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[MZZ45-11] 大川小学校遭難事故をなぜ防げなかったのか?理科教育と地球惑星科学の責任・役割
キーワード:東日本大震災, 津波ハザードマップ, 強震動発生, 断層すべりモデル, 阪神・淡路大震災, 中学校理科
「天災は忘れた頃にやってくる」(寺田寅彦)は,低頻度災害の発生間隔の長さを指摘しただけにはとどまらない。地球惑星科学は進展したものの,明治の大森・今村論争以来の大問題は,解決するどころか,深刻化しているともいえる。大川小学校大津波被災はハザードマップから想定できた2011年3月11日,東北地方太平洋沖地震発生から50分後,巨大津波がが石巻市立大川小学校を襲った。学校にいた大川小児童74名,同教員10 名,迎えにきていた大川中生徒3名,人数が把握できていない大川地区住人が犠牲となった。現場生存者は児童4名,教員1名であった。明治の学制発布以来,学校管理下での最悪級の事故である。3月9日の三陸沖地震(マグニチュード7.3,結果的に3月11日東北地方太平洋沖地震の一連の前震の一つであった)よりも激しい揺れが長時間(およそ2分半)続いたこと,1960年チリ津波を経験した祖父のことばなどを根拠に,高学年児童を中心に,授業や遊びの場であった学校裏山へ避難しようの声があがっていたにもかかわらず,「冷静に,落ち着いて」と教師がいさめてしまい,高台への避難がされないまま被災してしまった。校長が現場を離れていたものの,大津波警報,避難を呼びかけるラジオ,広報車,保護者らからの情報も届き,教頭,教務主任,安全主任の少なくとも教員3名が安全確保のためには学校裏山へ登るのが有効だと判断をしていたのだが,裏山避難をする決断に至れなかったのだ。下流側に向け児童を乗せ出発する予定だったスクールバスは,バックして校庭に入り,上流方向に出発できるよう待機していた。「想定外」と語られた巨大津波ではあったが,宮城県が想定した宮城県沖地震(連動型,マグニチュード8)にもとづく津波浸水予測では,北上川河口から4kmに位置する大川小学校の手前500m迫る津波浸水が想定されていた。避難が必要な大規模な津波陸上遡上は,石巻市発行のハザードマップにも明瞭に示されていた。マグニチュード8の宮城県沖地震にたいして大川小被災は想定外であったとしても,それを越えるマグニチュード9の超巨大地震では,想定を越える津波に襲われるとの想定は可能であり,現に小学生も教員も津波の難を避けるために裏山へ登る提案をしていたのだ。「天災は忘れた頃にやってくる」人間・社会要因に向き合う責任・役割石巻市が5700万円の予算を計上し,文部科学省と宮城県教育委員会の指導・監視によって進められた大川小学校事故検証委員会(室崎益輝委員長,事務局社会安全研究所)は,最終報告案(2014年1月20日提示)に至っても,事実があいまいになるばかりで,情報,手段,判断があったのに,なぜ避難の決断ができなかったか,その原因究明には至っていない(本予稿投稿後の2月23日に公表予定の最終報告書を分析する)。地震という自然現象が,自然現象に留まらず,自然災害となる原因は,今村明恒や寺田寅彦が指摘するとおり,人間・社会の側にあるとみるべきだろう。想定どおりであればマニュアルが直接役に立つが,事前の想定,マニュアルをやや越えた,想定可能な「想定外」の事態のもとで判断,決断をもとめられたときに,多くの自然災害が発生している。大森房吉が「浮説」として排除し「想定外」に置いてしまった今村の想定の正しさは,大正関東地震によって検証された。直下地震の恐れありと1970年代に神戸市自ら報告書を出版,中学校理科教科書にも図入りで解説されていた六甲,神戸・阪神間の活断層研究の成果は,阪神・淡路大震災の軽減にほとんど役に立たなかった。1980年代の神戸市地域防災計画の際,震度6か5かで専門家の意見が割れた際に,震度5強の想定が選ばれ,公共施設や防火水槽の耐震化がされなかったどころか,震度6や7が発生する活断層地帯であるとの知識の共有がされなかった。世界で最も進んでいた近畿地方における活断層研究が,いかせなかったのだ。マグニチュード7ならば強震動発生は10秒,同8ならば1分,同9ならば2分半といった半定量的で防災に役立つ断層すべりモデルにもとづくマグニチュードの理解も,科学者や高校理科教員にすらほとんど及んでいないため,世界で最も進んでいたはずの日本海溝沿いの地震,津波発生機構の研究もまた,震災軽減をもたらさなかったのだ。大問題解決向け,理科教育と地球惑星科学の責任・役割を再検討する。