[SSS14-P08] 2011年東北地方太平洋沖地震前の3ヶ月間に観測された発生までの3段階の過程(2)
キーワード:東北地方太平洋沖地震、F-net、GNSS
1. はじめに
2011年東北地方太平洋沖地震では、広帯域地震観測網F-netが2010年12月下旬から2011年1月中旬、続いて2月中旬から3月初旬と2度の欠測観測点の増加後、本震となった。そこで地震発生までの凡そ3カ月間に中部地方~伊豆小笠原諸島と北海道中央部で挟まれる領域での観測事象を集め挙動を調べた。本報告は同題目[1]の続報である。
2. 解析
地震発生までの凡そ3カ月間は以下の3段階から成っていた。
<第1段階、2010年12月中旬~2011年1月28日頃>
解説: 長年に亘る陸側プレートによる歪蓄積の最終段階であり、2011年1月28日頃に歪蓄積の限界に到達し東北地方が西進を停止した。ほぼ同時に海側プレートである太平洋プレートも西進を停止した。これに先立つ凡そ1.5ヶ月間に東北および中部地方を主とした日本列島の広い領域で通常見られない動きが発生した。これらは主に歪を蓄積する領域で発生した。
観測事象:
・2011年1月28日頃、長年西方へ移動していた東北地方が西進を停止した[2,3]。1月27日には海側プレートである太平洋プレートの西進が停止し、以後、本震まで動きを止めた[4]。この変化に先立つ凡そ1.5ヶ月間に以下の状況が観測された。
・2010年12月中旬、岩手県沿岸部の地下水で異常値が観測された。12月22日には父島近海でM7.4のプレート内地震が発生した。2011年1月、箱根山直下で低周波地震が多数発生した。
・F-netは、2010年12月下旬より欠測観測点が増加し2011年1月14日に最多の4か所となった。これらは、三陸沿岸―北海道南部(2ヵ所)および能登―伊豆諸島(2ヵ所)の2つの領域である[6]。
・GNSS観測によると、2011年1月5日に日本列島全域が南方へ、1月23日には日本列島の広い地域が西方へ動いた[5]。
<第2段階、2011年1月29日頃~3月2日頃>
解説: 西進を止めた陸側プレートは、この段階で動く方向を反転させた。この結果、太平洋プレートに対するそれまでの従属的な動きと変わり反発力を増大させた。これはプレート境界に於いて剪断力を増加させ、結果として震源域付近のスロースリップ等の活発な活動を生んだ。震源域に近い陸地でも変化が観測された。
観測事象:
・1月28日頃に西進を停止した陸地は、翌29日頃より移動方向を180度変え徐々に東に動いた[2,3]。
・1月29日から震源域付近でスロースリップが観測された。この動きは、2月19日頃より傾向を変化させながら3月9日の三陸沖地震M7.3の直前まで続いた[7]。
・2月13日~2月末日に本震の破壊開始点付近でM5以上の地震が複数発生した[7]。
・2月16日より3月2日にF-netの欠測増加があり、2月18日に最多の4か所となった。これらは三陸沿岸~北海道南部(3ヵ所)および岐阜県(1ヵ所)からなる[6]。
<第3段階、2011年3月8日頃~3月11日(本震)>
解説: 第2段階で活動のあった三陸沖で地震活動が再開し本震に至った。同時期に三陸沿岸部でもGNSSに動きが見られた。
観測事象:
・3月8日、GNSSによる観測で東北地方の東方および下方への大きな動きが見られた[5]。
・3月9日、三陸沖地震M7.3が発生し、その後もM6クラスの地震が続いた。
・3月11日、東北地方太平洋沖地震M9.0が発生した。
3.まとめと議論
・大地震の前には、陸地に設置されたGNSSやF-netに変化が現れる。これらの変化は、海溝軸付近の活動と同期している場合がある。
・2011年東北地方太平洋沖地震は、ここに示す3つの段階から成っていた。
・海溝型地震では、陸側プレートの圧縮歪が限界点に到達することが地震発生前の通過点になっていると思われる。これは、GNSSによる観測で陸側プレートの進行方向の反転として認識される。2011年の巨大地震では、2011年1月28日頃(本震の凡そ1.5ヵ月前)に起きたと考えられる。
4.参考文献
[1] 末, 2016, JpGU, SSS30-P14.
[2] 神山, 2012, 地盤工学会東北支部総会講演会.
[3] 鶴田 et al., 2012, JpGU, SSS32-07.
[4] 武田, 2011, 日本地震学会秋季大会, A32-11.
[5] Chen, C-H. et al., 2014, Journal of Asian Earth Sciences, 80, 165-171.
[6] 末, 2013, JpGU, SSS30-P01.
