日本地球惑星科学連合2022年大会

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[J] 口頭発表

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[G-02] 地震火山地質こどもサマースクールのこれまでとこれから

2022年5月22日(日) 09:00 〜 10:30 104 (幕張メッセ国際会議場)

コンビーナ:柴田 伊廣(文化庁文化財第二課天然記念物部門)、コンビーナ:松原 誠(防災科学技術研究所)、横山 光(北翔大学)、コンビーナ:松田 達生(株式会社 工学気象研究所)、座長:柴田 伊廣(文化庁文化財第二課天然記念物部門)、横山 光(北翔大学)

09:00 〜 09:15

[G02-01] 地震火山こどもサマースクールと火山学者ー子供たちとの交流から私が得たもの

★招待講演

*林 信太郎1 (1.秋田大学大学院教育学研究科)

キーワード:地震火山こどもサマースクール、火山学者

地震火山地質こどもサマースクール(2019年までは地震火山こどもサマースクール)は,地震・火山・地質の第一線で活躍する専門家が、こどもたちと同じ視点でフィールドワークや実験などのプログラムに取り組み,私たちの身の回りの景色にある大地の成り立ちのヒミツを発見する現地巡検を交えた子ども(小学校5年生から高校生)向けのワークショップである。1999年以来ほぼ毎年開催されてきた。講演者の林はそのうち10回のサマースクールに参加してきた。今回は研究者の視点から見たサマースクールの意義について述べたい。
今回の講演のテーマとしたのは,第14回および第18回の地震火山こどもサマースクールである。
第14回の地震火山こどもサマースクールは,「南からきた大地の物語」と題して,静岡県の下田市(伊豆半島の先端)で2013年8月3日から4日に行われた。主任講師は静岡大学の小山真人教授で,伊豆半島ジオパークの全面的な協力のもと開催された(ものすごい負担をかけた)。バスで伊豆半島の各地を回り,実験会場で実験を行い,専門家と議論しながら,「何を学んだか」「何を考えたか?」子どもたちのプレゼンテーションがあった。
この中で林は実験担当である。伊豆半島は,過去には海底火山だったが,本州への衝突の過程で隆起し,海底火山が地表にあらわれている.このむずかしい概念を子どもたちに理解させるためには,ハイアロクラスタイトなどが,海底で噴出したものであることを納得させる必要がある.ハイアロクラスタイトをサマースクールでは「パリパリ溶岩」とよび,「パリパリ」割れる所を実験で見せるために「パリパリ溶岩実験」を行なった。これはガラス棒の先端をバーナーで熱して,それを水中にいれて水冷破砕現象が起きるところを観察するという実験である。子どもたちへのヒアリングでは,「角ばったかけらができた」「泡が出ていた」など,ねらい通りの反応があったことがわかった。火山や地学にたいへん詳しい小学校6年生の参加者Mさんにヒアリングを行ったところ,「できあがったガラスと崖で見た岩の大きさがちがっていたが,実験をみていたので水中溶岩のでき方はわかった.」とのことであった。
第18回の地震火山こどもサマースクールは,「熊本地震で見つけた大地の秘密」というタイトルで,2017年8月9日から10日に熊本県益城町で開催された。益城町は,2016年4月14日,16日の熊本地震で大きな被害を受けている。小学校4年生から大学生までの約30人がバスに乗って町内を観察し,益城町杉堂の潮井神社では熊本地震の地表断層を,採石場では軽石を見学している。津森小学校6年生山田太陽君は,ずれた断層を見て地震のパワーを感じた。火砕流が新幹線くらい早いと聞いてびっくりした」と熊本日日新聞の取材に答えている。益城町交流情報センターで実験を行い,発表会を行なった。
この回でも林は実験担当で,火山学会の横山光氏と共に入浴剤による火砕流実験,食パンを使った湧水実験を行なった。
これらのサマースクールに参加した専門家として得たものはなんだろうか?
面白い場面が2回ほどあったので,紹介したい。第14回の伊豆半島における地震火山こどもサマースクールではこんな場面があった。スコリアを酸化させる実験を実験室で行ったと,実際の露頭を見ることになった。すると,研究者自身が気がついていなかったのだが,そのスコリア層の中には酸化した赤いスコリアが含まれていることをある子供が発見した。「これは陸上で噴火したもの」とその子は言ったのだが,その子が去ったそのあともそこにいた火山学者(確か3名)は延々と議論を続けることになった。実験と実物をすぐに結びつける子供の力に驚くと共に,専門家でも先入観があると見落としがあるということを発見した。
第18回の益城町における地震火山こどもサマースクールでは,熊本地震という災害を経て成長した子供の姿を見ることができた。普通はこのような子供と接する機会はなく,専門家としてそれを知る機会はこどもサマースクールをおいてなかったと思う。小学生も避難所では役割があり,益城町の子供たちは社会の一員であるという意識が非常に強いという印象を受けた。また,「普段のふつうの生活がとても価値があることがわかった」という言葉にも強い印象を受けた。困難を乗り越える中で「幸福のハードル」が下がったと思われるのだが,これを教育に活かせないだろうか?