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[MZZ45-01] エドムント・ナウマン(1854-1927)と富士山
キーワード:ナウマン, 富士山, フォッサマグナ
エドムント・ナウマン(1854-1927)と富士山矢島道子富士山は高さ3776mで、日本で1番高い山であり、2013年に世界文化遺産に認定された。日本人は古くから宗教的な理由で、老若男女を問わず、登山していたが、富士山の科学的研究は明治時代になって、欧米の研究者がお雇い教師として日本に来てから、始まった。 エドムント・ナウマンは1875年から1885年まで日本におり、東京大学の最初の地質学維教授となり、その後、日本の地質調査所を創立し、その技師長として、日本の地質図製作を開始した。当時、欧米からの来日は船であり、日本に近づくと、美しい冨士が眺望でき、どの外国人もその魅力にとらわれた。ナウマンもその一人であり、彼の研究は富士山をめぐって行われたともいえる。外国人は競って富士山に登山した。ナウマンは1883年に、富士山に登頂できた。ナウマンは富士山の高さの測定をめぐる歴史を明らかにし、富士山の噴火の歴史を明らかにし、富士山が日本の地質構造上でもっとも重要なフォッサマグナの成因に関係すると議論した。帰独後、日本に古くからある物語で、富士山の噴火に関係している竹取物語のオペラのシナリオまで作成した。