[SVC41-P34] 伊豆諸島,神津島火山南部における単成火山群の噴火史
神津島は,東京都心から南南西に約170 km離れた火山島であり,伊豆小笠原弧最北部から北東―南西方向に連なる銭(ぜに)洲(す)海嶺に属する.一色(1982)によれば,神津島火山は流紋岩質の単成火山群からなり,同じ銭洲海嶺にある新島火山(式根島を含む),伊豆大島南方の海底火山である大室ダシとともに,流紋岩マグマ由来の火山活動が認められる銭洲海嶺を特徴づけている(宇都,1983).
神津島火山の噴火史については,一色(1982)によれば,約10万~数万年前より現在まで,少なくとも16個の溶岩ドーム等の単成火山の形成を伴う噴火が発生したと考えられている.各火山体の形成順序については,津屋(1930),谷口(1977),一色(1982)等により検討されてきたが,各火山体が孤立して分布するため地形的な被覆関係が判断しづらいこと,また,神津島島内に分布する火砕堆積物は非常に類似し,露頭および顕微鏡下での観察のみではこれらの識別が困難であることから,各研究で推定された形成順序には大きな差異があった.また,各火山体を構成する火砕物,溶岩等を対象とした年代測定では,谷口(1980) による火山ガラスを用いた水和層法,福岡・磯 (1980) による黒曜石を用いたフィッション・トラック法,横山ほか (2003) による 石英を用いたESR 法による手法が試みられ,このほか,吉田(1991)によるレス(火山灰土)の厚さを用いた「レスクロノメトリー」によっても各火山体の形成年代を推定されてきた.しかし,各手法による年代値には大きなばらつきがあり,前述の地形・層序学的手法によって推定された各火山体の形成順序との関係も矛盾することが多いなど,現時点では,神津島火山全体の噴火史を構築する上で課題が多い.
本研究で対象とした神津島火山南部には,高処(たこうど)山溶岩ドーム,大沢溶岩ドーム,松山鼻溶岩が北西―南東方向の火山列が認められる(小林ほか,2018).また,同地域に分布するテフラとして,神津島火山の最新噴火(AD838年)による天上山火砕堆積物の下位に,菅ほか(1992,2003)よって定義された高処山,大沢,松山鼻の各火山体の形成に関連する秩父山火砕サージ堆積物‐A,B(以下,Cb-A,Cb-B)が認められる.菅ほか(1992)によると,姶良Tnテフラ(AT, 30 ka)の下位にCb-Bが,上位にCb-Aが堆積するとされている.また,菅ほか(2003)によれば,Cb-Bが高処山に向かって層厚を増していくこと,高処山を構成する溶岩とCb-Bの本質岩片の蛍光X線分析結果が一致することより,Cb-Bは高処山由来であるとされている.しかし,これらの火砕堆積物と各火山体との層序関係は明確にされてない.
そこで,本研究では,菅ほか(1992)により記載された神津島南西端の露頭「千両池」を模式地として,神津島火山南部に分布するCb-AおよびCb-Bに含まれる火山ガラスの主成分化学組成をもとに同地域に分布する火砕堆積物を識別するとともに,テフラ層序の構築と各火山体を構成する溶岩等との層序関係を明確にすることによって,同地域における単成火山群の噴火史を明らかにした.
EDSの主成分化学組成分析結果より,Cb-AはCb-BよりCaOに乏しく,K2Oに富むため識別が可能であることが明らかになった.現地での露頭観察より,Cb-Aは松山鼻溶岩の直上に堆積し赤色酸化を被っていることから, Cb-Aは松山鼻溶岩の流下直後に噴出したといえる.また,大沢溶岩の上にはCb-Aは堆積しないことから,大沢溶岩はCb-Aの噴出後に流下堆積したといえる.さらに,松山鼻の南方に位置する松山鼻よりも侵食された溶岩(長っ崎溶岩:新称)の上にはCb-Bが堆積しており,長っ崎溶岩は,高処山溶岩ドーム・松山鼻溶岩とは異なる時期に噴出したものであることを示唆している.