[7] 内田 et al., 2014, 日本地震学会広報誌, nf-vol97.
2011年東北地方太平洋沖地震では、広帯域地震観測網F-netが2010年12月下旬から2011年1月中旬、続いて2月中旬から3月初旬と2度の欠測観測点の増加後、本震となった。そこで地震発生までの凡そ3カ月間に中部地方~伊豆小笠原諸島と北海道中央部で挟まれる領域での観測事象を集め挙動を調べた。本報告は同題目[1]の続報である。
2. 解析
地震発生までの凡そ3カ月間は以下の3段階から成っていた。
<第1段階、2010年12月中旬~2011年1月28日頃>
解説: 長年に亘る陸側プレートによる歪蓄積の最終段階であり、2011年1月28日頃に歪蓄積の限界に到達し東北地方が西進を停止した。ほぼ同時に海側プレートである太平洋プレートも西進を停止した。これに先立つ凡そ1.5ヶ月間に東北および中部地方を主とした日本列島の広い領域で通常見られない動きが発生した。これらは主に歪を蓄積する領域で発生した。
観測事象:
・2011年1月28日頃、長年西方へ移動していた東北地方が西進を停止した[2,3]。1月27日には海側プレートである太平洋プレートの西進が停止し、以後、本震まで動きを止めた[4]。この変化に先立つ凡そ1.5ヶ月間に以下の状況が観測された。
・2010年12月中旬、岩手県沿岸部の地下水で異常値が観測された。12月22日には父島近海でM7.4のプレート内地震が発生した。2011年1月、箱根山直下で低周波地震が多数発生した。
・F-netは、2010年12月下旬より欠測観測点が増加し2011年1月14日に最多の4か所となった。これらは、三陸沿岸―北海道南部(2ヵ所)および能登―伊豆諸島(2ヵ所)の2つの領域である[6]。
・GNSS観測によると、2011年1月5日に日本列島全域が南方へ、1月23日には日本列島の広い地域が西方へ動いた[5]。
<第2段階、2011年1月29日頃~3月2日頃>
解説: 西進を止めた陸側プレートは、この段階で動く方向を反転させた。この結果、太平洋プレートに対するそれまでの従属的な動きと変わり反発力を増大させた。これはプレート境界に於いて剪断力を増加させ、結果として震源域付近のスロースリップ等の活発な活動を生んだ。震源域に近い陸地でも変化が観測された。
観測事象:
・1月28日頃に西進を停止した陸地は、翌29日頃より移動方向を180度変え徐々に東に動いた[2,3]。
・1月29日から震源域付近でスロースリップが観測された。この動きは、2月19日頃より傾向を変化させながら3月9日の三陸沖地震M7.3の直前まで続いた[7]。
・2月13日~2月末日に本震の破壊開始点付近でM5以上の地震が複数発生した[7]。
・2月16日より3月2日にF-netの欠測増加があり、2月18日に最多の4か所となった。これらは三陸沿岸~北海道南部(3ヵ所)および岐阜県(1ヵ所)からなる[6]。
<第3段階、2011年3月8日頃~3月11日(本震)>
解説: 第2段階で活動のあった三陸沖で地震活動が再開し本震に至った。同時期に三陸沿岸部でもGNSSに動きが見られた。
観測事象:
・3月8日、GNSSによる観測で東北地方の東方および下方への大きな動きが見られた[5]。
・3月9日、三陸沖地震M7.3が発生し、その後もM6クラスの地震が続いた。
・3月11日、東北地方太平洋沖地震M9.0が発生した。
3.まとめと議論
・大地震の前には、陸地に設置されたGNSSやF-netに変化が現れる。これらの変化は、海溝軸付近の活動と同期している場合がある。
・2011年東北地方太平洋沖地震は、ここに示す3つの段階から成っていた。
・海溝型地震では、陸側プレートの圧縮歪が限界点に到達することが地震発生前の通過点になっていると思われる。これは、GNSSによる観測で陸側プレートの進行方向の反転として認識される。2011年の巨大地震では、2011年1月28日頃(本震の凡そ1.5ヵ月前)に起きたと考えられる。
4.参考文献
[1] 末, 2016, JpGU, SSS30-P14.
[2] 神山, 2012, 地盤工学会東北支部総会講演会.
[3] 鶴田 et al., 2012, JpGU, SSS32-07.
[4] 武田, 2011, 日本地震学会秋季大会, A32-11.
[5] Chen, C-H. et al., 2014, Journal of Asian Earth Sciences, 80, 165-171.
[6] 末, 2013, JpGU, SSS30-P01.
[7] 内田 et al., 2014, 日本地震学会広報誌, nf-vol97.