は都市における主要な環境評価基準であり、自然要素と触れあう行動のイメージは身体という共通性を持つため、自然とのふれあいの象徴に基づく景観評価は、文化や地域性による差異の少ない国際的な評価基準のひとつとして機能し得ると期待される。