15:30 〜 15:45
[SVC29-07] 富士火山、宝永噴火の最初期相
キーワード:富士火山、宝永噴火、前駆活動、ハザードマップ
1707年の富士山宝永噴火は、比較的例の少ない大規模爆発的噴火であり、降灰被害が広域に及んだことから富士山ハザードマップや避難計画策定において重要視されている。宝永噴火は、これまで遠方相の降下火砕物ならびに豊富な歴史史料から噴火推移が考察され、デイサイト質マグマの噴出から開始する噴火モデルやマグマ供給系が提示されてきた(藤井, 2007など)。近年、筆者らの研究によって、宝永山は火山噴出物が降り積もって形成された火砕丘であることが明らかになり(馬場ほか, 投稿中)、宝永噴火の噴火推移を再検証する必要が生じた。火口近傍は宝永噴火最初期相の露出に乏しいことから、宝永噴火最初期の噴火事象を検討するため、宝永火口から東に2-20km圏内の地質調査を実施した。その結果、宝永噴火の最初期相とみなされてきた白色降下軽石層(例えば、Ho-Ia: 宮地, 1984)の直下にあり、これまで多くの場合、黒色土壌層(例えば、S24-10: 上杉, 2003)とみなされてきた黒~暗灰色火砕物層が宝永噴出物の最初期相である可能性を見出したため報告する。
黒~暗灰色火砕物層は、黒~暗灰色火山灰と赤色~黒色スコリアや溶岩などの火山礫からなる基質支持の堆積物である。少量ではあるが2~5 mmの淡褐色軽石や数cmの斑れい岩片も含まれている。火砕物層の上部と底部には厚さ5 mm程度の赤褐色火山灰層が確認できる。黒色スコリアはよく発泡したガラス質であり、構成割合の過半を占めることから、この黒色スコリアとその細粒破片である黒~暗灰色火山灰が本質物と考えられる。黒色スコリアのガラス部のEDS・EPMA分析結果は、宝永噴出物中の玄武岩質マグマ(Ho-III・IV)と類似する化学組成範囲内にある。また、黒~暗灰色火砕物層中の淡褐色軽石は,宝永噴火初期の白色軽石(Ho-Ia)と類似する化学組成範囲内にある。
黒~暗灰色火砕物層は、炭化木などの有機質に富み、標高900 m以上の高標高域では菌核粒子が含まれる。炭化木・菌核粒子の14C年代結果やHo-Ia直下であること、構成する火砕物の化学組成範囲から、黒~暗灰色火砕物層は宝永噴火最初期の堆積物と考えられる。黒~暗灰色火砕物層の上面はほぼ水平な堆積面をしているのに対して、下面は波打って下位の褐色火山灰質土壌層を覆う。この黒~暗灰色火砕物層は宝永火口から東に約4.5 kmの太郎坊(層厚~13 cm)や約10.5 kmの小山町須走(層厚~35 cm)にかけて確認できるが、約17 kmの大御神以東では確認されていない。粒度分析の結果は、中央粒径(Mdφ)が-0.22~0.93 phi、淘汰度(σφ)が1.96~3.01 phiである。層厚が給源火口からの距離に比例せず谷埋めして堆積していることから、黒~暗灰色火砕物層は降下堆積物でなく火砕流などの流れ堆積物と考えられる。宝永火口より北東に約15 kmの山中湖の湖底堆積物(YA-1)にも約2 cm厚の本層が確認できることから、広域に拡散していると考えられるが詳細な分布域については現在調査中である。
歴史史料の記述に基づき、富士山では1707年12月15日夜から地震が続いたのち、翌16日10時頃に噴火が開始したと推定されている(小山, 2009など).小山(2009)によれば、史料に記述されている噴火事象・時刻の信頼性は課題としてあるものの、 16日8時頃に小山町生土では「黒雲出、四方より一天をおおう」、御殿場市山之尻では「西の方より石礫降り下り震動雷電しきりにして、天地も暗闇ばかりなり」などの記録も残されている。小山町生土や御殿場市山之尻はいずれも宝永火口から約17 km以上離れた村落であり、黒~暗灰色火砕物層の分布も現時点で確認されていないことから、須走村を始めとする御厨領(富士東麓)が火砕流堆積物に飲み込まれる様子を目撃した記述である可能性が高い。
