[SVC40-P04] 浅間山天明噴火降下軽石最大粒径の遠方への追跡:降下主軸に沿った関東平野での土壌調査
キーワード:降下火山灰、最大軽石粒径、浅間火山
火山から遠方の地域に堆積した降下軽石について、土壌中の粒子の分析により降下軽石を認定し、降下軽石の粒径などの特性を得るための技術的検討を行っている。一例として、浅間山天明噴火の降下軽石を対象に、群馬県安中市から千葉県成田市(浅間山から約170 km)までの範囲で行った調査について報告する。
降下火砕物は火山の遠方にまで到達し、人間社会に様々な影響を及ぼす。その影響の大小は堆積量の他、降下火砕物の粒径にも依存する。層厚の薄い降下火砕物は堆積後の土壌内での物質移動(例えば生物擾乱)などにより地層として残っていない。しかしながら、地表水や風といった自然要因、あるいは耕作などの人為要因の影響がなく、水平方向の移動が非常に小さい条件であれば、降下火砕物粒子は土壌中に保存されているはずである。土壌中粒子を対象とした場合、降下層準や堆積量の推定は困難を極めるが、降下火砕物の粒径のような特性を得ることは可能であろう。
竹内・上澤(2017, JpGU)では、浅間山近傍の天明噴火降下軽石と基質ガラス組成が一致する軽石粒子や遊離結晶に付着するガラスを千葉県我孫子市の土壌中粒子の分析により見出し、古文書研究(例えば中尾, 1986, 手賀沼周辺の水害; 津久井, 2011, 火山)でも明らかになっている天明噴火の降下火砕物の可能性が高いと考えた。この観察に基づき、以後の検討では、迅速に判定できる軽石粒子に着目して調査を行った。
調査地点は、洪水の影響がないと考えられる段丘面上の平坦面を選んだ。年代の古い空撮画像・国土地理院地形図や明治期に作成された迅速測図において現在まで森林と考えられる場所を選択し、明治期以降の造成による表土の削剥や耕作による客土の可能性を可能な限り排除した。森林の林床土壌について地表下10-15 cm程度を採集した。これは我孫子での調査では天明噴火起源の降下軽石が地表下10 cm程度までに多いことに基づいている。なお浅間山からの距離約36 km(群馬県安中市)までの範囲では、降下軽石層が表土直下約10 cmの層準で確認できた。
採集した試料は過酸化水素水により処理した後に水洗し、篩い分けを行った。遠方で採集された軽石粒子の基質ガラスはSiO2量で66-71 wt%を持つものと72-74 wt%を持つものが多く見られる。両者とも浅間山近傍で採集した天明噴火の軽石の石基ガラス組成と一致し、安井ほか(1997, 火山)とも矛盾は無い。ただ浅間天仁噴火の軽石基質ガラスはSiO2量で68-70 wt%の近い組成を持っている。浅間天仁噴火の降下火砕物の降下主軸は、天明噴火と比較してより北寄りにずれているものの、その可能性を排除するため、今後、合わせた検討が必要である。
実体鏡下で土壌に含まれる軽石粒子が1 mm以上の試料は、フラットベットスキャナーにより試料をスキャンし、画像の中で軽石粒子の最大長軸を計測し、粒径とした。最大粒径が1 mm未満の試料では、何枚かの実体顕微鏡画像を撮影し、画像の中で軽石粒子の粒径を計測した。試料の中から粒径が大きい順に軽石粒子5個を選択し、平均をとることにより、その地点での最大軽石粒径とした。
得られた結果について、浅間山から約50 kmまでの距離にわたって降下火砕物中の最大軽石粒径の調査を行ったMinakami (1942, BERI)との比較を行った。調査範囲が重なる地点においては、ほぼ一致する結果となった。距離と最大粒径を両対数グラフ上で表した場合、約30 kmの地点で屈曲する二つの直線で表される変化を示す。50 kmよりも遠方の最大軽石粒径は、それより近傍のデータと連続的につながりながら減少し、両対数グラフ上で直線的に変化する。現在までのところ最も遠方の千葉県成田市(浅間山から約170 km)では最大軽石粒径として0.7 mmが得られている。
