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[SGL23-P02] 関東山地北縁部寄居-小川地域の跡倉スラストと高角断層
キーワード:跡倉ナップ、跡倉スラスト、高角断層
関東山地北縁部に三波川変成岩,跡倉ナップ,秩父付加複合体,中新統が分布している(Figure 1).跡倉ナップの構造的下位のおもな地質体はみかぶユニットで一部は秩父付加複合体である.前期中新世の関東山地北縁部には跡倉ナップと領家ナップが分布し,その南方に秩父付加複合体が露出していた.三波川変成岩は露出していなかった.中期中新世の15Ma頃には牛伏山ナップが関東山地西部に形成される.その後,出牛-黒谷断層や金井断層などの高角断層が著しく活動する.複雑な地史を反映して,関東山地北縁部ではスラストと高角断層が共存している.ここでは,スラストや高角断層に注目して,寄居-小川地域の基本的な地質構造を解説する.
寄居-小川地域について,跡倉ナップとみかぶユニットや秩父付加複合体の上吉田ユニットとの境界は,多くの場合高角断層であり(Figures 2 and 3),大部分はほぼ鉛直に近い傾斜である.みかぶユニットや上吉田ユニットは,高角断層に沿って跡倉ナップの構造的下位から上昇してきた地質体である.たとえば,跡倉ナップ南端部では,木呂子緑色岩メランジュが上吉田ユニットと高角断層で接しているが,木部では木呂子緑色岩メランジュが一部で欠損している(Figures 3 and 4).そこの木呂子緑色岩メランジュは,顕著に上昇して侵食されて消滅したと想定される.
跡倉スラストが標高約100-150mの地点X, Y, Z(Figure 2)から報告されている.地点Xでは寄居層とみかぶユニットが接している.この断層の少し南方に東西性の高角断層が存在し(Figure 5),それよりも南方には低角断層が発見されていない.地点Yのスラストは跡倉層の採石の進行によって出現し,現在は水没している.地点Zでは金勝山石英閃緑岩が約40°Sの傾斜でみかぶユニットと接していると推定されている.しかし,周辺地域の断層はみな高角断層である.
跡倉ナップを構成する多種多様大小さまざまな地質体(Figure 3)は,相互に高角断層で接合している.これらの高角断層は,露頭で確認される場合のほかに,破断面がほぼ鉛直の破砕帯や地形と地質との関係から推定される.この複雑な地質構造は,跡倉スラストの形成前に成立していたと考えられる.特にチャートや砂岩および肥後-阿武隈帯起源の変成岩と花崗岩類(Figure 3の番号付き丸印)の小岩体や岩塊の産状は,高角断層の形成過程を考える上で重要であろう.
Figure 3の地点AやBでは,跡倉ナップ内部の高角断層の延長部が,みかぶユニットとナップ岩体との境界となっている.みかぶユニットの上昇に連動して,ナップ岩体内部の高角断層が再活動したかどうかが注目される.結論は,再活動を否定や肯定する根拠は見出されていないということである.したがって,Figure 3の地質断面図では,跡倉ナップ内部の多くの高角断層は,跡倉スラストを切断していない.例外は2ヶ所あって,そこでは跡倉スラストに段差ができている.
寄居町西ノ入などでは跡倉スラストが地表で広範囲に認められるという見解がある.ただし,その根拠は提示されていない.この見解では跡倉スラストは大きく波打つことになる(Figure 6のModel B).これは不自然である.しかも,みかぶユニットと花崗岩類や寄居層との地表での境界について,高角断層が3ヶ所で確認され,5ヶ所で推定されている(Figure 2).
小川盆地北縁部とその北方地域について,中新統の小園層の砂岩と荒川層の泥岩との境界は,野竹(靱負)の2ヶ所では標高約140m,五反田では標高約110mである(Figure 3の赤丸).泥岩堆積後の上昇テクトニクスは広範囲で一定的である.しかし,富士山地域では基盤岩の跡倉ナップとみかぶユニットが主に分布しており,西方の中新統分布域に対して大きく上昇している.
