09:20 〜 09:40
[HCG37-07] 熊本地震で現れた地形変動と地盤災害
★招待講演
キーワード:2016年熊本地震、地盤災害、地震・洪水複合災害
一連の熊本地震のなかで4月16日の本震では、存在が知られていた日奈久断層帯北端部から布田川断層帯にかけて地表地震断層が現れ、これに沿う地盤変形によっても様々な深刻な被害が現れた。この断層に沿う斜面災害も深刻であった。加えて6月20日夜から21日未明にかけて、九州各地を襲った累計500mmにも達する豪雨は、地形変化の現れた断層沿いにさらに深刻な氾濫や地盤災害をもたらし、地震・豪雨の複合災害対応の難しさを浮き彫りにした。
最も地盤災害が顕著な形で現れた阿蘇カルデラの黒川と合流地点、立野火口瀬付近の航空レーザー(LiDAR)観測結果を見ると、崩壊土砂で落橋した阿蘇大橋西背面の植生をはぎ取った地形には今回の本震で崩壊した斜面形状ばかりでなく、過去の崩壊跡も複数確認でき、この場所が古くから同様の地形変化の繰り返されてきた場所であることを物語っている。この火口瀬の狭隘部に集中した国道57号線、325号線、JR豊肥線、九州電力黒川第一発電所に通じる導水路などのライフラインが寸断された。さらに滑落崖背後には、崩落跡に並行して亀裂が走っている状況も確認でき、将来崩落しかねない不安定な土塊が残存している状況を示している。すなわち、この地形には過去、現在の災害に加え将来のリスクも刻まれているのである。
地形を構成する地盤は履歴材料である。磁気テープのように、過去の災害履歴を記録している。この意味では、地形として明瞭に判別できる断層は過去の変動の累積であり、未来の災害への備えを考えることもできるであろう。しかしながら火山が近くにある場合には、こうした過去の“災害記録”は火山灰や軽石など火山噴出物によって覆い尽くされ、長い時の流れの中で過去の記憶は忘れ去られてしまう。30~50m幅で断続的に10km程にわたり阿蘇カルデラ内に現れた陥没帯もその一例である。原因は特定しきれないものの、この陥没は灌漑用水や農地などに深刻な被害を与えた、これらの帯は旧河道沿いに現れたとする見解や、InSARで確認された大きな引っ張りひずみ部分に沿って現れたとする見解もあってその理由はまだ十分に特定しきれていない。米国GEER (Geotechnical Extreme Event Reconnaissance)の調査メンバーらによるUAV撮影画像からの3次元地形情報は、陥没帯の一部が黒川の小支流、乙姫川を渡る橋梁付近(32.9511°, 131.0275°)をかすめている様子を示しているが、橋梁部分が相対的に沈下している様子がなく、この個所も含め、数少ない橋梁支持形式の構造物がどう陥没帯の中で挙動したのか、その地盤データも含めて更なる調査が必要であろう。この場所のわずか数百メートル西側に、弥生時代の小野原遺跡群があって、ここで陥没帯と思われる正断層的な変形が現れていたことは、過去にも同様の地形変動があった証左かもしれない。
断層沿いに現れた明瞭な地変に比べると秋津川、木山川の氾濫原平野に明瞭な地形変形の痕跡は一見して見当たらない。しかし航空レーザー測量による地震前後のディジタル標高モデルを比較すると木山川沿いの平地で1mを超える沈下が現れたことがわかる。この地域は6月20日から21日未明にかけての豪雨で浸水した。増水した木山川の水が左岸堤防を越流したのである。この地盤の沈下は地殻変動の影響を反映したものかもしれない。また一部には液状化の沈下の影響もあるのかもしれない。いずれにしても広域の地盤の沈下は洪水への脆弱性を増す結果につながった。この氾濫原の中程の秋田配水場の近くで、4本の柱に支えられた上水井戸ポンプの複数のRC建屋がおよそ1°~2°の範囲で傾いた。深さ170 mから200 mまで根入れされた鋼製井戸シャフトが、各々の建屋床の中央ではなく4隅の一つに大きく偏心した状態で固定されていて、そこから最も遠方の建屋コーナー部に向かって傾いている。四隅の柱の基礎は、それぞれ長さ20 mの中間支持PC杭2本で支えられていて、この杭は有機質粘土層を貫き軽石混じりの砂層に達している。井戸の鉄製ケーシングがストラット(突っ張り棒)として働く一方で、これらのPC杭が有機質粘土層とともに沈下したのであれば5つの井戸建屋の全ての傾きの方向が説明できる。このことは中間支持杭の根入れ深さ20 mと井戸の鋼製ケーシングの最下端の170~100 mの間の地盤のどこかが縮んだ可能性を暗示しているのかもしれない。
