16:00 〜 16:30
[O06-05] この島にジオパークは必要か? ジオパーク活動の推進に適した地域なのか?
~ 伊豆大島ジオパークの歩み
★招待講演
キーワード:ジオパーク、再認定審査、人づくり、持続可能性
「ジオパークといえば火山、自然だと思っていた。研修を受けて初めて、まちづくり、すべてがつながっていくことがジオパークだと知った」「ジオパークとは火山や自然を売りとした観光客誘致という認識で、観光関係以外の人はあまり関心を持っていないのが実態だと思う。今日の研修でまちづくりの活動であると聞きビックリしたのが本音である」「ジオパークという言葉は知っていたが、“自然愛好集団の活動”程度にしか考えていなかった。地上にある自然・文化等を融合して活性化に繋げる活動であり、暮らしの中に溶け込ませることで持続させていく活動だと感じた」― 2016年5月、大島町全職員を対象としたジオパーク研修を実施した。研修後に行ったアンケートには、このように、「ジオパークに対する誤解」に気づいたことから始まる感想が大半を占めた。
火山島「伊豆大島」、東京都大島町全域を対象エリアとする伊豆大島ジオパークは、2010年9月にJGNへの加盟認定を受けた。JGNの認定制度が始まって3年目のことである。大島町が「ジオパーク」の存在を知ったのが2009年11月、認定を目指すこととし申請書を提出したのが2010年4月、その準備期間は実質4ヵ月間という、今ではあり得ないプロセスで事が運ばれた。それゆえ、多くの一般島民はもちろん、町職員もジオパークを正しく認識するに十分な時間も機会も無いままに伊豆大島ジオパークは誕生した。その後は熱心な関係者に支えられ活動が進められていたが、2013年に発生した大規模土砂災害によって町政が混乱・停滞し、2014年の再認定審査で「条件付き再認定」という判定を受けた。主な指摘は、推進主体である組織及び事務局体制があまりにも脆弱であること、ジオパークが町政において明確に位置付けられておらず、ビジョンや計画も無いままに進められていること。すなわち「ジオパークの持続性」が疑問視された結果であった。
実質のジオパーク事務局員が兼任職員1名のみであったところから、2015年7月にジオパーク専門員が1名雇用された。まずは、ジオパークの誤解を解くこと、理解者を増やすこと、担い手を増やすこと。島内各所の人を訪ね、時間をかけて地道な行脚を続けるとともに、ジオパーク研修会・ワークショップ等を各地で開催した。そして、これまで取り組まれていなかったジオガイド公式認定制度を立ち上げた。「火山・自然」のみではなく様々な切り口で設定した全22コマのジオガイド養成講座は、ガイド志望者に限定せず島民に広く門戸を開くことによって、延べ986名もの受講者を得た(大島町人口:8,000人弱)。また、地場産業事業者や島の歴史文化に造詣が深い教育関係者、伊豆諸島を専門フィールドとする研究者等に講師を依頼し、各テーマとジオパークとの関わりを丁寧に説明し打ち合わせと準備を重ねることによって、ジオパークの視点に基づく質の高い講座が実現された。これにより、講師・受講者からジオパーク活動の理解者・賛同者・主体者の確実な広がりに至り、その後に進められた公式ジオガイドの認定、推進組織の改正、基本計画の策定は、形のみではなく実が伴う取り組みとなった。認定ジオガイドからは自主的に「ジオガイドの会」が設立され活動が展開し、「地域が主体となり支える」当ジオパークの特色のさらなる進化につながった。2016年12月、二度目の再認定審査で再認定の判定を頂いた。「持続可能性」の芽を見い出していただけたものと考える。
当ジオパークは、国内有数の活発な火山島かつ海に囲まれた海洋島であり、限られた資源からなる厳しい生活環境に加えて自然現象に直面しやすく、度重なる自然災害からの再生・復興を繰り返す、島国日本の中で最も象徴的なジオパークである。特に大規模土砂災害を経験したことにより、謙虚かつ冷静に自然の営みと向き合い、自分たちが暮らす土地の成り立ちと特徴を自然科学の目で学び、地域の歴史を知り、目の前の風景を読み解く力を養い、人と人との結びつきを以って減災・防災力を高めることの必要性が実感された。すなわち、当地域におけるジオパークの理念と活動の重要性が改めて強く理解されることにつながった。このように、より活動的なジオと人の暮らしが密接し、ジオパークに基づくまちづくりを推進するに最も相応しい地域であるといえる反面、島嶼であるからこその課題も大きいのが現実である。しかし、「自然災害によって二度と同じ悲しみを繰り返さない」との島民共通の想いのもとに、地域に適したやり方で、地域のジオと人に持続的に根付く「災害に強いジオパークの島」に向け再出発したところである。
