日本地球惑星科学連合2014年大会

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口頭発表

セッション記号 S (固体地球科学) » S-SS 地震学

[S-SS24_1PM2] 地震活動

2014年5月1日(木) 16:15 〜 18:00 315 (3F)

コンビーナ:*伊藤 喜宏(京都大学防災研究所)、座長:YANO Tomoko Elizabeth(防災科学技術研究所)、生田 領野(静岡大学理学部)

17:45 〜 18:00

[SSS24-09] 関東大震災(1923)と横浜

*西澤 勝1 (1.なし)

キーワード:関東大震災, 横浜, 開港, 横浜開化錦絵, 鉄筋コンクリート

1.開港 (Open a port to foreign ships for trade)1859年横浜は開港する (Open a port to foreign ships for trade )。開港の三ヶ月前に工事が着工される突貫工事であった (The port was built at full speed)。アーサー・ブレンドの手記によると「建物は木材以外は使用されず、倉庫はドロと漆喰 (plaster/stucco) で出来ていたために、非常に火災が(a fire)多く「豚屋火事」と言われるくらい、ひんぱんに火災があった。火災後、プラントンが近代的町づくりをし、防火帯として「日本大通」を造り、もう一つは、「本格的な石造り (made of stone) 」の町を作ることをおしすすめた。石は房州からで、洋風の石積み・ブラフ (bluff) が山手を表す固有名詞ともなった。幕府は治安も考え、海、川と運河で囲まれた近代の出島に橋をもうけ、門門をもうけた。関内、関外の呼び名が生ずる。今の山下町界隈を外国人居留地、以西を日本人居留地と定めた。この二つの町の間に港崎遊郭は外国人のためにつくられた。1866年の火災で吉田新田に遊郭は移る。開港後は商人ばかりでなく、異国情緒の満つる横浜に、浮世絵師も集り、異人の生活、風俗を描いた作品は、「横浜絵」、「横浜浮世絵」あるいは、「横浜開化錦絵」とも呼ばれ、飛ぶように売れた。画題の主な三つは、(a)開港場として整備していく横浜の絵図 (b)港崎遊郭と遊興する外国人の姿 (c)居留地の町並みと外国人の日常生活であった。横浜開化錦絵 (Yokohama civilization (enlightenment) color print) も彫り、摺りの技術面の低下など又画題のパターン化もあり、終焉してゆくが、横浜のエキゾチシズム (exoticism) を表現、文化の媒体となったことは特筆に値する。2.関東大震災以後関東大震災によって壊滅状態となった横浜の復興の街並みの中心となったのは、耐震性と耐火性の双方に勝れる、鉄筋コンクリート建築であった。「関東大震災と横浜」「横浜港と関東大震災」[横浜・関東大震災の記憶]等の横浜市等の資料及び博物館等での展示会を見ての感想は、まず、最近の中国内陸部や中近東での地震における、ブロック造りや土壁造りなどの家屋の崩壊の仕方と非常によく似た建物の崩壊をしているということであった。鉄筋が当時なかったのかと、一瞬思ったほどで、そのために、1.で開港の章を設けた。ブロック状で造られていたり、その間の繋ぎ目も不備であることが写真等で判る。次に、港や街中の写真からは、液状化の現象らしきものは認められない。しかし、復興後の計画を見ると、かなり埋立造成地が増加しており、液状化多発の要因を作っている計画となっている。なお現在の横浜は近代的ビルが建設され、港には一見、見かけは美しい横浜ベイブリッジなども建設され、見る者に複雑な想いに浸らせる。関東大震災以後に、重要視されたものを以下にいくつか示す。(1) ズロース:アメリカに留学した津田梅子ら少女五人が最初に着用したらしいが、大震災焼跡の女性の無惨さが、ズロースの必要性を悟らす。昭和7年白木屋の火事で着物のすそを気にして、手を離したり、脱出を拒んだ女性の焼死体以後徹底す。(2) 地下足袋は、全国から集まった、関東大震災復興作業の労務者が用いて広く普及。商品名の地下足袋が一躍普通名称に。平安時代、「尻切」、室町時代「足半」、江戸時代、竹皮草履、中貫、麻裏、板草履や雪駄が。地下は直に土地を踏むので「はだし足袋」とも。(3) スリッパは明治初年以来洋館が建つと共に普及。(4) アパートの普及。アパートは古代ローマに始まるが、欧米は18世紀産業革命に伴い、日本は1910年上野池の端の上野倶楽部竣工が最初。1925~1927年関東大震災後、住宅建設を目的の同潤会により、渋谷の青山、代官山に鉄筋コンクリート造りのアパート。以後木造アパートも個人経営の貸し家として企業化。(5) タイピストの出現。明治10年頃アメリカからの欧文タイプに刺激され、大正4年邦文タイプ完成。関東大震災復興後、婦人の職場進出が広がり、邦文タイピストは時代の先端をゆく新職業。しかし服装は依然和服。参考文献1)樋口清之監修:「起源のナゾ」光文書院、昭和49年2)西澤勝:1995年1月兵庫県南部地震の液状化に伴う免振力についての若干の考察、2002年6月、第28回日本環境学研究発表会3)西澤勝:液状化に対する私見とその応用、2011年6月、第37回日本環境学研究発表会4)西澤勝:句集「行雲流水」(増補版) -地震考- -波相論に備へて-、平成22年10月 (2010、10月)5)宗像盛久編:横浜開化錦絵を読む、東京堂出版、平成12年