JpGU-AGU Joint Meeting 2020

講演情報

[J] 口頭発表

セッション記号 S (固体地球科学) » S-SS 地震学

[S-SS16] 活断層と古地震

コンビーナ:小荒井 衛(茨城大学理学部理学科地球環境科学コース)、近藤 久雄(産業技術総合研究所 活断層・火山研究部門)、大上 隆史(産業技術総合研究所 地質調査総合センター)、佐藤 善輝(産業技術総合研究所 地質情報研究部門 平野地質研究グループ)

[SSS16-06] 和歌山県串本町橋杭岩周辺に分布する漂礫から推定される南海トラフの地震

★招待講演

*行谷 佑一1前杢 英明2宍倉 正展1越後 智雄3 (1.国立研究開発法人 産業技術総合研究所、2.法政大学、3.一般財団法人 地域地盤環境研究所)

キーワード:漂礫、橋杭岩、南海トラフ、津波

西暦1707年に南海トラフ沿いで発生した宝永地震は,繰り返した発生してきた南海トラフ沿いの地震の中でももっとも大きな地震であったことが知られている.言い換えるならば,宝永地震よりも大きな地震が過去に発生したかについては,史料からも地質学的なデータからもよくわかっていないのが現状である.この観点で,本研究では和歌山県串本町橋杭岩に分布する漂礫に着目し,宝永地震よりも大きな地震が発生したかについて検討したので報告する.

 橋杭岩は串本町の東岸に位置する,南北に直線的に並ぶ巨岩列である.巨岩列の西側には泥岩からなる波蝕ベンチが広がり(たとえば豊島, 1968),その上に千個以上の漂礫が分布する.この漂礫は橋杭岩と同じ石英安山岩からなり(広川・水野, 1965),橋杭岩から分離して落下し現在の位置にまで運ばれたと考えられる.運んだ営力としては,津波かあるいは高潮といった海水による力が挙げられる.

 まず,既往最大とされる宝永地震による津波により,漂礫が移動するかについて検討した.初期条件として,宝永地震直前の漂礫の位置を知る必要があるが,それを推定するのは現状では困難である.そこで,現在の位置と動かされる前の位置とは近接していると仮定し,漂礫が現在の位置にあった場合を検討した.津波の初期水位分布については,宝永地震の断層モデル(Ando, 1975; 相田, 1981a, 1981b; 安中ほか, 2003; Furumura et al., 2011)を利用した.またこれに加え,紀伊半島沖の分岐断層(Park et al., 2002)も破壊するモデルについて検討を行った.これらのモデルにより計算された初期水位分布により津波の浸水計算を実施し,各漂礫の位置における浸水深や流速などを計算した.さらに各漂礫に働く流体力を計算し,漂礫と地面との間の最大静止摩擦力を越えるか否か,という基準で漂礫の移動の有無を判断した.この結果,いずれのモデルによる津波でも,多くの漂礫が動くものの,一方で現在の位置から動かない漂礫が存在することが明らかになった.

 上述の通り,漂礫の母岩は橋杭岩であり,もともとは橋杭岩から分離して落下した位置にあったと推定される.そこで漂礫が分布するベンチを10の区画に分け,漂礫はその区画内のもっとも橋杭岩に近い場所のどこかにあったと仮定し,その中でもっとも大きく受ける流体からの力を計算した.この結果,宝永地震モデルでは依然として動かない礫が存在したが,分岐断層もすべるモデルの場合,全ての漂礫が移動する結果となった.すなわち,橋杭岩の漂礫の分布は宝永地震よりも大きな地震の存在を示していると考えられる.

 一方,漂礫は津波だけではなく高潮によっても移動することが確認された.ただし移動を確認した漂礫の大きさは2.6 ton程度であり全漂礫の中では軽いものに分類される.詳しくは本学会の前杢ほかの発表を参照されたい.