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[HCG22-02] 地形解析に基づく青森県八戸市大須賀海岸における2011年東北沖津波による海岸侵食過程
キーワード:侵食、砂丘、地中レーダ、津波、2011年東北沖津波
津波により、堆積のみならず侵食によっても大規模地形変化が生じる。特に津波による堆積作用については、過去の津波履歴や規模の情報が得られることから盛んに研究がなされており、2011年東北沖津波の堆積物についても分布や特徴が明らかにされてきた(Goto et al., 2021)。一方で2011年東北沖津波については、侵食作用についても他のイベントに比べて詳細な研究がなされてきた(Tanaka et al., 2012など)。しかし、侵食は堆積に比べ生じる面積が狭く、保存されにくいという特性からあまり研究が進んでおらず、そのプロセスや地域差については十分に議論されていない。
そこで本研究では、青森県八戸市にある大須賀海岸に着目した。大須賀海岸は、長さ約1 km、幅約300 mと東北地方北部の太平洋岸では規模の大きい砂浜海岸である。三陸復興国立公園の一部として保護活動を受けてきたため、2011年東北沖津波から10年以上が経過しても大きな復興事業が行われておらず,東北沖津波による大須賀海岸においての侵食・堆積の地形変化痕跡は現在でも認めることができる。津波は当時存在していた標高7 m程度の砂丘を越え、海岸低地を浸水させた。津波直後に調査を行った鎌田(2011)によると、①砂丘背後で厚く急激に内陸薄層化する砂質津波堆積物の存在、②海岸線に直交する大規模な谷の砂丘での形成、③海岸低地での浸水深は約3 m,などが報告されている。鎌田(2011)は、津波は砂丘を乗り越え、砂丘の陸側へ海浜砂・砂丘砂を堆積させるとともに、強い引き波によって大規模な侵食地形が砂丘に残されたと考えた。しかしながら侵食過程については不明な点が多く、プロセスの解明には至っていない。そこで本研究では、大須賀海岸での2011年東北沖津波による侵食プロセスの解明を目的とした。
本研究ではまず、数値標高モデル(DEM)を使った地形変化の検討を行った。対象地域について公開されている数値標高モデルデータは少数であったため、過去の航空写真からの作成も行った。さらに2021年と2022年に行った現地調査では掘削と地中レーダ(GPR)探査を行った。
数値標高モデル(DEM)を使った地形変化の検討の結果、津波により形成された谷地形は砂丘が分断されることでできており、侵食された深さは砂丘の頂部から最大5 mに及ぶことがわかった。一般的に津波による侵食は、傾斜が大きい場所や広い後背地を有し、戻り流れの流速と流量が多くなる場所で良くみられる(Tanaka et al., 2012; 高村ほか, 2015)。しかし、大須賀海岸では後背地が狭く、傾斜による戻り流れの加速も起きにくい地形であるにも関わらず大きな侵食が生じていた。
そこで、この侵食形態を生じさせた原因について検討を行った。まず数値標高モデルなどで地形をみると、津波前には南北に連なる高い砂丘と陸側斜面の間に海岸低地が広がっており、津波時には低地全体が広く浸水している。また、侵食によって谷が生じ現在は砂によりやや埋積されている場所において地中レーダ(GPR)による地中構造の探査を行った結果、地表から深さ2 m付近に顕著な反射面が確認された。これは津波直後の地形を表す数値標高モデルとの比較から、2011年の津波直後の地表面に近いことがわかった。地中レーダの反射面は、物性の異なる層境界を意味する。したがって、この反射面は津波による侵食により露出した面の上に、津波後に長期にわたり砂が堆積し谷が埋没することで生じた層との境界を反映していると考えられる。
次に、地中レーダでみられた強い反射面が何によるものかを調べるため、地中レーダの測線上において掘削を行った。その結果、地表からの深度約2 mまで掘ったところで地下水が存在し、ハンドオーガではそれ以上掘削できなかった。これは、深さ約2 m以深に固い不透水層が存在することを示唆する。
一方で、大須賀海岸には海への流出河川は存在しないが、山側から流入する小さい沢が複数存在している。この沢は海岸低地,砂丘,砂浜では確認できず、海岸低地の途中から地下を流れて海に流出するとみられる。このことを踏まえ、数値標高モデルや3D地形データを再度検討した結果、沢が大須賀海岸に流入する場所のすぐ海側に津波で生じた谷が特徴的に位置していることがわかった。