以上の結果から,神津島南部の単成火山群は,長っ崎溶岩,高処山溶岩ドーム,松山鼻溶岩,大沢溶岩ドームの順に形成したことが明らかになった.このうち,松山鼻溶岩は,溶岩の傾斜から大沢溶岩ドーム付近の給源を有すると推定される.なお,Cb-Aと天上山火砕堆積物の間にはパッチ状の火山砂主体のテフラを確認した.このテフラは,これまでの研究では知られてないものであり,神津島火山の噴火史を構築する上で新たな知見であり,現在さらなる検討を進めている.
神津島火山の噴火史については,一色(1982)によれば,約10万~数万年前より現在まで,少なくとも16個の溶岩ドーム等の単成火山の形成を伴う噴火が発生したと考えられている.各火山体の形成順序については,津屋(1930),谷口(1977),一色(1982)等により検討されてきたが,各火山体が孤立して分布するため地形的な被覆関係が判断しづらいこと,また,神津島島内に分布する火砕堆積物は非常に類似し,露頭および顕微鏡下での観察のみではこれらの識別が困難であることから,各研究で推定された形成順序には大きな差異があった.また,各火山体を構成する火砕物,溶岩等を対象とした年代測定では,谷口(1980) による火山ガラスを用いた水和層法,福岡・磯 (1980) による黒曜石を用いたフィッション・トラック法,横山ほか (2003) による 石英を用いたESR 法による手法が試みられ,このほか,吉田(1991)によるレス(火山灰土)の厚さを用いた「レスクロノメトリー」によっても各火山体の形成年代を推定されてきた.しかし,各手法による年代値には大きなばらつきがあり,前述の地形・層序学的手法によって推定された各火山体の形成順序との関係も矛盾することが多いなど,現時点では,神津島火山全体の噴火史を構築する上で課題が多い.
本研究で対象とした神津島火山南部には,高処(たこうど)山溶岩ドーム,大沢溶岩ドーム,松山鼻溶岩が北西―南東方向の火山列が認められる(小林ほか,2018).また,同地域に分布するテフラとして,神津島火山の最新噴火(AD838年)による天上山火砕堆積物の下位に,菅ほか(1992,2003)よって定義された高処山,大沢,松山鼻の各火山体の形成に関連する秩父山火砕サージ堆積物‐A,B(以下,Cb-A,Cb-B)が認められる.菅ほか(1992)によると,姶良Tnテフラ(AT, 30 ka)の下位にCb-Bが,上位にCb-Aが堆積するとされている.また,菅ほか(2003)によれば,Cb-Bが高処山に向かって層厚を増していくこと,高処山を構成する溶岩とCb-Bの本質岩片の蛍光X線分析結果が一致することより,Cb-Bは高処山由来であるとされている.しかし,これらの火砕堆積物と各火山体との層序関係は明確にされてない.
そこで,本研究では,菅ほか(1992)により記載された神津島南西端の露頭「千両池」を模式地として,神津島火山南部に分布するCb-AおよびCb-Bに含まれる火山ガラスの主成分化学組成をもとに同地域に分布する火砕堆積物を識別するとともに,テフラ層序の構築と各火山体を構成する溶岩等との層序関係を明確にすることによって,同地域における単成火山群の噴火史を明らかにした.
EDSの主成分化学組成分析結果より,Cb-AはCb-BよりCaOに乏しく,K2Oに富むため識別が可能であることが明らかになった.現地での露頭観察より,Cb-Aは松山鼻溶岩の直上に堆積し赤色酸化を被っていることから, Cb-Aは松山鼻溶岩の流下直後に噴出したといえる.また,大沢溶岩の上にはCb-Aは堆積しないことから,大沢溶岩はCb-Aの噴出後に流下堆積したといえる.さらに,松山鼻の南方に位置する松山鼻よりも侵食された溶岩(長っ崎溶岩:新称)の上にはCb-Bが堆積しており,長っ崎溶岩は,高処山溶岩ドーム・松山鼻溶岩とは異なる時期に噴出したものであることを示唆している.
以上の結果から,神津島南部の単成火山群は,長っ崎溶岩,高処山溶岩ドーム,松山鼻溶岩,大沢溶岩ドームの順に形成したことが明らかになった.このうち,松山鼻溶岩は,溶岩の傾斜から大沢溶岩ドーム付近の給源を有すると推定される.なお,Cb-Aと天上山火砕堆積物の間にはパッチ状の火山砂主体のテフラを確認した.このテフラは,これまでの研究では知られてないものであり,神津島火山の噴火史を構築する上で新たな知見であり,現在さらなる検討を進めている.