09:00 〜 09:15
[MIS22-01] 明和四年(1767年)に発生した2つの被害地震の震源と規模の再検討
キーワード:歴史地震
明和四年四月七日(1767年5月4日)と明和四年九月三十日(1767年10月22日)に発生した2つの被害地震の震源位置と規模を再検討した.これまで,「高野家記録」をマイクロフィルムに撮影したものの調査を行い,既刊の史料集に収録されていない新たな有感記録の発見し,記録地点を特定してきた[漆原・他(2022)].「高野家記録」が記録された地点は主に現在の仙台市青葉区と蔵王町平沢であり,調査の結果,この2つの被害地震について既刊史料集に収録されていない平沢での被害記録と被害地震前後の有感記録を入手することができた.この発見により,これら2つの被害地震後の有感記録数による検討が可能になった.そこで,この2つの被害地震について他の史料の記述も含めた被害や有感の分布と地震後の有感記録数を基に,震源位置と規模の再検討を行った.
地震後の有感記録数を確認すると,明和四年四月七日の地震後は有感記録数が少なく,明和四年九月三十日の地震後は有感記録数が多いという特徴がみられた.
被害や有感の分布と地震後の有感記録数を考慮すると,四月の地震は余震数の少ない宮城県沖地震として渡邊(1991)で「金華山沖タイプ」と呼ばれている1937年の余震数の少ない宮城県沖地震に似ている.現代に観測された地震や,震度予測式を用いて推定した有感範囲と比較した結果,プレート内地震の場合はM6.6程度,プレート境界地震の場合M7.1程度で被害を全て説明できる.また,先行研究で提案されている内陸のやや深い120kmの地震とすると,震央は宮城県の内陸で,M6後半程度の地震の可能性がある.九月の地震は,松浦・中村(2021)で提案されているように1938年の福島県沖地震に似た地震と考えれば,被害や地震後の有感記録数が説明できる.
地震後の有感記録数を確認すると,明和四年四月七日の地震後は有感記録数が少なく,明和四年九月三十日の地震後は有感記録数が多いという特徴がみられた.
被害や有感の分布と地震後の有感記録数を考慮すると,四月の地震は余震数の少ない宮城県沖地震として渡邊(1991)で「金華山沖タイプ」と呼ばれている1937年の余震数の少ない宮城県沖地震に似ている.現代に観測された地震や,震度予測式を用いて推定した有感範囲と比較した結果,プレート内地震の場合はM6.6程度,プレート境界地震の場合M7.1程度で被害を全て説明できる.また,先行研究で提案されている内陸のやや深い120kmの地震とすると,震央は宮城県の内陸で,M6後半程度の地震の可能性がある.九月の地震は,松浦・中村(2021)で提案されているように1938年の福島県沖地震に似た地震と考えれば,被害や地震後の有感記録数が説明できる.