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[SVC47-P04] 蔵王火山で過去100年間に見られた活発化と現在の状況
キーワード:蔵王火山、2011年東北地方太平洋沖地震、活発化
蔵王火山では過去100年以内で見ると,1918(大正7),1939(昭和14),1966(昭和41)年からそれぞれ数年間,明瞭な活発化があった.2011年の東北地方太平洋沖地震の直後から,全国21の活火山で地震活動の活発化が報告された(気象庁,2014).蔵王火山はそれに含まれないが,2013年1月には火山性微動が初めて観測され,4月には微動と,その直前に傾斜変動が観測された(気象庁,2013).さらに2014年10月には火口湖の御釜で部分的な白濁が見られた(山形大・産総研,2014).我々は2012年から不定期に,御釜の北東1.5kmの丸山沢噴気地熱地帯(以下丸山沢と表記)で噴気及び湧水の温度測定を行い,2013年からは同地点の湧水の化学分析と,御釜の水温測定及び水の化学分析を開始した.また,過去の活発化に際して高温・高濃度の温泉湧出があった,御釜東方1.6kmの振子沢と濁川の合流付近(新関温泉)の変化にも注目していた.ここでは過去100年の三度の活発化を御釜,丸山沢,新関温泉に分けて整理し,それらと現在の活動状況を比較する.
1918年からの活動で,御釜は変色し,その後湖底からのガス噴出が起こった(大森,1918).ガス噴出は1928年まで続き,この年の最大水深は61mだった(安斎,1961).丸山沢では1918年8月12日の地震で異変が生じたとされるが(今田ほか,1985),詳細は不明である.なお,小動物が強いガスで絶命する「鳥地獄」が1935年時点で生じていた(安斎,1961). 1907~1908の隧道掘削により湧出した新関温泉(宮城県衛生部,1969)は,1917年冬より温度が下がるとともに,1918年6月には湧出量が1/3ほどになった.その後幾分温度が上がったものの(大森,1918),1921年に枯渇で閉鎖されている.
1939年からの活動では7月下旬に御釜で変色が確認され,ガス噴出や温度上昇が起こった.水深は11月に63mで,温度は1940年8月に湖底の泥の中で250℃以上(温度計破損)だった(安斎,1941).最後の白濁は1942年9月に見られた.丸山沢は1939年7月下旬にはわずかに湯気が立ち上る程度だったが(虎石・富永,1940),1940年2月10日(虎石・富永,1940)か4月16日(安斎,1941)に小規模な爆発が起こった.新関温泉は1939年6月に元の源泉から18mほど離れたところで再び湧出し,さらに濁川沿いの500mほど上流で複数個所から高温多量の温泉が出た(植野,1940).温度は1940年2月に88℃(虎石・富永,1940),phは同年5月に0.3だった(安斎,1941).また,100℃を越える直径2mほどの硫気孔が北岸斜面に確認された.
1966年からの活発化では,御釜に変化はなかった.ガス噴出などがなかったほか,水深は活発化を挟む1955年と1968年でともに27m台(志田ほか,1969),カルシウムイオンと硫酸イオン濃度は1955年から1983年まで,ほぼ単調に低下している(志田ほか,1969;佐藤・加藤,1985).一方,丸山沢では衰えていた噴気が活発化した.新関温泉では斜面上に噴気帯が生じ,濁川沿岸で強酸性の温泉が湧出した.1967年10月の温度,ph,電気伝導度はそれぞれ77℃,0.3,5 S/m以上(計測不能)だった(志田,1968).
我々の調査からは,現在の蔵王火山は1966年の活発化と同様の経緯を辿っているように見える.御釜ではヨウ素同位体比に地震活動との相関が疑われる変動が見られたものの(松中ほか,2014),ほかに目立った変化はなく,水深は25m程度,カルシウムイオン濃度は1983年と同程度かやや低い60~70mg/kg前後である.丸山沢の噴気温度に目立った変化はないが,全体として噴気量が徐々に増え,2014年の秋頃にはそれが顕著に感じられるようになった.さらに,小規模な土砂噴出と見られる痕跡が2015年10月に確認された.新関温泉では2015年9月に濁川沿岸で温泉湧出が複数確認された.同じ湧出孔で9月3日と10月28日を比べると,水温,ph,電気伝導度はそれぞれ32.1℃から34.1℃,2.3から2.0,0.126 S/mから0.789 S/mだった.
