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[MIS17-P07] 1923年大正関東地震の余震の日記記録
キーワード:大正関東地震、日記記録、余震
歴史地震について,実際に発生した地震がどの程度歴史記録に残されているのだろうかという疑問を持った.過去の地震活動を分析する際には,記録の完全性を考慮する必要があり,実際に発生した地震がどの程度歴史記録に残されているのかを把握しておく必要がある.そのためには,歴史記録と観測記録のそれぞれによる地震発生数の比較がひとつの手がかりになる.異なる時代の地震発生数を比較した例としてSatake and Ishibe(2020)が挙げられる.Satake and Ishibe(2020)は,二つの江戸藩邸での日記記録を用いて,江戸での年ごとの地震数を求めた.その結果,年間の地震数は約11個となり,現在の東京における年間の震度2以上の地震数とほぼ同じとなった.同時代の歴史記録と観測記録を比較した事例として,候記録としての記録ではあるが,庄・ほか(2017)がある.天候記録であれば,記録数が多いため同時代の日記や観測記録との間で統計的な比較が可能である.一方で地震は天候記録と比較して記録数が少なく,よって統計的な比較が難しい.そこで,大地震の余震活動であれば数が多いため,記録数も多くなり,観測データ間の比較が行いやすくなると考えた.ここでは,大正関東地震の余震であれば,既に地震観測が開始しており,日記記録と観測記録の両方が存在することに着目した.よって本研究では,1923年大正関東地震の余震記録について同時代の日記記録と観測記録との比較を行う.
本研究で用いた日記記録としては,『河合清方日記』(静岡県富士宮市),『地福寺日並記』(埼玉県和光市),『五十子敬斎日記』(東京都日野市),『相沢日記』(神奈川県相模原市)などが挙げられる.なお,『河合清方日記』については,武村(1999)で日記中の余震記録と浜田(1999)の震源リストとの比較がなされている.観測記録としては気象庁地震カタログ,「震災予防調査会報告第100号」,「関東大震災調査報告地震篇」が挙げられる.観測記録に準ずるデータとしては『関東大地震姥子ニ於ケル震動日記』が挙げられる.この日記は本震発生日の9月1日から10月14日にかけて,神奈川県足柄下郡箱根町での有感地震を強さごとに強震,弱震,微震に分類し記録したものである.大きな地震は複数の日記に記録されやすい傾向にある.例えば11月23日には『地福寺日並記』に「午前十一時地震あり」,『五十子敬斎日記』に「午前十一時大震余震中最一」という記述が見られる.これは同日の11時33分に神奈川県東部で発生した,M6.3,最大震度4(気象庁震度データベースより引用)の地震に対応するものと考えられる.また,1924年1月15日には多くの日記で強い揺れを感じたという内容の記述が見られる.これについても,最大余震である丹沢地震(神奈川県西部,M7.3,最大震度6)に対応していると考えられる.本震からの日数の経過に伴う余震記録の減少が見られる.例を挙げれば,『相沢日記』では,9月18日までは体感した地震についての記述が見られるが,19日から1924年1月14日までは日記中に地震記録がない.これは,本震からの時間経過に伴う余震数の減少が反映されていると考えられる.実際「震災予防調査会報告第100号」や「関東大震災調査報告地震篇」中の観測記録から,日ごとの地震数が減少していく様子が見て取れる.ただし,これは単に実際の余震数の減少を反映しているだけではなく,地震の経験を日記に記録するモチベーションに変化があった可能性もある.以上のように,規模の大きな余震や,余震発生数の減少に着目することで,日記記録と観測記録を比較分析することができる.
本研究で用いた日記記録としては,『河合清方日記』(静岡県富士宮市),『地福寺日並記』(埼玉県和光市),『五十子敬斎日記』(東京都日野市),『相沢日記』(神奈川県相模原市)などが挙げられる.なお,『河合清方日記』については,武村(1999)で日記中の余震記録と浜田(1999)の震源リストとの比較がなされている.観測記録としては気象庁地震カタログ,「震災予防調査会報告第100号」,「関東大震災調査報告地震篇」が挙げられる.観測記録に準ずるデータとしては『関東大地震姥子ニ於ケル震動日記』が挙げられる.この日記は本震発生日の9月1日から10月14日にかけて,神奈川県足柄下郡箱根町での有感地震を強さごとに強震,弱震,微震に分類し記録したものである.大きな地震は複数の日記に記録されやすい傾向にある.例えば11月23日には『地福寺日並記』に「午前十一時地震あり」,『五十子敬斎日記』に「午前十一時大震余震中最一」という記述が見られる.これは同日の11時33分に神奈川県東部で発生した,M6.3,最大震度4(気象庁震度データベースより引用)の地震に対応するものと考えられる.また,1924年1月15日には多くの日記で強い揺れを感じたという内容の記述が見られる.これについても,最大余震である丹沢地震(神奈川県西部,M7.3,最大震度6)に対応していると考えられる.本震からの日数の経過に伴う余震記録の減少が見られる.例を挙げれば,『相沢日記』では,9月18日までは体感した地震についての記述が見られるが,19日から1924年1月14日までは日記中に地震記録がない.これは,本震からの時間経過に伴う余震数の減少が反映されていると考えられる.実際「震災予防調査会報告第100号」や「関東大震災調査報告地震篇」中の観測記録から,日ごとの地震数が減少していく様子が見て取れる.ただし,これは単に実際の余震数の減少を反映しているだけではなく,地震の経験を日記に記録するモチベーションに変化があった可能性もある.以上のように,規模の大きな余震や,余震発生数の減少に着目することで,日記記録と観測記録を比較分析することができる.