日本地球惑星科学連合2014年大会

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セッション記号 S (固体地球科学) » S-MP 岩石学・鉱物学

[S-MP46_28PO1] 変形岩・変成岩とテクトニクス

2014年4月28日(月) 18:15 〜 19:30 3階ポスター会場 (3F)

コンビーナ:*河上 哲生(京都大学大学院理学研究科)、石井 和彦(大阪府立大学大学院理学系研究科物理科学専攻)

18:15 〜 19:30

[SMP46-P19] 跡倉ナップからみた西南日本前弧域における白亜紀後期―古第三紀のテクトニクス

*小野 晃1 (1.なし)

キーワード:西南日本, 前弧域, 白亜紀後期と古第三紀, ナップテクトニクス, 地殻中~深部

白亜紀後期や古第三紀の西南日本では,前弧域で起きた複数回のナップテクトニクスによって,地殻表層部が海溝の方に移動している(添付図 A, B).その一例が関東山地北縁部の跡倉ナップや領家ナップである.侵食されずに残存しているナップやナップ由来の礫などの研究によると,ナップテクトニクスを受けた地質体は前弧域の堆積物である跡倉層や寄居層,110Ma頃の花崗岩や変成岩,ペルム紀の花崗岩,白亜紀後期の領家花崗岩や変成岩などである.これらの地質体の弧‐海溝系における分布状況が地質断面図として添付図 Bに模式的に描かれている.前弧域の地質は地質時代によって変化しているので,複数の地質時代の復元図が提示されている[1].なお,添付図 Bの肥後‐阿武隈帯とは,110Ma頃に形成された花崗岩や変成岩の分布地帯で,金勝山‐南部北上帯とは,ペルム紀や石炭紀の花崗岩が分布していた地帯である.
ここで問題になるのは,厚さ5kmほどの地殻表層部がナップとして移動した時期に,地殻の中~下層部はどうであったのか,という点である.ほとんど移動しなかったという可能性がある.その一方で,マントルの方に向かって移動した可能性もある.後者の場合,地殻のかなり深部にデコルマがあって,地殻表層部はナップとして地表に向かって移動し,地殻中~深部はマントルの方に向かって流動したことが想定される(添付図 C).このテクトニクスが100Maから60Maごろの花崗岩マグマの活動が著しかった時期に起きた可能性は高い.また,このようなテクトニクスが繰り返されると肥後‐阿武隈帯や金勝山‐南部北上帯の古い地質体などは,表層部だけではなく中・深部さえも消失してしまう.そのため,中央構造線近傍では,地表付近でも地下深部でも領家帯中~深部の変成岩や花崗岩は四万十帯の延長部の岩石と直接接することになる.
この問題に関連して,紀伊山地中央部では四万十帯が領家帯と直接接していて,110Ma以前の古期岩体は中央構造線近傍に確認されていない.また,反射法地震探査に基づく西南日本の地殻断面[2]においても,ナップテクトニクスで消失した前弧域の地質体の構造的下位に想定される地質体を,中央構造線近傍に見出すことは困難である.
以上の様な地質とテクトニクスを考えると,ナップが形成されていた時期について,前弧域の地殻中~深部やマントルにおける地質体の移動方向や流動方向は,添付図Cに示すようであったと推定される.
[1]小野,2011,日本地質学会第118年学術大会, p. 196.
[2]伊藤・佐藤,2010,地学雑誌,119,p 235.