日本地球惑星科学連合2014年大会

講演情報

口頭発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-ZZ その他

[M-ZZ45_29PM2] 地球科学の科学史・科学哲学・科学技術社会論

2014年4月29日(火) 16:15 〜 17:45 422 (4F)

コンビーナ:*矢島 道子(東京医科歯科大学教養部)、青木 滋之(会津大学文化研究センター)、山田 俊弘(千葉県立船橋高等学校)、吉田 茂生(九州大学大学院理学研究院地球惑星科学部門)、座長:青木 滋之(会津大学文化研究センター)、吉田 茂生(九州大学大学院理学研究院地球惑星科学部門)

17:15 〜 17:30

[MZZ45-12] 日本の近代花崗岩石材産業の特徴と産地による違いの考察

*乾 睦子1 (1.国士舘大学理工学部)

キーワード:石材産業, 建築石材, 墓石, 花崗岩, 採石場, 近代産業史

日本で石材が広く一般の建築物に利用され始めたのは,明治維新後に西洋建築が導入されてからである.このため,日本の各地の石材産業は,産業が興った時期と,機械化され近代産業として成立した時期とが非常に近いという歴史的経緯がある.すなわち,当初から産業的採掘の意図をもって資源が探索され,採掘が始まった産地が多くある.そのため,石材利用の歴史が長い欧米諸国には見られない特徴的な石材産業が成立したが,その全体像はあまり知られていない.また,1980年代後半以降は国産石材の市場が急激に縮小したが,その理由は一般には安価な輸入材の増加のためとしか語られることがなく,産地それぞれの事情に踏み込んだ記述は少ない.しかし石材という地質資源が日本の産業が発展する中でどのような役割を果たして来たかを知っておくことは重要である.本稿では,国内のいくつかの花崗岩(みかげ石)石材産地への訪問・聞き取り調査の結果から,まず日本の石材産業の成り立ちと日本特有の事情を記述し,次に地域ごとに異なる構造が成立した要因と,その構造が時代とともに変遷した経緯を考察したものである. 日本の石材産業の特徴は,特に建築石材としては,構造材として使用する習慣がなかったために当初から装飾・化粧材として利用が広まった点であると考えられる.その結果,石材の高級感やデザイン性が重視され,色柄や縞模様の方向を細部まで計画して貼る日本独特の石貼り仕上げの作法が発達した.その結果,デザイン上好ましくない斑点模様を「キズ」として避けるなど,色柄に完璧を求め過ぎる風潮につながり,採掘の効率(歩留まり)を落とすことにつながったとも言える.また,第二次世界大戦後には墓石として石材(とくに花崗岩石材)を用いる習慣が広がった.ちょうど花崗岩の加工が機械化によって容易になった時期と重なったことも追い風となって墓石の国内市場が確立した.本磨き(鏡面研磨)の花崗岩を大量に使う墓石の形態も日本に特有のものである.この経緯によって,日本では建築石材と墓石材の二つが異なる市場を形成し流通することとなった.その後,輸入材や海外加工品に押されて石材産業が大幅に縮小し,とくに建築石材は価格の影響が大きいため壊滅的な打撃を受けた.これによって大理石産地のほとんどが閉山したが,花崗岩の産地では墓石や灯篭,寺社建築に国産品の需要が保たれたため,産地や業者の数は減ったものの継続して稼働している. 産地間の違いを生む要因として,まず石材そのものの品質と用途が挙げられる.石材の材質は,もともと建築石材と墓石材のどちらが主になるかを決定していたと思われる(ただし,建築石材を主に産出していた産地の多くが現在は墓石にシフトしている).建築石材か墓石材かを決めていた大きな要因は大きな材が採れるか否かである.建築用には,同じ色目で同じ形状・サイズの材を数多く加工する必要があるため,キズの無い大きなブロックで採掘できることが望ましい.大材が採れるのは粗粒の花崗岩の産地に多く,首都圏の建築物に最初に用いられ始めた花崗岩も瀬戸内海のそのような産地(小豆島,北木島など)の石材であった.クラックが多い,目(特徴的に割れやすい方向)の方向が複雑,などの理由から大きな材が採れない産地は,特徴的に墓石用材を主に産出してきた(例:庵治,大島,岡崎)が,細粒の花崗岩が採られている地域が多い.細粒で繊細な外観が彫文字を美しく見せ,日本の墓石に向いていたということも大きいと思われる. 石質以外の社会的要因としては,採石場の立地の違いがある.瀬戸内海の島は,露出がよいため採掘しやすく海運による運搬が有利であったが,道路輸送が主力となってからはその立地が不利に変わった.反対に,本州や四国の本土にある採石場の中には,拡大してきた市街地と近接した立地になってしまい,騒音対策のため採掘の手段が限られるという事情が生じていた.自然破壊が問題視されるようになってからは,観光客の視線が届く場所での採掘は控える必要が出て来た.産地によって地権者・採掘者・加工者の関係が異なることも異なる産業構造を産んでいた.採掘と加工が共存している産地もあったが,採掘のみの産地もあった.大きな地権者の存在の元,複数の業者が稼行する産地は,採掘・加工ともに共同体意識が強く醸成され,それが産地としての求心力・ブランド力強化の動きにつながっているように思われた. 現在まで,日本の石材産業は外圧(西洋建築の導入)によって成立し,外圧(安価な輸入材)によって縮小した側面しか捉えられていなかったが,日本独特の石材産業の作法や,各産地の事情に応じた産業構造がその産業史の中で一定の役割を果たしたことが分かってきた.