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[U15-P92] 令和6年能登半島地震に伴う珠洲市若山町および志賀町北部の地表変状と臨時地震観測による富来川南岸断層周辺の震源分布
キーワード:2024年能登半島地震、地震断層、地表変形、地震観測
はじめに
2024年能登半島地震に伴い珠洲市若山町および志賀町北部に出現した地表変状の現地調査結果を報告する。地表変状の位置はハンディGPSで記録し、上下方向のずれおよび横ずれは水田や畦道などを指標として、標尺、コンベックスおよび折れ尺を用いて簡易的に計測した。志賀町北部では富来川南岸断層を囲む4点の臨時地震観測を行い、暫定的に震源決定した。
珠洲市若山町の地表変状
珠洲市若山町では、地震前後の数値表層モデルや航空レーザデータの解析から、若山川に沿って全長約4 km、幅100〜200 mの隆起帯が認められ(国際航業株式会社,2024;吉田,2024)、隆起帯の中央の若山町中(なか)での現地調査結果が報告された(白濱ほか,2024)。これらを参照しながら、珠洲市若山町延武から上黒丸までの範囲を踏査した(吉見・丸山,2024,地質調査総合センター)。
・珠洲市若山町中(なか)
水田や道路を切断して並走、雁行する複数の地表変状が認められた。地表変状の分布は東西から東北東―西南西方向である。単数または複数の撓曲崖と撓曲背後(隆起側)の逆傾斜のセットからなり、大局的には南北方向の短縮変形による地盤変状と解釈される。撓曲崖では落差に加えて横ずれも観察された。多くは左横ずれであるが,同様な走向でも右横ずれを示す地点も認められた。
撓曲崖における最大の落差は南落ち約195 cmであった。隆起側には南への傾動が長さ150 m以上にわたって続く。南上がりの隆起の多くが傾動により解消されたものと考えられる。この撓曲崖は北東―南西走向で直線的に500 mほど続き、中地区を蛇行して大局的には東流する若山川を複数箇所で横断する。河川横断部では河川の流下方位に応じて、早瀬もしくは湛水がみられた。中地区の西側では撓曲崖は2条に分岐し、西側に向かうにつれて落差が小さくなっていた。さらに西側では別の複数の撓曲崖が向かい合うように分布していた。
これらの撓曲崖の一部は既存の崖の基部に出現しているほか、もともとの高まりが成長した場所もあり、変形の累積が示唆される。
・珠洲市若山町宗末
若山町中の西側の宗末地区では、東流する若山川の左岸側の水田が北に、右岸側の水田が南にそれぞれ傾動している様子が認められ、付近の砂防ダムに短縮変形が生じていた。若山川を軸とする背斜状の変形が生じた可能性がある。この背斜軸の位置は、岡田背斜とほぼ一致している。宗末付近の若山川河床には、新鮮な基盤岩(中部〜上部中新統飯塚層珪質シルト岩:吉川ほか,2002)の露出や、河床礫と新鮮な基盤岩が接している様子が観察できた。
・珠洲市若山町延武
水田や道路を切断する直線的な3条の地表変状が報告されている地区(吉田,2024)。崖の高さが20〜40 cmと最も高い南のトレースでは、畦道の撓みやアスファルト舗装道路の段差が確認できた。崖の高さが10 cm程度の2つのトレース沿いでは、道路の割れや地盤の僅かな撓みは観察されたものの、連続的で明瞭な地表変状は見出し難く、現地調査の検出限界であったと考えられる。
志賀町北部の地表変状調査
地震断層が報告されている羽咋郡志賀町北部の富来川南岸断層沿いを調査した(図1、図13)(吉見・丸山,2024)。いずれの地点の地表変状も、盛土や造成地の地震時挙動として説明でき、積極的に地震断層といえるものは認められなかった。
・B地点(鈴木・渡辺,2024)
アスファルト舗装道路上に左ずれが確認されたB地点は、道路建設前後の空中写真から同地点は盛土であると考えられる。左ずれを示す亀裂の南約50 mには、盛土・地山境界部付近にあたる場所に南側(盛土側)低下の右ずれを示す亀裂も確認できた。これらのことから、B地点の地表変状は主に盛土の変状として説明できる。
・A地点(鈴木・渡辺,2024)およびその西方
上下変位と左ずれが報告されたA地点は、水田に砂を盛土して宅地造成された場所にあたり、液状化による地盤沈下や側方流動、噴砂が広範囲に生じていた。局所的には左横ずれに見える変状もあるが、すべて造成盛土の地震時応答として説明できる。
A地点の西方の住宅地では、盛土部の沈下や斜面低下側への移動に伴う亀裂が生じていた。領家漁港から富来川を超えて北約200mの範囲には上下変位を示すような段差や傾斜は認められなかった。
志賀町北部における臨時地震観測と震源分布
富来川南岸断層を囲む4地点に、2024年1月27〜28日に臨時地震観測点を設置した。1月30日に回収したデータと周辺のHi-netの4観測点を用いて震源決定を行った。志賀町北部では、やや南東傾斜の震源分布が見られるが、富来川南岸断層から延びるような地震活動は認められなかった。速度構造を含めた詳細な検討は今後の課題である。
