日本地球惑星科学連合2015年大会

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[O-01] ジオパークへ行こう

2015年5月24日(日) 18:15 〜 19:30 コンベンションホール (2F)

コンビーナ:*渡辺 真人(産業技術総合研究所地質情報研究部門)

18:15 〜 19:30

[O01-P27] ひと味違った(ジオ味をつけた)札所めぐり~秩父ジオパークの取組~

*宮城 敏1 (1.秩父まるごとジオパーク推進協議会)

キーワード:秩父地域, 巡礼, 札所, 日本地質学発祥の地

秩父地域は、関東平野の西の端に位置する小さな盆地である。大都会の近くなのにたくさんの自然が残り、近年この自然や風土を楽しむ人がたくさん訪れるようになった。長い間、秩父地域は産業の町として知られ盆地を取り巻く山々は材木や薪炭を産出する所であり、豊富に存在する石灰岩はセメントとなって近代日本を創りあげた。盆地の中では養蚕が盛んに行われ、生糸は外国に輸出され「秩父銘仙」は全国に知られる。
 1970年代頃を境に、産業の町から自然や祭り等を楽しむ癒しの里へと変わりつつある。2011年9月、秩父地域は「日本ジオパーク」となり、大地と人々の暮らしの関わりが、新たなまちおこしの切り口として注目され始めた。
慶雲5(708)年、秩父で発見された銅が朝廷に献上され和銅開珎が造られた。その時、朝廷から贈られた一対の百足が黒谷の聖神社に今でも保存されている。盆地の西の山中からは金が発見され、武田信玄や平賀源内が関わった歴史が残る。
明治になり日本の近代化を目指した新政府は、外国人の地質学者を招いて日本の地下資源調査を始めた。東京に近い秩父地域は真っ先に調査地となり、ナウマンや小藤文次郎等の地質学の先駆者が秩父を訪れた。多くの研究者や地質を学ぶ学生が訪れる地となり、大正5年には宮沢賢治も地質見学旅行で秩父を巡った。「つくづくと 粋なもやうの博多帯 荒川ぎしの片岩のいろ」は、長瀞の荒川左岸にある「虎岩」を詠んだもの。日本ジオパークの認定を受けた2011年に小鹿野町の老舗旅館当主の日誌に「盛岡高等農林学校生徒職員一行二十五名宿泊す」の記述が見つかった。いつしか秩父は「日本地質学発祥の地」と呼ばれるようになり、長瀞にある埼玉県立自然の博物館前にはその碑が建てられている。
山に囲まれた盆地の生活は、どこへ行くにも峠越え、街道筋に旧宿場の家並みが残り、北条と武田の争いの歴史も伝わる。外部との交流の不便さは独自の風土を育んだ。盆地の気候は、夏は暑く冬は冷え込む。寒く乾燥した気候は、吊るし柿などの産物を生み巨大な氷柱を創る。
盆地内の札所34ヶ所には、信仰でお参りする人や自然を楽しむ人が後を絶たない。秩父は祭りの宝庫でもある。元々は絹市を盛り立てる付け祭りが起源の秩父夜祭は20万人もの人で賑わう。龍勢祭りや鉄砲祭りは自家製火薬で狩猟を生業としてきた生活から生まれ、甘酒祭りは麦、御田植祭りは米の豊作祈願とつながる。江戸時代に秩父に伝わった歌舞伎は今でも庶民の歌舞伎として地元の人の手によって演じられている。
地質の違いが地形の違いに表れ、そこに生育する植物や作物が異なり、それが人々の生業となり暮らしが営まれてきた。
秩父まるごとジオパーク推進協議会事務局では、ホームページやフェイスブックで、様々な活動を紹介するほか、モデルコースや動画、ジオサイトマップを公表している。
さらに、芸術文化との連携にも取り組み、秩父市では「秩父を描く」美術展、皆野町では、金子兜太俳句の会の吟行ツアーを実施、さらに、小鹿野町では、荒川の歌で楽しむジオパーク秩父コンサートを企画している。
特に、秩父札所とジオパークを関連付け、ひと味違った(ジオ味をつけた)札所めぐりという秩父ならではの取組を、平成26年、12年に一度の午歳総開帳に合わせて実施した。
信仰によって守られた秩父の自然、巡礼とジオのマッチングにより、より多くの方々に興味関心をもっていただけたようである。
日本には36の地域のジオパークがあるが、こういったジオパークの仲間たちとの交流やシンポジュウムなど、ネットワークの強みを活かした活動も行っている。
引き続き多くの子どもたちに、秩父ジオパークを楽しく学び、地球と人との関わり、大地の魅力に触れていただきたいと考えている。