日本地球惑星科学連合2022年大会

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[J] 口頭発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-ZZ その他

[M-ZZ50] 地球科学の科学史・科学哲学・科学技術社会論

2022年5月27日(金) 09:00 〜 10:30 101 (幕張メッセ国際会議場)

コンビーナ:矢島 道子(東京都立大学)、コンビーナ:山田 俊弘(大正大学)、コンビーナ:青木 滋之(中央大学文学部)、コンビーナ:山本 哲、座長:山本 哲山田 俊弘(大正大学)

10:00 〜 10:15

[MZZ50-05] 望月勝海と地学史記述――1940年代の科学史への関心を考慮して

*山田 俊弘1 (1.大正大学)

キーワード:望月勝海、地学史記述、科学史への一般的関心、地体構造論史、1940年代

望月勝海(1905-1963)による、1940年代、戦中から戦後にかけての地学教育への寄与についてはすでに分析した(山田 2019)。本発表では、同じ時期に見られた科学史研究への一般的な期待感を背景に(溝口ほか 2019)、望月がどのような背景から地質学史に関心をもち、戦後の『日本地学史』(1948)を執筆するにいたったか、当時の日記に残る記録から探究したい。
『日記』25巻、1943年3月11日の項には「日本科学史学会の茂串茂氏より来状」として、「科学史辞典」(全五巻、索引一巻、河出書房内にて編纂)の地質学関係項目(地質学史、地史学史、古生物学史及び各科の人名等)について執筆の打診があったことが見える。東京帝大の地質学者小林貞一助教授の推薦によるものだった。望月は5月までに2回に分けて原稿を出版社に送っている。1回分には、キルヒャーや、アガシー、小沢儀明など12件、第2回には、アルドゥイーノや、ウァレニウス、古生物学、小藤文次郎など14件が含まれていた(5月18日)。
その後、6月3日になると、「久し振の心地してツィッテルの「地質学古生物学史」中の造山運動論史を訳出」という記述が見られ、7月1日までに「295-323頁までを終了した」。ちょうどこの時期、望月はアジア太平洋地域の地体構造論をまとめており、自身の問題意識から学史のサーベイを行っているのがわかる。また、望月は元来の読書好きと人文主義的な関心から地理学の講義に歴史的文化的な内容を盛り込んでおり、書籍の蒐集もしていた。しかし、1945年6月20日の静岡大空襲で、資料類を焼かれてしまう。
戦後の混乱期を経て、『日記』30巻、1947年2月8日の項には、平凡社より「平凡社全書」のシリーズに『日本地学史』を書いて欲しいという依頼があったことが記録されている。「大いに考え」たすえ引き受け、その年の夏休みを中心に執筆、1948年3月に出版した。比較的短期間の仕事にもかかわらず、独自の見識とナラティヴが反映した「名著」となった。
このように、1941年に創立された日本科学史学会の企画が刺激となって地学史の執筆活動が始まり、自身の研究や教授との関係で資料集めと読解が進み、20世紀前半までの〈地学〉諸分野、とくに地体構造論史に目配りした史書が成立した。
【文献】 
溝口元ほか(2019):「日本における黎明期の科学史研究と戦後の復興」科学史研究、58、249-299。
山田俊弘(2019):「〈地学教育〉の間隙と転轍:地質学者望月勝海の日記に見る1940年代」研究室紀要(東京大学大学院教育学研究科基礎教育学研究室)、45、105-115。