16:30 〜 16:45
[G03-23] 公器としての機関リポジトリ:電子ジャーナルを用いた社会貢献への挑戦
★招待講演
キーワード:地域生活学研究、COC、電子ジャーナル
1.問題提起・緒言
「転覆提案」が提唱されて20余年、インターネットの高速化とPCのハイスペック化は学術情報の電子化を加速させた。結果、欧米のごく少数の巨大出版社が、(1)英文で、(2)幅広い分野からの原稿を募り、(3)査読を軽量化することで大量の原稿を掲載可能にして、(4)著者から高額の出版加工料を徴収する電子ジャーナル(メガジャーナル)によって利益を得るビジネスモデルを生命、自然科学を中心に確立してきた。彼らが刊行する雑誌の多くはオープンアクセス誌であるが、同じ出版社が国際的な非オープンアクセス誌の大半も刊行しており、その購読料は事実上言い値の状況である。折から大学への運営交付金の縮減が続く日本で、高騰する論文出版/購読料は研究活動に重大な影響をもたらしており、「ハゲタカ出版」と呼ばれるエセ国際誌の台頭は研究倫理の問題をも投げかけている。この現代の「朝貢」に対しては、学際的かつ国家的な対応策がとられるべきである。
しかし、オープンアクセス化は本来、より迅速で幅広い成果の共有、知的先行権の確保、出版コストの削減を促すもののはずであり、ハーナッドが提唱していた転覆提案の骨子もまさしくそうだった。こうした問題意識で日本の状況を鑑みると、我々には強力な電子出版インフラが整備されていることに気づく。それが1990年代から整備の進められてきた電子アーカイビングのための「機関リポジトリ」であり、CiNiiやJAIROに代表される学術情報データベースである。本報告では、富山大学で2010年に創刊し、2013年に電子ジャーナル化した『地域生活学研究』の試みを紹介する。4年目を迎えた今、運営を通じて得られた課題と展望を報告するとともに、一地方大学に過ぎない本学が、COCの理念に立脚しつつ、電子学術出版や運営を通じていかに地域貢献を果たし得るのかのモデルケースを提供したい。
2.創刊の経緯・運営方法
『地域生活学研究』は、もともと2010年に学内の競争的資金獲得の際に研究プロジェクトとして発足した研究会を母体にしている。総合大学の強みを生かして地域に生きる人や社会の様々な課題へ多角的にアプローチすることを謳い、医・人文・経済・人間発達・理・芸術文化の6学部にまたがる学際的なメンバーが集っていた。発表者は2012年に当時の研究代表者に誘われて加わったが、同年は競争的資金の最終年度であり、代表者の離職もあって会の活動は宙に浮いた。ちょうどこの時、いわゆるハゲタカ出版からの勧誘によって学術出版に関心をもつようになった報告者は、機関リポジトリを活用すれば出版経費を最少化できることを思いつき、同プロジェクトが成果報告に用いていた年報を電子ジャーナル化する構想に賛同と協力を得て現在に至る。 (1)機関リポジトリを使えばサーバー管理コストはゼロ、(2)文書ソフトを使えば高度な編集技能なしでも段組でき、編集出版コストもゼロである。そこで、(3) 学会のように投稿資格を会員に限定せず、(4)紀要のように投稿者を学内限定にもせず、(5)学際的なメンバーが結集する強みを生かしてメガジャーナル同様、専門分野も限定せず、(6)軽量査読制で査読者負担を軽減、(7)メール交換で出版日数を最少化して知的先行権に配慮した運営が可能となった。インフラであるリポジトリは附属図書館が管轄するが、司書は事務官に近い立場であり研究者との接点は非常に少ない。これが、学術出版をめぐる問題に研究者の関心が低い大きな理由であり、反省すべき点であろう。ISSNの取得やファイル管理、論文種目別の階層化のノウハウなどは、全てリポジトリ担当司書との対話と連携の過程から生み出されてきた。報告では、時間の許す限りその骨子を説明したい。
3.現状と課題・展望
1年目は外部から3編の寄稿があり、2編を掲載。電子出版をめぐる問題に定見のある杉田氏を招いて巻頭言を執筆頂いた。2年目は学外から2編の寄稿があったが、うち一報は富山中心市街で植栽活動をしている一般人(NPO代表)の寄稿であり、地域の声を拾うことのできる学術誌としての優れた潜在性が示された。本誌は宣伝活動を一切していないため、3年目になると寄稿も減少したが、顕在化途上の(太陽光パネルがもたらす)景観紛争の当事者に、それぞれの立場から誌上で公開討論をしていただくことで、紛争の尖鋭化を未然に防ごうとする特集号を企画、反響を得た。4年目の現在は、この問題の解決に向けてさらなる特集を企画している。このように本誌は、無償でアウトリーチに取り組める一方、査読者選定の難しさ、リポジトリの構造上の問題や、論文の質に関する問題など課題も多い。報告ではそれらにも言及する。知的生産の無償化は知的アウトプットの質の低下を招き、知的生産への敬意を喪失させるリスクもある。しかし適切に運用されれば、大学は雑多な投稿に対して適切な「質の判定(qualify)」をする機関として、新たな社会的役割を担うものと信じる。
