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[SGL18-02] 北海道幌加内町朱鞠内・添牛内に分布する下〜中部中新統築別層中の蛇紋岩・変成岩起源の砕屑粒子の供給源
キーワード:蛇紋岩、前〜中期中新世、北海道中軸部
はじめに
蛇紋岩質の堆積岩は蛇紋岩体の露出時期や露出場所を示す証拠となり,地質時代のテクトニクスや古地形を復元する上で重要である[1].北海道夕張〜日高地域に分布する新第三系堆積盆の基底部にあたる前期〜中期中新世の地層(滝ノ上層相当層)からは蛇紋岩礫に富む堆積岩[2,3]や蛇紋岩に挟まる蛇紋岩ブロック[4]の存在が報告され,中新世における蛇紋岩の貫入・露出イベントの存在が示唆されている.本研究では北海道中央北部の幌加内町朱鞠内・添牛内に分布する下〜中部中新統築別層中の蛇紋岩質な堆積岩の産状について記載し,堆積学的・堆積岩岩石学的手法から堆積当時の古地形とそれらを形成した構造運動について考察し,中新世の蛇紋岩のイベントの地理的広がりを検討した.
朱鞠内・添牛内地域の築別層の層序区分
本地域の築別層は朱鞠内夾炭部層,三十線沢含化石砂岩部層,天狗の鼻泥岩部層に三分される[5]が,このうち三十線含化石砂岩部層には「蛇紋岩質で粗粒な砂岩・礫岩」と「礫岩を薄く挟む層状砂岩」の2種類の全く異なる岩相が認められる.そのため本研究では後者を三十線沢含化石砂岩部層から分離し,「白地畝砂岩部層」と新たに定義して記載を行った.
三十線沢含化石砂岩部層の堆積環境と供給源
本部層は高密度タービダイトからの堆積を示す砂岩とデブリフロウからの堆積を示す礫岩から構成され,これらは上方細粒化や上方粗粒化などの特定の累重パターンを持たずに累重する.この特徴は堆積岩が斜面上に不規則に生じた重力流堆積物の集積であることを示し,その堆積環境として急斜面の前面,例えばスロープエプロン系が考えられる.
砂岩・礫岩ともに砕屑粒子はほとんどが蛇紋岩片やクロムスピネルなどの蛇紋岩起源の物質からなり,炭酸塩鉱物からなる豊富な基質をもつ.基質には粘土状の蛇紋石からなる部分が認められ,炭酸塩鉱物が蛇紋石の変質によって形成された可能性が示唆される.粘土〜巨礫サイズの様々なサイズの蛇紋岩クラストの存在は,起源となった蛇紋岩体が後背地において様々な大きさに破砕されていたことを示す.加えて,砕屑物がほぼすべて蛇紋岩起源の物質からなり単源的であることから,蛇紋岩体が固体貫入して大規模な山体を構成していたことが挙げられる.
白地畝砂岩部層の堆積環境と供給源
本部層の下部の砂岩には一方向流によって形成される堆積構造がよくみられ,豊富な貝化石や炭質物が含まれる.これらの特徴は上部外浜の砂質堆積物に類似している.同部層上部の砂岩は強く風化し堆積構造が不明瞭だが癒着したハンモック状斜交層理に類似した特徴をもつ.以上から本部層は浅海で堆積したと考えられる.
砂岩は火山ガラスや酸性火山岩片と,その変質物を豊富に含み,長石・石英,砂岩・頁岩片,チャート片,変成岩起源の粒子などを伴う.火山起源の物質はモードの70%に達することから,後背地には広範囲に火山地帯が広がっていたと推察される.礫岩の一部に強く変形したチャート片や変成岩片に富むものが存在するため,局所的にはこれらの岩石を伴う地質体(例えば神居古潭変成岩類)が露出していたと考えられる.変成岩片は白雲母片岩や緑色片岩が最も多く,青色片岩が比較的少量伴われる.青色片岩片中の青色角閃石は累帯構造をもち,緑色片岩〜緑簾石角閃岩相から青色片岩相に至り,さらに緑色片岩相に至るP―T履歴を保存している.また青色片岩片はローソン石よりも緑簾石に富む.これらの特徴は青色片岩が神居古潭帯の蛇紋岩メランジェ中の青色片岩ブロックを起源としていることを示す.以上から変成岩片の供給源として神居古潭地域(特に神居古潭峡谷以南)の変成岩類が考えられる.
古地形・古地質分布
朱鞠内・添牛内地域の築別層の岩相や構成鉱物の特徴は,前〜中期中新世の北海道中央北部では,広範囲に広がる火山地帯や局所的に露出する非変成の堆積岩類や神居古潭変成岩類を背景とした浅海環境が広がっていたが,一部では固体貫入によって形成された蛇紋岩からなる急斜面が存在していたことを示す.一方で,北海道南部の蛇紋岩質な堆積岩はナップとして[6]あるいはダイアピルによって[7]露出した蛇紋岩を起源としていると考えられている.蛇紋岩質な堆積岩が北海道中軸部において少なくとも南部から中央部まで連続して認められることは,蛇紋岩の上昇・貫入・露出イベントが北海道中軸部の広い地域で生じた大規模な現象であったことを示唆するが,その定置メカニズムは一様ではなかったと捉えられる.
引用文献
[1]荒井ほか,1983,地質雑,89,287-297.[2]Okada,1964, Mem. Fac. Sci. Kyushu Univ., 15, 23–38.[3]新井田・福井,1987,穂別博研報,4,33-47.[4]加藤ほか,2003,日本地質学会第110年学術大会要旨,66.[5]橋本ほか,1965,北海道開発庁(現 国土交通省北海道局).[6]Arai & Okada, Tectonophys., 195, 65-81.[7]加藤・合地,2008,日本地質学会第115年学術大会要旨,229.
