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[SCG55-12] 後期新生代の東北日本背弧域の短縮変形について
キーワード:短縮変形、背弧、東北日本弧、後期新生代、変形様式
1. はじめに
東北日本の短縮変形については、古くから地層の変形をもとに検討されてきた。その後、制御震源や自然地震を利用した地殻構造の解明によって、変形様式についての知見も大きく進展した。ここでは、報告されている地殻構造にもとづいて、日本海を含む東北日本背弧域の短縮変形の特徴について概括したい。
2. テクトニックインバージョン
普遍的に見られる逆断層の特徴は、日本海形成期の伸張変形にともなう地質構造の反転運動である。この反転運動は日本海海域で見いだされ(Okamura et al., 1995)、その後の構造探査によって、北上低地帯を中心とする前弧域(Sato et al., 2004; Kato et al., 2006)、津軽地域(佐藤ほか, 2021)など陸域でも確認されている。日本海東縁の日本海拡大期に形成された正断層群は、大陸地殻の薄化に伴って形成されたもので基本的には西傾斜の姿勢を示す。しかしながら、東北日本の背弧域では小規模なリフトが形成され、この影響で断層の傾斜方向が複雑になる。背弧中絶リフトの深部には、リフト期に併入した苦鉄質岩に富む領域と、珪長質な大陸地殻との物質境界が形成されリフト帯の深部外側に傾斜した境界面が形成される。その境界が短縮変形の際には逆断層として活動し、リフト内の堆積物に顕著な短縮変形を生み出す(佐藤, 2014)。奥羽脊梁山地は、逆断層に境されたポップアップ構造をなすが(Sato et al., 2002)、その隆起帯の形成には顕著な、古い伸張変形との相関は認められない。Shibazaki et al. (2008)などが明らかにした、隆起帯の形成は温度構造に起因した水平圧縮に対する応答と考えるのが妥当であろう。脊梁山地では約13 Maから火山フロントとして概ね位置が固定されている。脊梁山地の隆起には、珪長質大規模カルデラの形成も大きな役割を果たしている。
3. 日本海側で増加する短縮変形と新生プレート境界説
新生界の地層の変形をもとに定量化されてきた(Otsuka(1938)・Matsuda et al. (1967)・佐藤(1989))。陸域では基本的には島弧の伸びと直交する方向での短縮変形を示し、現在の火山フロント周辺から日本海側で大きな短縮変形を示し、新潟、秋田-山形堆積盆地で増大する。短縮率と下末吉期(5e)の海成段丘面高度(小林・町田編,2001)とは調和的で、短縮変形による振幅の大きな変形が海成段丘面高度として現れている。Nakamura and Uyeda (1980)はプレート境界からの圧縮応力は背弧域に向かって減衰することを論じたが、日本海東縁の短縮変形については、説明が困難であった。中村(1983)は日本海東縁部に北米/ユーラシアプレート境界が分布するとして新生プレート境界を提案した。この考えは1983年の日本海中部地震や1993年の北海道南西沖地震の発生によって、広く受け入れられることとなった。20世紀に発生した大規模な地震(> M7.5)が直線的に配置することから、地震調査研究推進本部でも日本海東縁について海溝型の地震として取り扱っている。
新生プレート境界については古くから問題が指摘されているが(岡村ほか,1999)最も大きな問題は、平面的に多数の断層が分布する中で顕著な変位速度を有する断層が特定できない点である。海洋研究開発機構による探査の結果、1983年日本海中部地震は日本海側の海洋地殻と日本列島を構成する大陸地殻との境界部で発生したものであることが明らかになった(No et al., 2014)。東傾斜の断層は日本海形成期の大陸地殻の薄化と苦鉄質マグマの上昇によって物質境界として形成されたもので、日本海の海洋地殻の沈み込みに相当する構造は得られていない。海洋研究開発機構や地震研による構造探査にもとづく日本海域の震源断層モデル(佐藤ほか,2021)でも、日本海拡大時に大きな伸張量が推定される日本海東縁では、多数の震源断層が分布しており、卓越した変位速度を有するプレート境界断層が見られない地域でプレート境界を想定しても実用的な意味はない。こうした過度のプレートテクトニクスの適用は、本来、多くの断層によって引き起こされる災害を、あたかも想定するプレート境界でしか発生しないという観念に導くおそれがある。2024年に発生した能登半島地震は、こうした事実を喚起させる事象となった。日本海周辺では日本海形成期に大きな伸張変形を受けた大陸地殻が広がっており、長大な正断層が形成されている。その領域は、その後の圧縮変形により短縮変動帯を構成している。
