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[MIS17-04] 賀茂別雷神社日記に見る文政京都地震の被害状況と人々の対応
キーワード:賀茂別雷神社、上賀茂神社、文政京都地震、社記仮附
本報告は賀茂別雷神社(上賀茂神社)に所蔵されている同社の社務日記「社記仮附」をもとに 文政13年7月2日(1830年8月19日)に発生した文政京都地震における被害状況と人々の対応を明らかにするものである。
賀茂別雷神社と災害の関係を扱った研究には、間瀬久美子氏による災害祈祷の研究がある。同氏は朝幕関係史の視点から、近世社会における災害祈祷の主宰権は基本的に朝廷にあることを明らかにした。災害時における祈祷が宗教権威の本質的な役割の一つであることは言うまでもないが、神社の役割はこれのみに限定されるわけではない。「社記仮附」には、地震によって発生した種々の問題に神社が柔軟に対応している様子が詳細に記録されている。なかでも、➀被害状況の確認と報告、➁被害をうけた堂社・石垣などの普請、➂小山郷・中山郷・深泥池村等の社領の村々の被害の把握と対応、➃商人等の出入りの人々の動向に関する記述は興味深く、これまで明らかにされていなかった事実を伝えており、領主として事態に対処する神社の動きを把握できる。
本報告では「社記仮附」をもとに、賀茂別雷神社と社領の関係を中心に、地震発生後、どのように対応していたのかを明らかにする。同社では、地震翌日に被害状況を調査し、京都町奉行所に提出する書類の準備を進めていた。ここでは、まず、個々の建物の被害状況を示す語彙を精査し、絵地図と比較することで被害の詳細を分析する。
また、地震前には水不足であったため、社領の村々から「御池」の水の利用願いが出されていたが、地震後は一転し、7月19日には大雨による洪水で橋杭が流されるという被害が発生した。このとき、神社では、地震で崩落した土砂に埋まった「小池」の樋門を増水の被害から守るために杉木を用いて水をせき止め、2次被害を防止している。こうした対応は堤奉行を中心に月番の社家や黒鍬者によって進められたが、その決定には神主を中心にした寄合の評議があった。
「社記仮附」を見る限り、同社は社務の円滑な執行に勤めており、一面では上賀茂周辺の地震被害がさほど大きなものではなかったという評価もできる。しかし、神社内に寄合という評議システムが定着していたからこそ、神社内外から申請される事項に的確に対応し、社務を遂行しえたとも考えられる。本報告ではこうした視点にたち、地震の被害に神社がどのように対応していたのかを実証し、自然災害に対する適応力について考察する。
賀茂別雷神社と災害の関係を扱った研究には、間瀬久美子氏による災害祈祷の研究がある。同氏は朝幕関係史の視点から、近世社会における災害祈祷の主宰権は基本的に朝廷にあることを明らかにした。災害時における祈祷が宗教権威の本質的な役割の一つであることは言うまでもないが、神社の役割はこれのみに限定されるわけではない。「社記仮附」には、地震によって発生した種々の問題に神社が柔軟に対応している様子が詳細に記録されている。なかでも、➀被害状況の確認と報告、➁被害をうけた堂社・石垣などの普請、➂小山郷・中山郷・深泥池村等の社領の村々の被害の把握と対応、➃商人等の出入りの人々の動向に関する記述は興味深く、これまで明らかにされていなかった事実を伝えており、領主として事態に対処する神社の動きを把握できる。
本報告では「社記仮附」をもとに、賀茂別雷神社と社領の関係を中心に、地震発生後、どのように対応していたのかを明らかにする。同社では、地震翌日に被害状況を調査し、京都町奉行所に提出する書類の準備を進めていた。ここでは、まず、個々の建物の被害状況を示す語彙を精査し、絵地図と比較することで被害の詳細を分析する。
また、地震前には水不足であったため、社領の村々から「御池」の水の利用願いが出されていたが、地震後は一転し、7月19日には大雨による洪水で橋杭が流されるという被害が発生した。このとき、神社では、地震で崩落した土砂に埋まった「小池」の樋門を増水の被害から守るために杉木を用いて水をせき止め、2次被害を防止している。こうした対応は堤奉行を中心に月番の社家や黒鍬者によって進められたが、その決定には神主を中心にした寄合の評議があった。
「社記仮附」を見る限り、同社は社務の円滑な執行に勤めており、一面では上賀茂周辺の地震被害がさほど大きなものではなかったという評価もできる。しかし、神社内に寄合という評議システムが定着していたからこそ、神社内外から申請される事項に的確に対応し、社務を遂行しえたとも考えられる。本報告ではこうした視点にたち、地震の被害に神社がどのように対応していたのかを実証し、自然災害に対する適応力について考察する。