火山島「伊豆大島」、東京都大島町全域を対象エリアとする伊豆大島ジオパークは、2010年9月にJGNへの加盟認定を受けた。JGNの認定制度が始まって3年目のことである。大島町が「ジオパーク」の存在を知ったのが2009年11月、認定を目指すこととし申請書を提出したのが2010年4月、その準備期間は実質4ヵ月間という、今ではあり得ないプロセスで事が運ばれた。それゆえ、多くの一般島民はもちろん、町職員もジオパークを正しく認識するに十分な時間も機会も無いままに伊豆大島ジオパークは誕生した。その後は熱心な関係者に支えられ活動が進められていたが、2013年に発生した大規模土砂災害によって町政が混乱・停滞し、2014年の再認定審査で「条件付き再認定」という判定を受けた。主な指摘は、推進主体である組織及び事務局体制があまりにも脆弱であること、ジオパークが町政において明確に位置付けられておらず、ビジョンや計画も無いままに進められていること。すなわち「ジオパークの持続性」が疑問視された結果であった。
実質のジオパーク事務局員が兼任職員1名のみであったところから、2015年7月にジオパーク専門員が1名雇用された。まずは、ジオパークの誤解を解くこと、理解者を増やすこと、担い手を増やすこと。島内各所の人を訪ね、時間をかけて地道な行脚を続けるとともに、ジオパーク研修会・ワークショップ等を各地で開催した。そして、これまで取り組まれていなかったジオガイド公式認定制度を立ち上げた。「火山・自然」のみではなく様々な切り口で設定した全22コマのジオガイド養成講座は、ガイド志望者に限定せず島民に広く門戸を開くことによって、延べ986名もの受講者を得た(大島町人口:8,000人弱)。また、地場産業事業者や島の歴史文化に造詣が深い教育関係者、伊豆諸島を専門フィールドとする研究者等に講師を依頼し、各テーマとジオパークとの関わりを丁寧に説明し打ち合わせと準備を重ねることによって、ジオパークの視点に基づく質の高い講座が実現された。これにより、講師・受講者からジオパーク活動の理解者・賛同者・主体者の確実な広がりに至り、その後に進められた公式ジオガイドの認定、推進組織の改正、基本計画の策定は、形のみではなく実が伴う取り組みとなった。認定ジオガイドからは自主的に「ジオガイドの会」が設立され活動が展開し、「地域が主体となり支える」当ジオパークの特色のさらなる進化につながった。2016年12月、二度目の再認定審査で再認定の判定を頂いた。「持続可能性」の芽を見い出していただけたものと考える。
当ジオパークは、国内有数の活発な火山島かつ海に囲まれた海洋島であり、限られた資源からなる厳しい生活環境に加えて自然現象に直面しやすく、度重なる自然災害からの再生・復興を繰り返す、島国日本の中で最も象徴的なジオパークである。特に大規模土砂災害を経験したことにより、謙虚かつ冷静に自然の営みと向き合い、自分たちが暮らす土地の成り立ちと特徴を自然科学の目で学び、地域の歴史を知り、目の前の風景を読み解く力を養い、人と人との結びつきを以って減災・防災力を高めることの必要性が実感された。すなわち、当地域におけるジオパークの理念と活動の重要性が改めて強く理解されることにつながった。このように、より活動的なジオと人の暮らしが密接し、ジオパークに基づくまちづくりを推進するに最も相応しい地域であるといえる反面、島嶼であるからこその課題も大きいのが現実である。しかし、「自然災害によって二度と同じ悲しみを繰り返さない」との島民共通の想いのもとに、地域に適したやり方で、地域のジオと人に持続的に根付く「災害に強いジオパークの島」に向け再出発したところである。