13:45 〜 14:15
[MIS17-01] 日本中世における水資源の利用と水害
★招待講演
キーワード:日本中世史、災害史、水資源
近年、地球規模における気候温暖化等の自然環境の変動により、大規模地震や火山噴火、風水害の発生が日本列島周辺でも相次いで発生し、自然災害への対応が、社会的に大きな問題関心となっている。この一方、工業生産の拡大や人口の増加を踏まえて、自然環境の汚染や破壊が深刻化するとともに、資源の確保が重要な課題となっており、省エネルギーや資源の再利用が重視されている。すなわち、資源の調達と自然災害への対応は、現代社会を考える上で重要なファクターとなっている。
歴史を振り返ると、資源の獲得をめぐる対立が、様々なレベルで紛争の原因となり、利害関係の調整が求められた事実は言うまでもない。また、自然災害や飢饉・疫病の発生にともなう社会的な混乱が、政治的な変革や戦乱の契機となったことも知られている。したがって、資源の調達と自然災害への対応をめぐる各時代の状況の考察は、歴史と現代を俯瞰して捉えることができる重要なテーマであり、自然環境と人々との関係について、現代ひいては未来の社会に向けた新たなビジョンの創造につながる可能性を秘めている。
そこで本発表では、16世紀の中世、戦国時代における甲斐国(現在の山梨県)の甲府盆地周辺を対象として、灌漑のために実施された用水路(井堰)の築造が地域の景観を改変するとともに、水害の発生にも影響を及ぼした歴史を解明する。山梨県域は、森林面積が県土の約80%を占め、盆地の周囲にそびえる赤石山脈・巨摩山地・御坂山地等から盆地に流れ込む河川によって水害が多発し、16世紀には竜王信玄堤(甲斐市)等の大規模な治水工事が行われた地域である一方、現在でも山梨県のミネラルウォーター生産量が全国1位を占めるなど、豊富な水資源に恵まれている。したがって、当該地域における水資源の利用と水害について探ることは、重要な研究対象となると言えよう。水資源の確保と水害への対応という二つの局面は、従来の研究において個別に論じられていたが、今回の発表にあたっては、それらを一体的に捉えることを試みる。
まず、甲府盆地東部を流れる笛吹川(ふえふきがわ)から取水する「横堰(よこせぎ)」もしくは「一ノ堰(いちのせぎ)」(山梨市)と呼ばれる用水路の事例を通して、同河川の流域に信仰圏・祭祀圏を有する大井俣窪八幡神社(おおいまたくぼはちまんじんじゃ)が、16世紀前半に領主や土豪からの寄進によって、この用水路の水利にかかる権利を一元的に掌握したことに注目する。そして、同神社がこの用水路を管理することによって、地元の八幡郷(やわたごう)における水資源の確保や水害への対応を担い、農業経営を差配することとなり、当該地域に居住する人々を用水路の維持・管理のための工事に動員し、彼らの労働力を結集させることが可能となったことを明らかにする。また、横堰・一ノ堰の整備の結果、同神社周辺の集落化・耕地化が進み、扇状地上の展開した従来の条里地割の開発に代わって、笛吹川沿いの島状地割の開発が進み、地域の景観に変化が生じたことを指摘する。
続いて、甲府盆地中央部を流れる荒川水系の亀沢川から取水する「上条堰(かみじょうせぎ)」(甲斐市)と呼ばれる用水路の事例を通して、荒川の本流である釜無川(かまなしがわ)の水害の影響を直接受ける可能性の低い荒川扇状地の扇頂・扇央に位置する村々が、16世紀後半に釜無川の水量超過を原因とした、いわゆるバックウォーター現象による水害の被災地となったことを指摘する。そしてこの結果、水利を共有する村落間のネットワークを包含して、治水を目的としたより広域的な村落間のネットワークが成立したことを明らかにする。水資源の確保と利用は、新たな開発が進展する一方で自然災害を誘発するという、対極に位置する結果を地域社会にもたらしたのである。
