[SSS08-P16] 静岡県蒲原低地における富士川河口断層帯入山瀬断層の活動性
キーワード:富士川河口断層帯、駿河トラフ、活断層、ボーリング調査
駿河トラフの陸域延長部である富士川河口断層帯の入山瀬断層は,地震調査研究推進本部(2010)によって非常に活動度の高い活断層として評価され,平均変位速度は富士山の溶岩の高度差などから7 m/千年と推定されている.一方で最近の活動を直接的に示す明瞭な変動地形はなく,断層の分布が明確ではない.また1854年安政東海地震では駿河湾西部沿岸が隆起したとされているが,入山瀬断層の活動との関係は不明である.そこで本研究では,富士川河口西側の蒲原低地を通る入山瀬断層の推定位置の隆起側でボーリング調査を行い,既存のボーリング資料との対比などから,その活動性を検討した.
掘削地点は富士川河口右岸から海岸沿いに約1.7 km西の標高6.5 mに位置し,深度97 m(標高-90 m)まで掘進して基盤の火成岩に達した.層相は基本的に砂礫からなるが,層厚1~5 m程度の腐植物混じりのシルト-粘土層がサイクリックに10層以上挟まっている.これらのシルト-粘土層中から植物遺体等を抽出し,年代測定を行ったところ.深度11.8 m(標高-5.3 m)で470-310 cal yBP(AD1480-1640),深度22.7 m(標高-16.2 m)で5895-5660 cal yBP,深度36.7 m(標高-30.2 m)で9255-9080 cal yBP,深度55.1 m(標高)で10,515-10,290 cal yBP,深度93.7 m(標高-87.2 m)で13,990-13,760 cal yBPであった.また珪藻分析の結果,湾奥浅海域から干潟,潟湖の環境を示す海水~汽水環境の珪藻群集が深度36 m以下の層準から得られた.しかしそれより上位の層準からは淡水生の珪藻がわずかに含まれるのみであり,海成の証拠は得られなかった.
以上の結果から,海面付近で堆積したと考えられる9000年前頃のシルト層は,標高-30 ~-32 m付近にあることがわかった.これをユースタティックな海水準(9000年前頃で標高-20~-30 m付近;遠藤,2015など)と比べると,ほぼ同じかやや低いレベルにある.また縄文海進頂期頃の年代を示すシルト層(淡水成の可能性)は標高-14~-18 mに分布し,現在の海面よりもかなり低い位置にある.これらの証拠は,この地点が活発な隆起をしておらず,むしろ沈降傾向にある可能性があることを示唆する.
本地域では,産業技術総合研究所(2016)が入山瀬断層推定位置の沈降側で,地下水調査のために掘削した深度300 mのボーリングコアがすでにある.それらの層相,年代から今回の掘削コアとの対比を試みたところ,5000-6000年前のシルト~粘土層は,入山瀬断層を挟んで12~14 m程度西側(隆起側)が高く,また11,000~12,000年前頃のシルト~粘土層は,同様に14~20 m程度西側(隆起側)が高かった.現段階では不確定要素も大きいが,仮に両者が堆積時に同レベルにあったとすると,平均1~2 m/千年程度の速度で上下変位し,かつ累積している可能性を指摘できる.
伊藤・山口(2016)は本地域で行った反射法地震探査から,地下に複数の断層の存在を確認しており,蒲原低地の地下に断層があることは間違いない.今回の調査の結果,その平均変位速度は1~2 m/千年程度で,従来推定されていたような7 m/千年もの活動を示す断層は確認できず,長期的にはむしろ蒲原低地が沈降している可能性もあることが明らかになった.一方で,本地域は安政東海地震で隆起した記録もあり,状況は複雑である.また蒲原低地より西の由比川沿いでは,完新世を通じた隆起を示唆する段丘地形も存在することから,より活発な断層が今回のボーリング地点よりも西側に存在する可能性もある.今後はその位置の特定のため,沿岸の地形・地質調査を進めていく予定である.
本研究は文部科学省「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト(海洋研究開発機構委託)」の一環として実施した.ボーリング掘削は株式会社阪神コンサルタンツが実施した.珪藻分析はパリノ・サーヴェイ株式会社に依頼した.
掘削地点は富士川河口右岸から海岸沿いに約1.7 km西の標高6.5 mに位置し,深度97 m(標高-90 m)まで掘進して基盤の火成岩に達した.層相は基本的に砂礫からなるが,層厚1~5 m程度の腐植物混じりのシルト-粘土層がサイクリックに10層以上挟まっている.これらのシルト-粘土層中から植物遺体等を抽出し,年代測定を行ったところ.深度11.8 m(標高-5.3 m)で470-310 cal yBP(AD1480-1640),深度22.7 m(標高-16.2 m)で5895-5660 cal yBP,深度36.7 m(標高-30.2 m)で9255-9080 cal yBP,深度55.1 m(標高)で10,515-10,290 cal yBP,深度93.7 m(標高-87.2 m)で13,990-13,760 cal yBPであった.また珪藻分析の結果,湾奥浅海域から干潟,潟湖の環境を示す海水~汽水環境の珪藻群集が深度36 m以下の層準から得られた.しかしそれより上位の層準からは淡水生の珪藻がわずかに含まれるのみであり,海成の証拠は得られなかった.
以上の結果から,海面付近で堆積したと考えられる9000年前頃のシルト層は,標高-30 ~-32 m付近にあることがわかった.これをユースタティックな海水準(9000年前頃で標高-20~-30 m付近;遠藤,2015など)と比べると,ほぼ同じかやや低いレベルにある.また縄文海進頂期頃の年代を示すシルト層(淡水成の可能性)は標高-14~-18 mに分布し,現在の海面よりもかなり低い位置にある.これらの証拠は,この地点が活発な隆起をしておらず,むしろ沈降傾向にある可能性があることを示唆する.
本地域では,産業技術総合研究所(2016)が入山瀬断層推定位置の沈降側で,地下水調査のために掘削した深度300 mのボーリングコアがすでにある.それらの層相,年代から今回の掘削コアとの対比を試みたところ,5000-6000年前のシルト~粘土層は,入山瀬断層を挟んで12~14 m程度西側(隆起側)が高く,また11,000~12,000年前頃のシルト~粘土層は,同様に14~20 m程度西側(隆起側)が高かった.現段階では不確定要素も大きいが,仮に両者が堆積時に同レベルにあったとすると,平均1~2 m/千年程度の速度で上下変位し,かつ累積している可能性を指摘できる.
伊藤・山口(2016)は本地域で行った反射法地震探査から,地下に複数の断層の存在を確認しており,蒲原低地の地下に断層があることは間違いない.今回の調査の結果,その平均変位速度は1~2 m/千年程度で,従来推定されていたような7 m/千年もの活動を示す断層は確認できず,長期的にはむしろ蒲原低地が沈降している可能性もあることが明らかになった.一方で,本地域は安政東海地震で隆起した記録もあり,状況は複雑である.また蒲原低地より西の由比川沿いでは,完新世を通じた隆起を示唆する段丘地形も存在することから,より活発な断層が今回のボーリング地点よりも西側に存在する可能性もある.今後はその位置の特定のため,沿岸の地形・地質調査を進めていく予定である.
本研究は文部科学省「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト(海洋研究開発機構委託)」の一環として実施した.ボーリング掘削は株式会社阪神コンサルタンツが実施した.珪藻分析はパリノ・サーヴェイ株式会社に依頼した.