以上のことから、大須賀海岸で砂丘の大規模侵食をもたらした要因として、以下のプロセスが考えられる。まず、大須賀海岸では津波により砂丘背後に侵入した海水は強い戻り流れにより海に排出されることなく、海岸低地に滞留した。その後、海水が時間をかけて海へ排出される過程で、砂丘のうち限定的な箇所に流量が集中したと考えられる。その結果、水の総量は比較的少ないものの、大きな侵食が生じた可能性がある。また、地中レーダの反射面・掘削によって判明した基底面や谷と沢から続く地下水の流路の位置関係から、地下水などの陸水の存在が、津波で侵食が生じる場所を規定する要因になっている可能性が示唆された。
そこで本研究では、青森県八戸市にある大須賀海岸に着目した。大須賀海岸は、長さ約1 km、幅約300 mと東北地方北部の太平洋岸では規模の大きい砂浜海岸である。三陸復興国立公園の一部として保護活動を受けてきたため、2011年東北沖津波から10年以上が経過しても大きな復興事業が行われておらず,東北沖津波による大須賀海岸においての侵食・堆積の地形変化痕跡は現在でも認めることができる。津波は当時存在していた標高7 m程度の砂丘を越え、海岸低地を浸水させた。津波直後に調査を行った鎌田(2011)によると、①砂丘背後で厚く急激に内陸薄層化する砂質津波堆積物の存在、②海岸線に直交する大規模な谷の砂丘での形成、③海岸低地での浸水深は約3 m,などが報告されている。鎌田(2011)は、津波は砂丘を乗り越え、砂丘の陸側へ海浜砂・砂丘砂を堆積させるとともに、強い引き波によって大規模な侵食地形が砂丘に残されたと考えた。しかしながら侵食過程については不明な点が多く、プロセスの解明には至っていない。そこで本研究では、大須賀海岸での2011年東北沖津波による侵食プロセスの解明を目的とした。
本研究ではまず、数値標高モデル(DEM)を使った地形変化の検討を行った。対象地域について公開されている数値標高モデルデータは少数であったため、過去の航空写真からの作成も行った。さらに2021年と2022年に行った現地調査では掘削と地中レーダ(GPR)探査を行った。
数値標高モデル(DEM)を使った地形変化の検討の結果、津波により形成された谷地形は砂丘が分断されることでできており、侵食された深さは砂丘の頂部から最大5 mに及ぶことがわかった。一般的に津波による侵食は、傾斜が大きい場所や広い後背地を有し、戻り流れの流速と流量が多くなる場所で良くみられる(Tanaka et al., 2012; 高村ほか, 2015)。しかし、大須賀海岸では後背地が狭く、傾斜による戻り流れの加速も起きにくい地形であるにも関わらず大きな侵食が生じていた。
そこで、この侵食形態を生じさせた原因について検討を行った。まず数値標高モデルなどで地形をみると、津波前には南北に連なる高い砂丘と陸側斜面の間に海岸低地が広がっており、津波時には低地全体が広く浸水している。また、侵食によって谷が生じ現在は砂によりやや埋積されている場所において地中レーダ(GPR)による地中構造の探査を行った結果、地表から深さ2 m付近に顕著な反射面が確認された。これは津波直後の地形を表す数値標高モデルとの比較から、2011年の津波直後の地表面に近いことがわかった。地中レーダの反射面は、物性の異なる層境界を意味する。したがって、この反射面は津波による侵食により露出した面の上に、津波後に長期にわたり砂が堆積し谷が埋没することで生じた層との境界を反映していると考えられる。
次に、地中レーダでみられた強い反射面が何によるものかを調べるため、地中レーダの測線上において掘削を行った。その結果、地表からの深度約2 mまで掘ったところで地下水が存在し、ハンドオーガではそれ以上掘削できなかった。これは、深さ約2 m以深に固い不透水層が存在することを示唆する。
一方で、大須賀海岸には海への流出河川は存在しないが、山側から流入する小さい沢が複数存在している。この沢は海岸低地,砂丘,砂浜では確認できず、海岸低地の途中から地下を流れて海に流出するとみられる。このことを踏まえ、数値標高モデルや3D地形データを再度検討した結果、沢が大須賀海岸に流入する場所のすぐ海側に津波で生じた谷が特徴的に位置していることがわかった。
以上のことから、大須賀海岸で砂丘の大規模侵食をもたらした要因として、以下のプロセスが考えられる。まず、大須賀海岸では津波により砂丘背後に侵入した海水は強い戻り流れにより海に排出されることなく、海岸低地に滞留した。その後、海水が時間をかけて海へ排出される過程で、砂丘のうち限定的な箇所に流量が集中したと考えられる。その結果、水の総量は比較的少ないものの、大きな侵食が生じた可能性がある。また、地中レーダの反射面・掘削によって判明した基底面や谷と沢から続く地下水の流路の位置関係から、地下水などの陸水の存在が、津波で侵食が生じる場所を規定する要因になっている可能性が示唆された。