このように、開発を促進するための水資源の確保と利用は、地域の景観に変化を生じる一方で、自然災害による被害発生の原因となった。そして、水資源の確保と水害への対応という相反する状況を調整し、村落間もしくは村落内部の対立を抑制するために、地域社会に信仰圏を有した地域の寺社や、広域的な支配権を確立した戦国大名等の領主権力が、地域の住人を結集させる機能を担う役割を担うよう、地域社会において期待されたと考えられる。
【参考文献】拙著『中近世の資源と災害』(吉川弘文館、2023年)
歴史を振り返ると、資源の獲得をめぐる対立が、様々なレベルで紛争の原因となり、利害関係の調整が求められた事実は言うまでもない。また、自然災害や飢饉・疫病の発生にともなう社会的な混乱が、政治的な変革や戦乱の契機となったことも知られている。したがって、資源の調達と自然災害への対応をめぐる各時代の状況の考察は、歴史と現代を俯瞰して捉えることができる重要なテーマであり、自然環境と人々との関係について、現代ひいては未来の社会に向けた新たなビジョンの創造につながる可能性を秘めている。
そこで本発表では、16世紀の中世、戦国時代における甲斐国(現在の山梨県)の甲府盆地周辺を対象として、灌漑のために実施された用水路(井堰)の築造が地域の景観を改変するとともに、水害の発生にも影響を及ぼした歴史を解明する。山梨県域は、森林面積が県土の約80%を占め、盆地の周囲にそびえる赤石山脈・巨摩山地・御坂山地等から盆地に流れ込む河川によって水害が多発し、16世紀には竜王信玄堤(甲斐市)等の大規模な治水工事が行われた地域である一方、現在でも山梨県のミネラルウォーター生産量が全国1位を占めるなど、豊富な水資源に恵まれている。したがって、当該地域における水資源の利用と水害について探ることは、重要な研究対象となると言えよう。水資源の確保と水害への対応という二つの局面は、従来の研究において個別に論じられていたが、今回の発表にあたっては、それらを一体的に捉えることを試みる。
まず、甲府盆地東部を流れる笛吹川(ふえふきがわ)から取水する「横堰(よこせぎ)」もしくは「一ノ堰(いちのせぎ)」(山梨市)と呼ばれる用水路の事例を通して、同河川の流域に信仰圏・祭祀圏を有する大井俣窪八幡神社(おおいまたくぼはちまんじんじゃ)が、16世紀前半に領主や土豪からの寄進によって、この用水路の水利にかかる権利を一元的に掌握したことに注目する。そして、同神社がこの用水路を管理することによって、地元の八幡郷(やわたごう)における水資源の確保や水害への対応を担い、農業経営を差配することとなり、当該地域に居住する人々を用水路の維持・管理のための工事に動員し、彼らの労働力を結集させることが可能となったことを明らかにする。また、横堰・一ノ堰の整備の結果、同神社周辺の集落化・耕地化が進み、扇状地上の展開した従来の条里地割の開発に代わって、笛吹川沿いの島状地割の開発が進み、地域の景観に変化が生じたことを指摘する。
続いて、甲府盆地中央部を流れる荒川水系の亀沢川から取水する「上条堰(かみじょうせぎ)」(甲斐市)と呼ばれる用水路の事例を通して、荒川の本流である釜無川(かまなしがわ)の水害の影響を直接受ける可能性の低い荒川扇状地の扇頂・扇央に位置する村々が、16世紀後半に釜無川の水量超過を原因とした、いわゆるバックウォーター現象による水害の被災地となったことを指摘する。そしてこの結果、水利を共有する村落間のネットワークを包含して、治水を目的としたより広域的な村落間のネットワークが成立したことを明らかにする。水資源の確保と利用は、新たな開発が進展する一方で自然災害を誘発するという、対極に位置する結果を地域社会にもたらしたのである。
このように、開発を促進するための水資源の確保と利用は、地域の景観に変化を生じる一方で、自然災害による被害発生の原因となった。そして、水資源の確保と水害への対応という相反する状況を調整し、村落間もしくは村落内部の対立を抑制するために、地域社会に信仰圏を有した地域の寺社や、広域的な支配権を確立した戦国大名等の領主権力が、地域の住人を結集させる機能を担う役割を担うよう、地域社会において期待されたと考えられる。
【参考文献】拙著『中近世の資源と災害』(吉川弘文館、2023年)