東北日本の短縮変形については、古くから地層の変形をもとに検討されてきた。その後、制御震源や自然地震を利用した地殻構造の解明によって、変形様式についての知見も大きく進展した。ここでは、報告されている地殻構造にもとづいて、日本海を含む東北日本背弧域の短縮変形の特徴について概括したい。
2. テクトニックインバージョン
普遍的に見られる逆断層の特徴は、日本海形成期の伸張変形にともなう地質構造の反転運動である。この反転運動は日本海海域で見いだされ(Okamura et al., 1995)、その後の構造探査によって、北上低地帯を中心とする前弧域(Sato et al., 2004; Kato et al., 2006)、津軽地域(佐藤ほか, 2021)など陸域でも確認されている。日本海東縁の日本海拡大期に形成された正断層群は、大陸地殻の薄化に伴って形成されたもので基本的には西傾斜の姿勢を示す。しかしながら、東北日本の背弧域では小規模なリフトが形成され、この影響で断層の傾斜方向が複雑になる。背弧中絶リフトの深部には、リフト期に併入した苦鉄質岩に富む領域と、珪長質な大陸地殻との物質境界が形成されリフト帯の深部外側に傾斜した境界面が形成される。その境界が短縮変形の際には逆断層として活動し、リフト内の堆積物に顕著な短縮変形を生み出す(佐藤, 2014)。奥羽脊梁山地は、逆断層に境されたポップアップ構造をなすが(Sato et al., 2002)、その隆起帯の形成には顕著な、古い伸張変形との相関は認められない。Shibazaki et al. (2008)などが明らかにした、隆起帯の形成は温度構造に起因した水平圧縮に対する応答と考えるのが妥当であろう。脊梁山地では約13 Maから火山フロントとして概ね位置が固定されている。脊梁山地の隆起には、珪長質大規模カルデラの形成も大きな役割を果たしている。
3. 日本海側で増加する短縮変形と新生プレート境界説
新生界の地層の変形をもとに定量化されてきた(Otsuka(1938)・Matsuda et al. (1967)・佐藤(1989))。陸域では基本的には島弧の伸びと直交する方向での短縮変形を示し、現在の火山フロント周辺から日本海側で大きな短縮変形を示し、新潟、秋田-山形堆積盆地で増大する。短縮率と下末吉期(5e)の海成段丘面高度(小林・町田編,2001)とは調和的で、短縮変形による振幅の大きな変形が海成段丘面高度として現れている。Nakamura and Uyeda (1980)はプレート境界からの圧縮応力は背弧域に向かって減衰することを論じたが、日本海東縁の短縮変形については、説明が困難であった。中村(1983)は日本海東縁部に北米/ユーラシアプレート境界が分布するとして新生プレート境界を提案した。この考えは1983年の日本海中部地震や1993年の北海道南西沖地震の発生によって、広く受け入れられることとなった。20世紀に発生した大規模な地震(> M7.5)が直線的に配置することから、地震調査研究推進本部でも日本海東縁について海溝型の地震として取り扱っている。
新生プレート境界については古くから問題が指摘されているが(岡村ほか,1999)最も大きな問題は、平面的に多数の断層が分布する中で顕著な変位速度を有する断層が特定できない点である。海洋研究開発機構による探査の結果、1983年日本海中部地震は日本海側の海洋地殻と日本列島を構成する大陸地殻との境界部で発生したものであることが明らかになった(No et al., 2014)。東傾斜の断層は日本海形成期の大陸地殻の薄化と苦鉄質マグマの上昇によって物質境界として形成されたもので、日本海の海洋地殻の沈み込みに相当する構造は得られていない。海洋研究開発機構や地震研による構造探査にもとづく日本海域の震源断層モデル(佐藤ほか,2021)でも、日本海拡大時に大きな伸張量が推定される日本海東縁では、多数の震源断層が分布しており、卓越した変位速度を有するプレート境界断層が見られない地域でプレート境界を想定しても実用的な意味はない。こうした過度のプレートテクトニクスの適用は、本来、多くの断層によって引き起こされる災害を、あたかも想定するプレート境界でしか発生しないという観念に導くおそれがある。2024年に発生した能登半島地震は、こうした事実を喚起させる事象となった。日本海周辺では日本海形成期に大きな伸張変形を受けた大陸地殻が広がっており、長大な正断層が形成されている。その領域は、その後の圧縮変形により短縮変動帯を構成している。