以上から、浅間山天明噴火起源の降下軽石を遠方の土壌から検出し、最大粒径に関する検討が可能と考えられる。本地域の表土では、浅間山天明噴火由来の軽石は実体鏡下で比較的迅速に判定できるため、広域調査も比較的容易と考えられる。このような調査によって得られた降下火砕物の粒径特性を古文書の解読による降灰量(津久井, 2011, 火山)と合わせることにより、浅間山天明噴火を想定した本地域での降灰影響評価につなげていけると期待できる。
降下火砕物は火山の遠方にまで到達し、人間社会に様々な影響を及ぼす。その影響の大小は堆積量の他、降下火砕物の粒径にも依存する。層厚の薄い降下火砕物は堆積後の土壌内での物質移動(例えば生物擾乱)などにより地層として残っていない。しかしながら、地表水や風といった自然要因、あるいは耕作などの人為要因の影響がなく、水平方向の移動が非常に小さい条件であれば、降下火砕物粒子は土壌中に保存されているはずである。土壌中粒子を対象とした場合、降下層準や堆積量の推定は困難を極めるが、降下火砕物の粒径のような特性を得ることは可能であろう。
竹内・上澤(2017, JpGU)では、浅間山近傍の天明噴火降下軽石と基質ガラス組成が一致する軽石粒子や遊離結晶に付着するガラスを千葉県我孫子市の土壌中粒子の分析により見出し、古文書研究(例えば中尾, 1986, 手賀沼周辺の水害; 津久井, 2011, 火山)でも明らかになっている天明噴火の降下火砕物の可能性が高いと考えた。この観察に基づき、以後の検討では、迅速に判定できる軽石粒子に着目して調査を行った。
調査地点は、洪水の影響がないと考えられる段丘面上の平坦面を選んだ。年代の古い空撮画像・国土地理院地形図や明治期に作成された迅速測図において現在まで森林と考えられる場所を選択し、明治期以降の造成による表土の削剥や耕作による客土の可能性を可能な限り排除した。森林の林床土壌について地表下10-15 cm程度を採集した。これは我孫子での調査では天明噴火起源の降下軽石が地表下10 cm程度までに多いことに基づいている。なお浅間山からの距離約36 km(群馬県安中市)までの範囲では、降下軽石層が表土直下約10 cmの層準で確認できた。
採集した試料は過酸化水素水により処理した後に水洗し、篩い分けを行った。遠方で採集された軽石粒子の基質ガラスはSiO2量で66-71 wt%を持つものと72-74 wt%を持つものが多く見られる。両者とも浅間山近傍で採集した天明噴火の軽石の石基ガラス組成と一致し、安井ほか(1997, 火山)とも矛盾は無い。ただ浅間天仁噴火の軽石基質ガラスはSiO2量で68-70 wt%の近い組成を持っている。浅間天仁噴火の降下火砕物の降下主軸は、天明噴火と比較してより北寄りにずれているものの、その可能性を排除するため、今後、合わせた検討が必要である。
実体鏡下で土壌に含まれる軽石粒子が1 mm以上の試料は、フラットベットスキャナーにより試料をスキャンし、画像の中で軽石粒子の最大長軸を計測し、粒径とした。最大粒径が1 mm未満の試料では、何枚かの実体顕微鏡画像を撮影し、画像の中で軽石粒子の粒径を計測した。試料の中から粒径が大きい順に軽石粒子5個を選択し、平均をとることにより、その地点での最大軽石粒径とした。
得られた結果について、浅間山から約50 kmまでの距離にわたって降下火砕物中の最大軽石粒径の調査を行ったMinakami (1942, BERI)との比較を行った。調査範囲が重なる地点においては、ほぼ一致する結果となった。距離と最大粒径を両対数グラフ上で表した場合、約30 kmの地点で屈曲する二つの直線で表される変化を示す。50 kmよりも遠方の最大軽石粒径は、それより近傍のデータと連続的につながりながら減少し、両対数グラフ上で直線的に変化する。現在までのところ最も遠方の千葉県成田市(浅間山から約170 km)では最大軽石粒径として0.7 mmが得られている。
以上から、浅間山天明噴火起源の降下軽石を遠方の土壌から検出し、最大粒径に関する検討が可能と考えられる。本地域の表土では、浅間山天明噴火由来の軽石は実体鏡下で比較的迅速に判定できるため、広域調査も比較的容易と考えられる。このような調査によって得られた降下火砕物の粒径特性を古文書の解読による降灰量(津久井, 2011, 火山)と合わせることにより、浅間山天明噴火を想定した本地域での降灰影響評価につなげていけると期待できる。