日本地球惑星科学連合2021年大会

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[O-07] 高校生ポスター発表

2021年6月6日(日) 13:45 〜 15:15 Ch.27

コンビーナ:原 辰彦(建築研究所国際地震工学センター)、道林 克禎(名古屋大学 大学院環境学研究科 地球環境科学専攻 地質・地球生物学講座 岩石鉱物学研究室)、久利 美和(気象庁)、紺屋 恵子(海洋研究開発機構)

13:45 〜 15:15

[O07-P42] 1923年関東地震後に生じた流言による埼玉県北西部での人々の混乱

*篠田 海遥1 (1.栄東高等学校)

キーワード:1923年関東地震、流言、埼玉県北西部

1923(大正十二)年9月1日に発生した関東地震では、埼玉県熊谷市、本庄市、上里町、寄居町、深谷市といった県の北西部における揺れによる被害はほとんど報告されていない。その一方で、地震の1〜2日後に生じた流言により人々が大きく混乱し、その結果として多くの朝鮮人が犠牲となってしまったという記録が残っている。本研究では、現地に残されている石碑や文献資料の調査により、当時発生した流言についての詳細を追跡し、原因を考察した。今後起こりうる地震等の災害時に、流言による人々の混乱という人的災害の発生の回避に活かすことを目的とした。
 石碑に残されている記録の1つとして、熊谷市熊谷寺の大原墓地(熊谷市大原2丁目4)に建てられている「供養塔」の裏面に、当時の状況が記されている(図1)。碑文には、東京方面で突如発生した関東大震災が、何万人もの人名と何百億円もの財産が一瞬にして奪われる未曾有の大災害であったことが述べられている。流言に関しては、交通機関や通信機関が一時途絶えてしまい、多数生じた流言の真偽を確かめる手段が無かったことや、震災の惨状による人々の不安が流言を広げてしまったことも明記されている。この供養塔は、熊谷市(当時の大里郡熊谷町)内において犠牲になった人の慰霊と、当時の状況を後世に伝えるメッセージボードの役割を担っている。
 また、流言が広まっていく過程を詳しく紹介している貴重な資料の1つとして、松原(2013)を挙げられ、事件の発生に至るまでの経緯を表1のように追跡できる。「供養塔」にも記されているように、9月1日の関東地震の発生直後には、東京方面の鉄道や電信は遮断されてしまい、東京では1つの新聞社のみが地震による被害を免れた。9月3日に発行された号外に、東京で最初に発生した流言が「不逞鮮人各所に放火し 帝都に戒厳令」等と掲載されてしまった。また、埼玉県の浦和から熊谷方面へ通じる高崎線は運転されていたため、東京方面から徒歩で浦和までたどり着いて列車で熊谷方面へ避難をする人々から流言が広げられた。その結果、埼玉県北西部域に住んでいた朝鮮人や東京方面から避難をしてきた朝鮮人が多数虐殺される事件に発展し、熊谷市と本庄市では合わせて150人程が犠牲になったとされている。
 流言が伝播してしまう要因について廣井(2001)には、流言についての本質的特徴5つ(少なくても数人の口を経る連鎖的コミュニケーション・秘密の色彩を帯びた口コミの情報・推測に基づく事実の確証は無いまま語られる情報・情報内容の歪曲・恐怖や不安といった伝える人々の感情)が述べられている。また、流言が広く伝幡されやすいのは、自身の生活に関わる重要性と情報が不足した状態の曖昧性という両方の条件が揃った場合であると紹介されている。大きな災害の発生直後にはこのような条件が揃い、流言の本質的特徴が顕著に現れやすいと述べられている。流言の発生は本研究で調査を進めている関東地震の発生後だけではなく、1854(嘉永七)年の安政地震や1891(明治二十四)年の濃尾地震、1991(平成三)年の雲仙普賢岳の火砕流といった大きな災害のたびに流言による被害が繰り返し起こっている。
 このことから、流言は今後起こる災害でも発生し得ることを知っておくべきである。今日ではSNSも発達し、誰もが即座に情報を発信することができるようになった。そのため、その分だけ流言も発生しやすくなった。だからこそ、これまで以上に日頃から日常生活で得られる様々な情報の信憑性について考える必要があり、緊急時には流言に迷わされることのないように冷静に対処するべきである。