蛇紋岩質の堆積岩は蛇紋岩体の露出時期や露出場所を示す証拠となり,地質時代のテクトニクスや古地形を復元する上で重要である[1].北海道夕張〜日高地域に分布する新第三系堆積盆の基底部にあたる前期〜中期中新世の地層(滝ノ上層相当層)からは蛇紋岩礫に富む堆積岩[2,3]や蛇紋岩に挟まる蛇紋岩ブロック[4]の存在が報告され,中新世における蛇紋岩の貫入・露出イベントの存在が示唆されている.本研究では北海道中央北部の幌加内町朱鞠内・添牛内に分布する下〜中部中新統築別層中の蛇紋岩質な堆積岩の産状について記載し,堆積学的・堆積岩岩石学的手法から堆積当時の古地形とそれらを形成した構造運動について考察し,中新世の蛇紋岩のイベントの地理的広がりを検討した.
朱鞠内・添牛内地域の築別層の層序区分
本地域の築別層は朱鞠内夾炭部層,三十線沢含化石砂岩部層,天狗の鼻泥岩部層に三分される[5]が,このうち三十線含化石砂岩部層には「蛇紋岩質で粗粒な砂岩・礫岩」と「礫岩を薄く挟む層状砂岩」の2種類の全く異なる岩相が認められる.そのため本研究では後者を三十線沢含化石砂岩部層から分離し,「白地畝砂岩部層」と新たに定義して記載を行った.
三十線沢含化石砂岩部層の堆積環境と供給源
本部層は高密度タービダイトからの堆積を示す砂岩とデブリフロウからの堆積を示す礫岩から構成され,これらは上方細粒化や上方粗粒化などの特定の累重パターンを持たずに累重する.この特徴は堆積岩が斜面上に不規則に生じた重力流堆積物の集積であることを示し,その堆積環境として急斜面の前面,例えばスロープエプロン系が考えられる.
砂岩・礫岩ともに砕屑粒子はほとんどが蛇紋岩片やクロムスピネルなどの蛇紋岩起源の物質からなり,炭酸塩鉱物からなる豊富な基質をもつ.基質には粘土状の蛇紋石からなる部分が認められ,炭酸塩鉱物が蛇紋石の変質によって形成された可能性が示唆される.粘土〜巨礫サイズの様々なサイズの蛇紋岩クラストの存在は,起源となった蛇紋岩体が後背地において様々な大きさに破砕されていたことを示す.加えて,砕屑物がほぼすべて蛇紋岩起源の物質からなり単源的であることから,蛇紋岩体が固体貫入して大規模な山体を構成していたことが挙げられる.
白地畝砂岩部層の堆積環境と供給源
本部層の下部の砂岩には一方向流によって形成される堆積構造がよくみられ,豊富な貝化石や炭質物が含まれる.これらの特徴は上部外浜の砂質堆積物に類似している.同部層上部の砂岩は強く風化し堆積構造が不明瞭だが癒着したハンモック状斜交層理に類似した特徴をもつ.以上から本部層は浅海で堆積したと考えられる.
砂岩は火山ガラスや酸性火山岩片と,その変質物を豊富に含み,長石・石英,砂岩・頁岩片,チャート片,変成岩起源の粒子などを伴う.火山起源の物質はモードの70%に達することから,後背地には広範囲に火山地帯が広がっていたと推察される.礫岩の一部に強く変形したチャート片や変成岩片に富むものが存在するため,局所的にはこれらの岩石を伴う地質体(例えば神居古潭変成岩類)が露出していたと考えられる.変成岩片は白雲母片岩や緑色片岩が最も多く,青色片岩が比較的少量伴われる.青色片岩片中の青色角閃石は累帯構造をもち,緑色片岩〜緑簾石角閃岩相から青色片岩相に至り,さらに緑色片岩相に至るP―T履歴を保存している.また青色片岩片はローソン石よりも緑簾石に富む.これらの特徴は青色片岩が神居古潭帯の蛇紋岩メランジェ中の青色片岩ブロックを起源としていることを示す.以上から変成岩片の供給源として神居古潭地域(特に神居古潭峡谷以南)の変成岩類が考えられる.
古地形・古地質分布
朱鞠内・添牛内地域の築別層の岩相や構成鉱物の特徴は,前〜中期中新世の北海道中央北部では,広範囲に広がる火山地帯や局所的に露出する非変成の堆積岩類や神居古潭変成岩類を背景とした浅海環境が広がっていたが,一部では固体貫入によって形成された蛇紋岩からなる急斜面が存在していたことを示す.一方で,北海道南部の蛇紋岩質な堆積岩はナップとして[6]あるいはダイアピルによって[7]露出した蛇紋岩を起源としていると考えられている.蛇紋岩質な堆積岩が北海道中軸部において少なくとも南部から中央部まで連続して認められることは,蛇紋岩の上昇・貫入・露出イベントが北海道中軸部の広い地域で生じた大規模な現象であったことを示唆するが,その定置メカニズムは一様ではなかったと捉えられる.
引用文献
[1]荒井ほか,1983,地質雑,89,287-297.[2]Okada,1964, Mem. Fac. Sci. Kyushu Univ., 15, 23–38.[3]新井田・福井,1987,穂別博研報,4,33-47.[4]加藤ほか,2003,日本地質学会第110年学術大会要旨,66.[5]橋本ほか,1965,北海道開発庁(現 国土交通省北海道局).[6]Arai & Okada, Tectonophys., 195, 65-81.[7]加藤・合地,2008,日本地質学会第115年学術大会要旨,229.