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[MZZ45-03] 坪井誠太郎と国立科学博物館
キーワード:科学史, 日本地質学史, 坪井誠太郎, 国立科学博物館, アーカイブ
発表者は,2010年から東京大学大学院情報学環社会情報研究資料センターに収められている地質学者 坪井誠太郎(1893-1986年)に関する資料(以下,「誠太郎資料」)の概要調査を行ってきた1).「誠太郎資料」は情報学環図書室書庫と別の建物の2箇所に分けて置かれていたが,後者の資料が様々な事情により2014年12月,国立科学博物館(以下,「科博」)に移転(寄贈)された.
坪井は,1939年から45年にかけて科博(当時は東京科学博物館)の館長を務め,第二次世界大戦のさ中にあって,標本や資料の保護に尽力した.また,館長職を退いた後も,科博に思いを寄せていた.誠太郎資料の中には,これらを裏付ける資料が含まれている.
本発表では,坪井と科博の関わりについて,上記資料をひも解きながら具体的に論じてみたい.
注
1)これまでの調査の概要などは,例えば以下を参照.栃内文彦:「坪井誠太郎資料」の意義 -同資料の概要調査から得られた知見-」, 『東京大学大学院情報学環社会情報研究資料センターニュース』23号, 2013年3月, pp. 1-6,栃内文彦:「「坪井誠太郎資料」の科学史研究における重要性 -坪井の偏光顕微鏡研究に対する評価の検討-」, 『センターニュース』24号, 2014年3月, pp. 1-5,栃内文彦:「「坪井誠太郎資料」の概要調査を終えて」, 『センターニュース』25号, 2015年3月, pp. 1-5,栃内文彦:「地球科学史資料のアーカイブ化:坪井誠太郎資料調査からの知見より」(JpGU 2012年大会で発表,2012年5月20日),栃内文彦:「坪井誠太郎資料調査から得られた知見:遺された手紙類を読み解く」(JpGU 2014年大会で発表,2014年4月29日).なお,2012年度から14年度にかけての調査,研究と,それに基づく報告,発表は,JSPS科研費(課題番号24650583)の助成を受けて行われている.
坪井は,1939年から45年にかけて科博(当時は東京科学博物館)の館長を務め,第二次世界大戦のさ中にあって,標本や資料の保護に尽力した.また,館長職を退いた後も,科博に思いを寄せていた.誠太郎資料の中には,これらを裏付ける資料が含まれている.
本発表では,坪井と科博の関わりについて,上記資料をひも解きながら具体的に論じてみたい.
注
1)これまでの調査の概要などは,例えば以下を参照.栃内文彦:「坪井誠太郎資料」の意義 -同資料の概要調査から得られた知見-」, 『東京大学大学院情報学環社会情報研究資料センターニュース』23号, 2013年3月, pp. 1-6,栃内文彦:「「坪井誠太郎資料」の科学史研究における重要性 -坪井の偏光顕微鏡研究に対する評価の検討-」, 『センターニュース』24号, 2014年3月, pp. 1-5,栃内文彦:「「坪井誠太郎資料」の概要調査を終えて」, 『センターニュース』25号, 2015年3月, pp. 1-5,栃内文彦:「地球科学史資料のアーカイブ化:坪井誠太郎資料調査からの知見より」(JpGU 2012年大会で発表,2012年5月20日),栃内文彦:「坪井誠太郎資料調査から得られた知見:遺された手紙類を読み解く」(JpGU 2014年大会で発表,2014年4月29日).なお,2012年度から14年度にかけての調査,研究と,それに基づく報告,発表は,JSPS科研費(課題番号24650583)の助成を受けて行われている.