日本地球惑星科学連合2014年大会

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口頭発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-AG 応用地球科学

[M-AG39_1AM2] 都市の脆弱性が引き起こす激甚災害の軽減化プロジェクト

2014年5月1日(木) 11:00 〜 12:45 502 (5F)

コンビーナ:*平田 直(東京大学地震研究所)、佐藤 比呂志(東京大学地震研究所地震予知研究センター)、佐竹 健治(東京大学地震研究所)、鶴岡 弘(東京大学地震研究所)、堀 宗朗(東京大学地震研究所)、酒井 慎一(東京大学地震研究所)、座長:平田 直(東京大学地震研究所)、酒井 慎一(東京大学地震研究所)

12:00 〜 12:15

[MAG39-11] 安政2年10月2日(1855-XI-11)江戸地震の余震の発生経過について

*都司 嘉宣1松岡 祐也2 (1.深田地質研究所、2.仙台市博物館市史編纂室)

キーワード:歴史地震, 首都直下の地震, 余震, 安政江戸地震

安政江戸地震は安政2年10月2日(1855年11月11日)の深夜23時頃、江戸近傍の直下で起きた地震であるが、その発生場所やメカニズムなどの地震像については、いまだ詳細は解明されていない。その地震像の解明に資するべく、この地震の余震の発生経過を調べてみた。この当時の江戸の平常時の有感地震発生の日常的状態(バックグラウンド)が安政江戸地震の発生によってどのように変化したのかを見るために、安政江戸地震の7年前の嘉永元年(1848)から、本震発生後6年余りを経過した万延元年(1860)の年末までの13年間の、江戸を始めとする関東地方全体での有感地震のデータベースを作成した。当時江戸では、公的なものでは九段坂上の渋川家江戸天文台での記録「霊憲候簿」や、「寒暖晴雨升降記」に有感地震が記録されていた。また、神田雉子町(現在司町)の「斎藤月岑(げっしん)日記」、両国緑町で書かれた「津軽藩日記」など、この時期に江戸で有感地震が長期間にわたって記録された日記類が常時10種類以上存在した。また、徳川家康の墓所である日光では「社家御番所日記」、が公的な記録として記されていたほか、「大屋家日記」(市川市原木)、「吉野家日記」(流山市)、「星野半右衛門日記」(志木市)、「鈴木平九郎公私日記」(立川市)、「牧野家日記」(笠間市)、「新田家俊純日記」(太田市)、大高家日記(水戸市)など関東平野の各地点で日記史料が存在し、『日本地震史料』(武者、1951)、『新収・日本地震史料(第5巻、補遺、続補遺)』(地震研、1985,1988,1992)に掲載されている。これらの日記史料に基づいて、上記13年間に関東地方で有感地震のデータベースの電子的カード枚数は3,192件となった。この間に江戸で記録された有感地震の総数は543回であった。地震記録から江戸での震度の推定を行ったが、現行の気象庁震度に準拠して、家屋の広範囲の倒壊を震度6強、破損を震度5、小規模な破損を震度4ないし5(数値として4.5)とした。無被害の有感地震については、棚の物の落下、天水あふれ出し、「近年覚えぬ」と記されたもの、人々家屋から逃げ出す場合を4、「大地震」、「甚」などを3.5、「中地震」を3、単に「地震」と記された事例を2.5、「小地震」、「地震少々」などは2、「微震」、あるいは江戸全体で2人以下が「小地震」である場合を1.5とした。 地震の発生した安政2年の年初から翌安政3年末までの江戸での震度別有感地震数を左図、安政江戸地震(1855)を含む前後13年の地震数を右図に示す。安政江戸地震の狭義の余震は本震発生の9ヶ月後の安政3年6月頃まで継続し、それ以後は安政3年10月7日(1856年11月4日)の所沢地震など、関東地方各地で安政江戸地震の誘発地震(広義の余震)の時期が始まる。安政江戸地震の3年後の安政5年の末ごろにはこの時期も終了して、バックグラウンドノイズの時期に帰して行ったものと考えられる。