最も地盤災害が顕著な形で現れた阿蘇カルデラの黒川と合流地点、立野火口瀬付近の航空レーザー(LiDAR)観測結果を見ると、崩壊土砂で落橋した阿蘇大橋西背面の植生をはぎ取った地形には今回の本震で崩壊した斜面形状ばかりでなく、過去の崩壊跡も複数確認でき、この場所が古くから同様の地形変化の繰り返されてきた場所であることを物語っている。この火口瀬の狭隘部に集中した国道57号線、325号線、JR豊肥線、九州電力黒川第一発電所に通じる導水路などのライフラインが寸断された。さらに滑落崖背後には、崩落跡に並行して亀裂が走っている状況も確認でき、将来崩落しかねない不安定な土塊が残存している状況を示している。すなわち、この地形には過去、現在の災害に加え将来のリスクも刻まれているのである。
地形を構成する地盤は履歴材料である。磁気テープのように、過去の災害履歴を記録している。この意味では、地形として明瞭に判別できる断層は過去の変動の累積であり、未来の災害への備えを考えることもできるであろう。しかしながら火山が近くにある場合には、こうした過去の“災害記録”は火山灰や軽石など火山噴出物によって覆い尽くされ、長い時の流れの中で過去の記憶は忘れ去られてしまう。30~50m幅で断続的に10km程にわたり阿蘇カルデラ内に現れた陥没帯もその一例である。原因は特定しきれないものの、この陥没は灌漑用水や農地などに深刻な被害を与えた、これらの帯は旧河道沿いに現れたとする見解や、InSARで確認された大きな引っ張りひずみ部分に沿って現れたとする見解もあってその理由はまだ十分に特定しきれていない。米国GEER (Geotechnical Extreme Event Reconnaissance)の調査メンバーらによるUAV撮影画像からの3次元地形情報は、陥没帯の一部が黒川の小支流、乙姫川を渡る橋梁付近(32.9511°, 131.0275°)をかすめている様子を示しているが、橋梁部分が相対的に沈下している様子がなく、この個所も含め、数少ない橋梁支持形式の構造物がどう陥没帯の中で挙動したのか、その地盤データも含めて更なる調査が必要であろう。この場所のわずか数百メートル西側に、弥生時代の小野原遺跡群があって、ここで陥没帯と思われる正断層的な変形が現れていたことは、過去にも同様の地形変動があった証左かもしれない。
断層沿いに現れた明瞭な地変に比べると秋津川、木山川の氾濫原平野に明瞭な地形変形の痕跡は一見して見当たらない。しかし航空レーザー測量による地震前後のディジタル標高モデルを比較すると木山川沿いの平地で1mを超える沈下が現れたことがわかる。この地域は6月20日から21日未明にかけての豪雨で浸水した。増水した木山川の水が左岸堤防を越流したのである。この地盤の沈下は地殻変動の影響を反映したものかもしれない。また一部には液状化の沈下の影響もあるのかもしれない。いずれにしても広域の地盤の沈下は洪水への脆弱性を増す結果につながった。この氾濫原の中程の秋田配水場の近くで、4本の柱に支えられた上水井戸ポンプの複数のRC建屋がおよそ1°~2°の範囲で傾いた。深さ170 mから200 mまで根入れされた鋼製井戸シャフトが、各々の建屋床の中央ではなく4隅の一つに大きく偏心した状態で固定されていて、そこから最も遠方の建屋コーナー部に向かって傾いている。四隅の柱の基礎は、それぞれ長さ20 mの中間支持PC杭2本で支えられていて、この杭は有機質粘土層を貫き軽石混じりの砂層に達している。井戸の鉄製ケーシングがストラット(突っ張り棒)として働く一方で、これらのPC杭が有機質粘土層とともに沈下したのであれば5つの井戸建屋の全ての傾きの方向が説明できる。このことは中間支持杭の根入れ深さ20 mと井戸の鋼製ケーシングの最下端の170~100 mの間の地盤のどこかが縮んだ可能性を暗示しているのかもしれない。