[0023] 意欲低下を示す高齢者に対し理学療法学生の個が立ち上がる音楽介入の試み
キーワード:学生, 音楽, 情動
【はじめに,目的】
はじめての長期実習を終えた学生は,患者をどのようにみているのだろうか。単に運動器疾患を持った対象とみてはいないだろうか。患者を全人的に捉えているだろうか。心配である。我々の心の原風景を歌っていると思われる2曲(故郷・浜辺の歌)を学生に聴かせ,理学療法に意欲がわかない患者への学生の想いの変容を比較し,音楽介入の可能性を検討した。
【方法】
対象:はじめての長期実習を終えた3年生32名(男性16名,女性16名,平均年齢21歳)である。
方法:まず電子オルガンで前述の2曲を聴かせる群と聴かせない群に,学籍番号の偶数と奇数によって分けた。次に両群に「脳卒中2回目の75歳の男性患者。軽い左の麻痺のため,日常生活にはそれほど支障はありませんが,病院では車いすで移動し,リハビリには意欲がなく休みがち。長男から今やっているリハビリは回数が少なすぎる。前の病院でやっていたように,もっとリハビリの回数を増やしてほしい。1回目の時は良くなったのに,今回はちっとも良くならないじゃないかと電話があったことを今朝のミーティングで連絡をうけた」(「吉備国際大学 医療・福祉領域の連携スキルの学習」より場面を転用),このシチュエーションを学生に提示し,担当の理学療法士であるあなたは,どのような対応をとりますかと問い,自由に記述させた。その後,音楽を聴かせる群は別室に移動させ,この2曲を2度聴かせた。音楽を聴かせない群には「ここでしばらく休んでいてください」と指示し,15分程度待機させた。そして,再度両群に同様の質問に回答させた。分析は意味のまとまりごとにシンボリックなラベルをつけ,それらをグループに編成し(表札づくり),データを構造化した(KJ法)。さらにグループ(表札)毎にラベルの枚数に比例した大きさの円を描き,グループ間の量的な差異を可視化させ,質的,量的両面から分析した。
【倫理的配慮,説明と同意】
研究の目的と方法,研究への参加は任意であること,もし研究に参加しなくても不利益をこうむることはないこと,無記名であり個人は特定されないこと,成果は学術誌などに公表すること,調査への回答をもって本研究への参加に同意したものとすることを書面と口頭で説明し,回答を求めた。
【結果】
音楽介入なし群の介入前・介入後,および音楽介入あり群の介入前の3条件下の記述では,「患者の意欲をリハに向ける工夫」「患者の状態を家族に伝えリハの目標を決める」「患者に意欲がわかない理由を聞く」の大きく3群に構造化された。そして,ラベル数は「患者の意欲をリハに向ける工夫」が最も多く,次に「患者の状態を家族に伝えリハの目標を決める」が続き,「患者に意欲がわかない理由を聞く」は少なかった。一方,音楽介入後の記述では,大きく4群に構造化され,記述内容にリハという言葉そのものが少なくなった。目的として「患者の意欲をリハに向ける工夫」と並んで「患者の意欲を上げる」が現れた。そして,リハの目標を決めるために家族に患者の状態を伝えるのではなく,長男の期待が患者の負担になっていることなど「患者の想いを家族と共有」し,「家族に理解を求める」ために患者の状態を家族に伝え,「患者の想いを理解」しようとしていた。ラベル数は「患者の想いを家族と共有する」が最も多く,次いで「患者の想いを理解」しようとするが続き,患者の「意欲をリハに向ける工夫」と「患者の意欲を上げる」が同数であった。
【考察】
音楽介入なし群の介入前・介入後,および音楽介入あり群の介入前の3条件下では,まずリハありきでリハを行うことが目的化し,そのために患者の状態を家族に伝え,家族に協力を求め,患者に意欲がわかない理由を聞いていた。一方,音楽介入後は,学生に患者への慈しみの心が芽生え,他の3条件に比べ,はるかに患者への心理的距離が近づいていた。そして,必ずしもリハを行うためではなく,患者の生きる意欲を高めることが目的になり,そのために患者の想いを理解し,患者の想いを家族と共有しようとしていた。今回の学生の患者への想いの変容は,我々の心の原風景が歌われた音楽を聴くと情動が揺すぶられ,理学療法を専攻する学生としての心の鎧が脱ぎ捨てられたために生じたと思う。鎧を脱ぎ捨てた結果,患者を運動器疾患を持った対象としてだけでなく,自分と同じ一人の弱い立場の人間としてとらえ,(本来誰しもが持っている)慈しみの心をもつ学生一人ひとりの個が立ち上がり,患者への想いが変容したのだと推察できる。