2024年能登半島地震に伴い珠洲市若山町および志賀町北部に出現した地表変状の現地調査結果を報告する。地表変状の位置はハンディGPSで記録し、上下方向のずれおよび横ずれは水田や畦道などを指標として、標尺、コンベックスおよび折れ尺を用いて簡易的に計測した。志賀町北部では富来川南岸断層を囲む4点の臨時地震観測を行い、暫定的に震源決定した。
珠洲市若山町の地表変状
珠洲市若山町では、地震前後の数値表層モデルや航空レーザデータの解析から、若山川に沿って全長約4 km、幅100〜200 mの隆起帯が認められ(国際航業株式会社,2024;吉田,2024)、隆起帯の中央の若山町中(なか)での現地調査結果が報告された(白濱ほか,2024)。これらを参照しながら、珠洲市若山町延武から上黒丸までの範囲を踏査した(吉見・丸山,2024,地質調査総合センター)。
・珠洲市若山町中(なか)
水田や道路を切断して並走、雁行する複数の地表変状が認められた。地表変状の分布は東西から東北東―西南西方向である。単数または複数の撓曲崖と撓曲背後(隆起側)の逆傾斜のセットからなり、大局的には南北方向の短縮変形による地盤変状と解釈される。撓曲崖では落差に加えて横ずれも観察された。多くは左横ずれであるが,同様な走向でも右横ずれを示す地点も認められた。
撓曲崖における最大の落差は南落ち約195 cmであった。隆起側には南への傾動が長さ150 m以上にわたって続く。南上がりの隆起の多くが傾動により解消されたものと考えられる。この撓曲崖は北東―南西走向で直線的に500 mほど続き、中地区を蛇行して大局的には東流する若山川を複数箇所で横断する。河川横断部では河川の流下方位に応じて、早瀬もしくは湛水がみられた。中地区の西側では撓曲崖は2条に分岐し、西側に向かうにつれて落差が小さくなっていた。さらに西側では別の複数の撓曲崖が向かい合うように分布していた。
これらの撓曲崖の一部は既存の崖の基部に出現しているほか、もともとの高まりが成長した場所もあり、変形の累積が示唆される。
・珠洲市若山町宗末
若山町中の西側の宗末地区では、東流する若山川の左岸側の水田が北に、右岸側の水田が南にそれぞれ傾動している様子が認められ、付近の砂防ダムに短縮変形が生じていた。若山川を軸とする背斜状の変形が生じた可能性がある。この背斜軸の位置は、岡田背斜とほぼ一致している。宗末付近の若山川河床には、新鮮な基盤岩(中部〜上部中新統飯塚層珪質シルト岩:吉川ほか,2002)の露出や、河床礫と新鮮な基盤岩が接している様子が観察できた。
・珠洲市若山町延武
水田や道路を切断する直線的な3条の地表変状が報告されている地区(吉田,2024)。崖の高さが20〜40 cmと最も高い南のトレースでは、畦道の撓みやアスファルト舗装道路の段差が確認できた。崖の高さが10 cm程度の2つのトレース沿いでは、道路の割れや地盤の僅かな撓みは観察されたものの、連続的で明瞭な地表変状は見出し難く、現地調査の検出限界であったと考えられる。
志賀町北部の地表変状調査
地震断層が報告されている羽咋郡志賀町北部の富来川南岸断層沿いを調査した(図1、図13)(吉見・丸山,2024)。いずれの地点の地表変状も、盛土や造成地の地震時挙動として説明でき、積極的に地震断層といえるものは認められなかった。
・B地点(鈴木・渡辺,2024)
アスファルト舗装道路上に左ずれが確認されたB地点は、道路建設前後の空中写真から同地点は盛土であると考えられる。左ずれを示す亀裂の南約50 mには、盛土・地山境界部付近にあたる場所に南側(盛土側)低下の右ずれを示す亀裂も確認できた。これらのことから、B地点の地表変状は主に盛土の変状として説明できる。
・A地点(鈴木・渡辺,2024)およびその西方
上下変位と左ずれが報告されたA地点は、水田に砂を盛土して宅地造成された場所にあたり、液状化による地盤沈下や側方流動、噴砂が広範囲に生じていた。局所的には左横ずれに見える変状もあるが、すべて造成盛土の地震時応答として説明できる。
A地点の西方の住宅地では、盛土部の沈下や斜面低下側への移動に伴う亀裂が生じていた。領家漁港から富来川を超えて北約200mの範囲には上下変位を示すような段差や傾斜は認められなかった。
志賀町北部における臨時地震観測と震源分布
富来川南岸断層を囲む4地点に、2024年1月27〜28日に臨時地震観測点を設置した。1月30日に回収したデータと周辺のHi-netの4観測点を用いて震源決定を行った。志賀町北部では、やや南東傾斜の震源分布が見られるが、富来川南岸断層から延びるような地震活動は認められなかった。速度構造を含めた詳細な検討は今後の課題である。