日本地球惑星科学連合2022年大会

講演情報

[J] 口頭発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-IS ジョイント

[M-IS22] 歴史学×地球惑星科学

2022年5月27日(金) 13:45 〜 15:15 202 (幕張メッセ国際会議場)

コンビーナ:加納 靖之(東京大学地震研究所)、コンビーナ:芳村 圭(東京大学生産技術研究所)、岩橋 清美(國學院大學)、コンビーナ:玉澤 春史(京都市立芸術大学)、座長:芳村 圭(東京大学生産技術研究所)、加納 靖之(東京大学地震研究所)

14:00 〜 14:30

[MIS22-02] 古文書にみる近世日本の災害復旧

★招待講演

*高野 宏峰1 (1.中央大学政策文化総合研究所)

キーワード:災害、水害、往還

江戸時代の災害は古文書からうかがい知ることができる。例えば災害を受けた村が、その復旧を領主へ願う文書から、被害状況や災害復旧の様子がわかる。
本報告では道に関する災害復旧の事例として、山梨県早川町に所在した京ヶ島村の中川原往還を扱う。この往還の復旧の方法は、台風などの出水の結果として早川の流路が変化し、川原を通っている往還をふさいだ状態を解消するため、治水の技術を用いて流路を元に戻すというものである。治水と一体化した通行維持と往還使用の実態について見ていきたい。
 江戸時代の村々では、領主と村の百姓たちとの意思疎通は基本的に文書のやりとりで行なわれていた。領主からは宿継(しゅくつぎ)・村継(むらつぎ)で村々へ文書が回覧されるので、文書は人の手によって村の道を通ることになる。その道は文書送達のほかにも物資の運搬や近隣村々への交通、耕作地への通行など、生活のためにも利用される大切な存在であり、その道の維持は沿道村が担っていた。
 中川原往還の通行維持のために江戸時代を通じて行われていたのが「瀬堀水留御普請」である。早川が暴風雨などで「満水」となると、中川原北部が掘りこまれる。水が引いたあとも中川原北方の京ヶ島村の耕地や岩山の側へ流路が変わり、中川原往還を寸断してしまう。往還不通の状態を解消するため、京ヶ島村は御普請願を出して幕府から費用や資材の提供を受けて普請を行なった。これは「瀬堀水留御普請」などと称され、満水の後で新たに生じた新川に変ってしまった流路を元々の流路である古川へ戻すため、新川へ「〆切」、古川へ「堀川」を施すものであった。「〆切」は新川に笈牛(おいうし)などを入れ、根太(ねだ)・枝・柴で補強してそこへ水が流れるのを防ぐものである。「堀川」は、新川の流れを古川へ導水するため、古川側の河床を掘り下げるものである。
また、中川原往還の被害程度が少なければ、仮橋をかけたり、小規模の「〆切」や「堀川」を施すなど、村の側で費用を負担して応急的な処置を行なった。さらに川原をさけて山をまわって通行することで連絡を維持した。このように古文書を読み解くことで、江戸時代の人びとが災害にどのように立ち向かったのかを捉えることができる。