肥後-阿武隈帯起源の小岩体や岩塊について,岩塊9-13は木呂子緑色岩メランジュを構成する地質体の一部であるが,その他の小岩体や岩塊は,跡倉ナップのルートゾーンで形成された地質体である.変成岩岩塊の変成度について,岩塊1-3には粗粒のザクロ石角閃岩が産出する.岩塊4と5は複合岩体であり,南縁部には角閃岩相高温部の片麻岩やザクロ石角閃岩が産出し,北縁部にはフズリナ化石を含む泥質石灰岩や角礫岩および細粒の白雲母+緑泥石片岩などが分布している[小野,2004,地質学会要旨,P-24,p.171,小野,2005,地質学会要旨,P-198,p.306].岩塊8,9,11には角閃岩相中温部の黒雲母+白雲母±ザクロ石片岩が認められる.
寄居-小川地域について,跡倉ナップとみかぶユニットや秩父付加複合体の上吉田ユニットとの境界は,多くの場合高角断層であり(Figures 2 and 3),大部分はほぼ鉛直に近い傾斜である.みかぶユニットや上吉田ユニットは,高角断層に沿って跡倉ナップの構造的下位から上昇してきた地質体である.たとえば,跡倉ナップ南端部では,木呂子緑色岩メランジュが上吉田ユニットと高角断層で接しているが,木部では木呂子緑色岩メランジュが一部で欠損している(Figures 3 and 4).そこの木呂子緑色岩メランジュは,顕著に上昇して侵食されて消滅したと想定される.
跡倉スラストが標高約100-150mの地点X, Y, Z(Figure 2)から報告されている.地点Xでは寄居層とみかぶユニットが接している.この断層の少し南方に東西性の高角断層が存在し(Figure 5),それよりも南方には低角断層が発見されていない.地点Yのスラストは跡倉層の採石の進行によって出現し,現在は水没している.地点Zでは金勝山石英閃緑岩が約40°Sの傾斜でみかぶユニットと接していると推定されている.しかし,周辺地域の断層はみな高角断層である.
跡倉ナップを構成する多種多様大小さまざまな地質体(Figure 3)は,相互に高角断層で接合している.これらの高角断層は,露頭で確認される場合のほかに,破断面がほぼ鉛直の破砕帯や地形と地質との関係から推定される.この複雑な地質構造は,跡倉スラストの形成前に成立していたと考えられる.特にチャートや砂岩および肥後-阿武隈帯起源の変成岩と花崗岩類(Figure 3の番号付き丸印)の小岩体や岩塊の産状は,高角断層の形成過程を考える上で重要であろう.
Figure 3の地点AやBでは,跡倉ナップ内部の高角断層の延長部が,みかぶユニットとナップ岩体との境界となっている.みかぶユニットの上昇に連動して,ナップ岩体内部の高角断層が再活動したかどうかが注目される.結論は,再活動を否定や肯定する根拠は見出されていないということである.したがって,Figure 3の地質断面図では,跡倉ナップ内部の多くの高角断層は,跡倉スラストを切断していない.例外は2ヶ所あって,そこでは跡倉スラストに段差ができている.
寄居町西ノ入などでは跡倉スラストが地表で広範囲に認められるという見解がある.ただし,その根拠は提示されていない.この見解では跡倉スラストは大きく波打つことになる(Figure 6のModel B).これは不自然である.しかも,みかぶユニットと花崗岩類や寄居層との地表での境界について,高角断層が3ヶ所で確認され,5ヶ所で推定されている(Figure 2).
小川盆地北縁部とその北方地域について,中新統の小園層の砂岩と荒川層の泥岩との境界は,野竹(靱負)の2ヶ所では標高約140m,五反田では標高約110mである(Figure 3の赤丸).泥岩堆積後の上昇テクトニクスは広範囲で一定的である.しかし,富士山地域では基盤岩の跡倉ナップとみかぶユニットが主に分布しており,西方の中新統分布域に対して大きく上昇している.
肥後-阿武隈帯起源の小岩体や岩塊について,岩塊9-13は木呂子緑色岩メランジュを構成する地質体の一部であるが,その他の小岩体や岩塊は,跡倉ナップのルートゾーンで形成された地質体である.変成岩岩塊の変成度について,岩塊1-3には粗粒のザクロ石角閃岩が産出する.岩塊4と5は複合岩体であり,南縁部には角閃岩相高温部の片麻岩やザクロ石角閃岩が産出し,北縁部にはフズリナ化石を含む泥質石灰岩や角礫岩および細粒の白雲母+緑泥石片岩などが分布している[小野,2004,地質学会要旨,P-24,p.171,小野,2005,地質学会要旨,P-198,p.306].岩塊8,9,11には角閃岩相中温部の黒雲母+白雲母±ザクロ石片岩が認められる.