[HGM04-P11] 遷急点の後退からみた大隅半島串良川における阿多火砕流堆積以降の下刻過程
キーワード:阿多溶結凝灰岩、遷急点、笠野原、串良川、海水準変動
笠野原の北縁を流れる串良川の河谷では、大隅降下軽石層の下位に阿多溶結凝灰岩が存在する(荒牧・宇井 1966).阿多溶結凝灰岩は谷田滝から上流で串良川河床に露出し,複数の遷急点を構成している.笠野原では入戸火砕流堆積物の侵食過程が横山(2000)によって明らかにされているが,阿多溶結凝灰岩の侵食に関しては不明である.そこで本研究は,串良川の阿多溶結凝灰岩形成(11万年前)から大隅降下軽石堆積(3万年前)までの8万年間,および最近3万年間のそれぞれにおける下刻過程を河床縦断形の変化により明らかにし,さらに,3期間(11万年間・8万年間・3万年間)での遷急点の平均後退速度を推定した.
まず,露頭調査やボーリングデータの整理によって得られた阿多溶結凝灰岩の上端および大隅降下軽石基底の高度をそれぞれ串良川の現河床縦断形に投影し,それらを阿多溶結凝灰岩の侵食開始時(11万年前),大隅降下軽石堆積直前(3万年前)における串良川の河床縦断形の上限とみなした.次いで11万年前・3万年前・現在の河床縦断形を互いに比較し,各河床縦断形上に認定された遷急点(現在の谷田滝)を対応づけて,平均後退速度を求めた.また,阿多溶結凝灰岩の一軸圧縮強度をシュミットロックハンマーKS型によって13地点で測定した.
復元された河床縦断形は,11万年前の串良川が阿多溶結凝灰岩のなだらかな台地上を流れ,現在の河口から16 km付近に遷急点を伴っていたことを示す.この遷急点が現在の谷田滝の位置まで後退してきたと理解されることから,その平均後退速度は過去11万年間で5.4 cm/年と推定される.なお,阿多溶結凝灰岩の一軸圧縮強度は谷田滝の河床で突出して大きい値(421×106N/m2)を示し,全体として下部ほど大きいという鉛直的変化がみられた.したがって,11万年前に形成された遷急点は河口から26 km付近に現存する遷急点にも対応づけられると考えた.この場合,過去11万年間の平均後退速度は8.6 cm/年となる.また,3万年前には河床縦断形が直線的かつ急勾配になり,阿多溶結凝灰岩を刻む串良川河谷は下流側ほど深くなっていたことが明らかとなった.このとき,現在の谷田滝に相当する遷急点は河口から19 km地点よりも下流側に存在し,11万年前から3万年前までの8万年間では最小でも2.6 cm/年,最近3万年間には最大で10 cm/年の後退速度であったといえる.
以上により,11万年前から3万年前までの間にも,串良川では阿多溶結凝灰岩の侵食が遷急点の後退とともに進行し,河床は低下していったと判断される.また,阿多溶結凝灰岩台地形成後に進行した串良川の下刻には,最終氷期における海面低下の寄与が大きいことも明らかとなった.
本研究には明治大学文学部の阿部英雄研究奨励金を使用した.
文献
荒牧重雄・宇井忠英(1966)阿多火砕流と阿多カルデラ.地質学雑誌 72:337-349.
横山勝三(2000)鹿児島県笠野原台地の地形と形成過程.地形 21:277-290.
まず,露頭調査やボーリングデータの整理によって得られた阿多溶結凝灰岩の上端および大隅降下軽石基底の高度をそれぞれ串良川の現河床縦断形に投影し,それらを阿多溶結凝灰岩の侵食開始時(11万年前),大隅降下軽石堆積直前(3万年前)における串良川の河床縦断形の上限とみなした.次いで11万年前・3万年前・現在の河床縦断形を互いに比較し,各河床縦断形上に認定された遷急点(現在の谷田滝)を対応づけて,平均後退速度を求めた.また,阿多溶結凝灰岩の一軸圧縮強度をシュミットロックハンマーKS型によって13地点で測定した.
復元された河床縦断形は,11万年前の串良川が阿多溶結凝灰岩のなだらかな台地上を流れ,現在の河口から16 km付近に遷急点を伴っていたことを示す.この遷急点が現在の谷田滝の位置まで後退してきたと理解されることから,その平均後退速度は過去11万年間で5.4 cm/年と推定される.なお,阿多溶結凝灰岩の一軸圧縮強度は谷田滝の河床で突出して大きい値(421×106N/m2)を示し,全体として下部ほど大きいという鉛直的変化がみられた.したがって,11万年前に形成された遷急点は河口から26 km付近に現存する遷急点にも対応づけられると考えた.この場合,過去11万年間の平均後退速度は8.6 cm/年となる.また,3万年前には河床縦断形が直線的かつ急勾配になり,阿多溶結凝灰岩を刻む串良川河谷は下流側ほど深くなっていたことが明らかとなった.このとき,現在の谷田滝に相当する遷急点は河口から19 km地点よりも下流側に存在し,11万年前から3万年前までの8万年間では最小でも2.6 cm/年,最近3万年間には最大で10 cm/年の後退速度であったといえる.
以上により,11万年前から3万年前までの間にも,串良川では阿多溶結凝灰岩の侵食が遷急点の後退とともに進行し,河床は低下していったと判断される.また,阿多溶結凝灰岩台地形成後に進行した串良川の下刻には,最終氷期における海面低下の寄与が大きいことも明らかとなった.
本研究には明治大学文学部の阿部英雄研究奨励金を使用した.
文献
荒牧重雄・宇井忠英(1966)阿多火砕流と阿多カルデラ.地質学雑誌 72:337-349.
横山勝三(2000)鹿児島県笠野原台地の地形と形成過程.地形 21:277-290.