本研究の成果は、これまで黒色土壌層(S24-10など)として認知されてきた層準が宝永噴出物であり、宝永噴火の最初期相に玄武岩質マグマが噴出したことなど宝永噴火の噴火推移ならびにマグマ供給系の解釈に関して改訂を迫るものである。黒~暗灰色火砕物層は宝永噴火初期のHo-Ia直下にあることから、準プリニー式噴火に前駆する火山活動であり、Ho-Zeroと呼称することを提案する。
黒~暗灰色火砕物層は、黒~暗灰色火山灰と赤色~黒色スコリアや溶岩などの火山礫からなる基質支持の堆積物である。少量ではあるが2~5 mmの淡褐色軽石や数cmの斑れい岩片も含まれている。火砕物層の上部と底部には厚さ5 mm程度の赤褐色火山灰層が確認できる。黒色スコリアはよく発泡したガラス質であり、構成割合の過半を占めることから、この黒色スコリアとその細粒破片である黒~暗灰色火山灰が本質物と考えられる。黒色スコリアのガラス部のEDS・EPMA分析結果は、宝永噴出物中の玄武岩質マグマ(Ho-III・IV)と類似する化学組成範囲内にある。また、黒~暗灰色火砕物層中の淡褐色軽石は,宝永噴火初期の白色軽石(Ho-Ia)と類似する化学組成範囲内にある。
黒~暗灰色火砕物層は、炭化木などの有機質に富み、標高900 m以上の高標高域では菌核粒子が含まれる。炭化木・菌核粒子の14C年代結果やHo-Ia直下であること、構成する火砕物の化学組成範囲から、黒~暗灰色火砕物層は宝永噴火最初期の堆積物と考えられる。黒~暗灰色火砕物層の上面はほぼ水平な堆積面をしているのに対して、下面は波打って下位の褐色火山灰質土壌層を覆う。この黒~暗灰色火砕物層は宝永火口から東に約4.5 kmの太郎坊(層厚~13 cm)や約10.5 kmの小山町須走(層厚~35 cm)にかけて確認できるが、約17 kmの大御神以東では確認されていない。粒度分析の結果は、中央粒径(Mdφ)が-0.22~0.93 phi、淘汰度(σφ)が1.96~3.01 phiである。層厚が給源火口からの距離に比例せず谷埋めして堆積していることから、黒~暗灰色火砕物層は降下堆積物でなく火砕流などの流れ堆積物と考えられる。宝永火口より北東に約15 kmの山中湖の湖底堆積物(YA-1)にも約2 cm厚の本層が確認できることから、広域に拡散していると考えられるが詳細な分布域については現在調査中である。
歴史史料の記述に基づき、富士山では1707年12月15日夜から地震が続いたのち、翌16日10時頃に噴火が開始したと推定されている(小山, 2009など).小山(2009)によれば、史料に記述されている噴火事象・時刻の信頼性は課題としてあるものの、 16日8時頃に小山町生土では「黒雲出、四方より一天をおおう」、御殿場市山之尻では「西の方より石礫降り下り震動雷電しきりにして、天地も暗闇ばかりなり」などの記録も残されている。小山町生土や御殿場市山之尻はいずれも宝永火口から約17 km以上離れた村落であり、黒~暗灰色火砕物層の分布も現時点で確認されていないことから、須走村を始めとする御厨領(富士東麓)が火砕流堆積物に飲み込まれる様子を目撃した記述である可能性が高い。
本研究の成果は、これまで黒色土壌層(S24-10など)として認知されてきた層準が宝永噴出物であり、宝永噴火の最初期相に玄武岩質マグマが噴出したことなど宝永噴火の噴火推移ならびにマグマ供給系の解釈に関して改訂を迫るものである。黒~暗灰色火砕物層は宝永噴火初期のHo-Ia直下にあることから、準プリニー式噴火に前駆する火山活動であり、Ho-Zeroと呼称することを提案する。