「転覆提案」が提唱されて20余年、インターネットの高速化とPCのハイスペック化は学術情報の電子化を加速させた。結果、欧米のごく少数の巨大出版社が、(1)英文で、(2)幅広い分野からの原稿を募り、(3)査読を軽量化することで大量の原稿を掲載可能にして、(4)著者から高額の出版加工料を徴収する電子ジャーナル(メガジャーナル)によって利益を得るビジネスモデルを生命、自然科学を中心に確立してきた。彼らが刊行する雑誌の多くはオープンアクセス誌であるが、同じ出版社が国際的な非オープンアクセス誌の大半も刊行しており、その購読料は事実上言い値の状況である。折から大学への運営交付金の縮減が続く日本で、高騰する論文出版/購読料は研究活動に重大な影響をもたらしており、「ハゲタカ出版」と呼ばれるエセ国際誌の台頭は研究倫理の問題をも投げかけている。この現代の「朝貢」に対しては、学際的かつ国家的な対応策がとられるべきである。
しかし、オープンアクセス化は本来、より迅速で幅広い成果の共有、知的先行権の確保、出版コストの削減を促すもののはずであり、ハーナッドが提唱していた転覆提案の骨子もまさしくそうだった。こうした問題意識で日本の状況を鑑みると、我々には強力な電子出版インフラが整備されていることに気づく。それが1990年代から整備の進められてきた電子アーカイビングのための「機関リポジトリ」であり、CiNiiやJAIROに代表される学術情報データベースである。本報告では、富山大学で2010年に創刊し、2013年に電子ジャーナル化した『地域生活学研究』の試みを紹介する。4年目を迎えた今、運営を通じて得られた課題と展望を報告するとともに、一地方大学に過ぎない本学が、COCの理念に立脚しつつ、電子学術出版や運営を通じていかに地域貢献を果たし得るのかのモデルケースを提供したい。
2.創刊の経緯・運営方法
『地域生活学研究』は、もともと2010年に学内の競争的資金獲得の際に研究プロジェクトとして発足した研究会を母体にしている。総合大学の強みを生かして地域に生きる人や社会の様々な課題へ多角的にアプローチすることを謳い、医・人文・経済・人間発達・理・芸術文化の6学部にまたがる学際的なメンバーが集っていた。発表者は2012年に当時の研究代表者に誘われて加わったが、同年は競争的資金の最終年度であり、代表者の離職もあって会の活動は宙に浮いた。ちょうどこの時、いわゆるハゲタカ出版からの勧誘によって学術出版に関心をもつようになった報告者は、機関リポジトリを活用すれば出版経費を最少化できることを思いつき、同プロジェクトが成果報告に用いていた年報を電子ジャーナル化する構想に賛同と協力を得て現在に至る。 (1)機関リポジトリを使えばサーバー管理コストはゼロ、(2)文書ソフトを使えば高度な編集技能なしでも段組でき、編集出版コストもゼロである。そこで、(3) 学会のように投稿資格を会員に限定せず、(4)紀要のように投稿者を学内限定にもせず、(5)学際的なメンバーが結集する強みを生かしてメガジャーナル同様、専門分野も限定せず、(6)軽量査読制で査読者負担を軽減、(7)メール交換で出版日数を最少化して知的先行権に配慮した運営が可能となった。インフラであるリポジトリは附属図書館が管轄するが、司書は事務官に近い立場であり研究者との接点は非常に少ない。これが、学術出版をめぐる問題に研究者の関心が低い大きな理由であり、反省すべき点であろう。ISSNの取得やファイル管理、論文種目別の階層化のノウハウなどは、全てリポジトリ担当司書との対話と連携の過程から生み出されてきた。報告では、時間の許す限りその骨子を説明したい。
3.現状と課題・展望
1年目は外部から3編の寄稿があり、2編を掲載。電子出版をめぐる問題に定見のある杉田氏を招いて巻頭言を執筆頂いた。2年目は学外から2編の寄稿があったが、うち一報は富山中心市街で植栽活動をしている一般人(NPO代表)の寄稿であり、地域の声を拾うことのできる学術誌としての優れた潜在性が示された。本誌は宣伝活動を一切していないため、3年目になると寄稿も減少したが、顕在化途上の(太陽光パネルがもたらす)景観紛争の当事者に、それぞれの立場から誌上で公開討論をしていただくことで、紛争の尖鋭化を未然に防ごうとする特集号を企画、反響を得た。4年目の現在は、この問題の解決に向けてさらなる特集を企画している。このように本誌は、無償でアウトリーチに取り組める一方、査読者選定の難しさ、リポジトリの構造上の問題や、論文の質に関する問題など課題も多い。報告ではそれらにも言及する。知的生産の無償化は知的アウトプットの質の低下を招き、知的生産への敬意を喪失させるリスクもある。しかし適切に運用されれば、大学は雑多な投稿に対して適切な「質の判定(qualify)」をする機関として、新たな社会的役割を担うものと信じる。