今田ほか(1985)は,蔵王火山の活動中心は御釜から丸山沢に移ったと指摘している.御釜を除いて考えると,現在の推移は1939年からの活発化とも共通する.1940年の丸山沢の小爆発も踏まえ,今後の推移を注視する必要がある.
1918年からの活動で,御釜は変色し,その後湖底からのガス噴出が起こった(大森,1918).ガス噴出は1928年まで続き,この年の最大水深は61mだった(安斎,1961).丸山沢では1918年8月12日の地震で異変が生じたとされるが(今田ほか,1985),詳細は不明である.なお,小動物が強いガスで絶命する「鳥地獄」が1935年時点で生じていた(安斎,1961). 1907~1908の隧道掘削により湧出した新関温泉(宮城県衛生部,1969)は,1917年冬より温度が下がるとともに,1918年6月には湧出量が1/3ほどになった.その後幾分温度が上がったものの(大森,1918),1921年に枯渇で閉鎖されている.
1939年からの活動では7月下旬に御釜で変色が確認され,ガス噴出や温度上昇が起こった.水深は11月に63mで,温度は1940年8月に湖底の泥の中で250℃以上(温度計破損)だった(安斎,1941).最後の白濁は1942年9月に見られた.丸山沢は1939年7月下旬にはわずかに湯気が立ち上る程度だったが(虎石・富永,1940),1940年2月10日(虎石・富永,1940)か4月16日(安斎,1941)に小規模な爆発が起こった.新関温泉は1939年6月に元の源泉から18mほど離れたところで再び湧出し,さらに濁川沿いの500mほど上流で複数個所から高温多量の温泉が出た(植野,1940).温度は1940年2月に88℃(虎石・富永,1940),phは同年5月に0.3だった(安斎,1941).また,100℃を越える直径2mほどの硫気孔が北岸斜面に確認された.
1966年からの活発化では,御釜に変化はなかった.ガス噴出などがなかったほか,水深は活発化を挟む1955年と1968年でともに27m台(志田ほか,1969),カルシウムイオンと硫酸イオン濃度は1955年から1983年まで,ほぼ単調に低下している(志田ほか,1969;佐藤・加藤,1985).一方,丸山沢では衰えていた噴気が活発化した.新関温泉では斜面上に噴気帯が生じ,濁川沿岸で強酸性の温泉が湧出した.1967年10月の温度,ph,電気伝導度はそれぞれ77℃,0.3,5 S/m以上(計測不能)だった(志田,1968).
我々の調査からは,現在の蔵王火山は1966年の活発化と同様の経緯を辿っているように見える.御釜ではヨウ素同位体比に地震活動との相関が疑われる変動が見られたものの(松中ほか,2014),ほかに目立った変化はなく,水深は25m程度,カルシウムイオン濃度は1983年と同程度かやや低い60~70mg/kg前後である.丸山沢の噴気温度に目立った変化はないが,全体として噴気量が徐々に増え,2014年の秋頃にはそれが顕著に感じられるようになった.さらに,小規模な土砂噴出と見られる痕跡が2015年10月に確認された.新関温泉では2015年9月に濁川沿岸で温泉湧出が複数確認された.同じ湧出孔で9月3日と10月28日を比べると,水温,ph,電気伝導度はそれぞれ32.1℃から34.1℃,2.3から2.0,0.126 S/mから0.789 S/mだった.
今田ほか(1985)は,蔵王火山の活動中心は御釜から丸山沢に移ったと指摘している.御釜を除いて考えると,現在の推移は1939年からの活発化とも共通する.1940年の丸山沢の小爆発も踏まえ,今後の推移を注視する必要がある.