【理学療法学研究としての意義】
我々の心の原風景が歌われた音楽は,医療人として最も不可欠な心性である患者や家族への慈しみの心を学生に育てることができる可能性が示唆されたこと。
はじめての長期実習を終えた学生は,患者をどのようにみているのだろうか。単に運動器疾患を持った対象とみてはいないだろうか。患者を全人的に捉えているだろうか。心配である。我々の心の原風景を歌っていると思われる2曲(故郷・浜辺の歌)を学生に聴かせ,理学療法に意欲がわかない患者への学生の想いの変容を比較し,音楽介入の可能性を検討した。
【方法】
対象:はじめての長期実習を終えた3年生32名(男性16名,女性16名,平均年齢21歳)である。
方法:まず電子オルガンで前述の2曲を聴かせる群と聴かせない群に,学籍番号の偶数と奇数によって分けた。次に両群に「脳卒中2回目の75歳の男性患者。軽い左の麻痺のため,日常生活にはそれほど支障はありませんが,病院では車いすで移動し,リハビリには意欲がなく休みがち。長男から今やっているリハビリは回数が少なすぎる。前の病院でやっていたように,もっとリハビリの回数を増やしてほしい。1回目の時は良くなったのに,今回はちっとも良くならないじゃないかと電話があったことを今朝のミーティングで連絡をうけた」(「吉備国際大学 医療・福祉領域の連携スキルの学習」より場面を転用),このシチュエーションを学生に提示し,担当の理学療法士であるあなたは,どのような対応をとりますかと問い,自由に記述させた。その後,音楽を聴かせる群は別室に移動させ,この2曲を2度聴かせた。音楽を聴かせない群には「ここでしばらく休んでいてください」と指示し,15分程度待機させた。そして,再度両群に同様の質問に回答させた。分析は意味のまとまりごとにシンボリックなラベルをつけ,それらをグループに編成し(表札づくり),データを構造化した(KJ法)。さらにグループ(表札)毎にラベルの枚数に比例した大きさの円を描き,グループ間の量的な差異を可視化させ,質的,量的両面から分析した。
【倫理的配慮,説明と同意】
研究の目的と方法,研究への参加は任意であること,もし研究に参加しなくても不利益をこうむることはないこと,無記名であり個人は特定されないこと,成果は学術誌などに公表すること,調査への回答をもって本研究への参加に同意したものとすることを書面と口頭で説明し,回答を求めた。
【結果】
音楽介入なし群の介入前・介入後,および音楽介入あり群の介入前の3条件下の記述では,「患者の意欲をリハに向ける工夫」「患者の状態を家族に伝えリハの目標を決める」「患者に意欲がわかない理由を聞く」の大きく3群に構造化された。そして,ラベル数は「患者の意欲をリハに向ける工夫」が最も多く,次に「患者の状態を家族に伝えリハの目標を決める」が続き,「患者に意欲がわかない理由を聞く」は少なかった。一方,音楽介入後の記述では,大きく4群に構造化され,記述内容にリハという言葉そのものが少なくなった。目的として「患者の意欲をリハに向ける工夫」と並んで「患者の意欲を上げる」が現れた。そして,リハの目標を決めるために家族に患者の状態を伝えるのではなく,長男の期待が患者の負担になっていることなど「患者の想いを家族と共有」し,「家族に理解を求める」ために患者の状態を家族に伝え,「患者の想いを理解」しようとしていた。ラベル数は「患者の想いを家族と共有する」が最も多く,次いで「患者の想いを理解」しようとするが続き,患者の「意欲をリハに向ける工夫」と「患者の意欲を上げる」が同数であった。
【考察】
音楽介入なし群の介入前・介入後,および音楽介入あり群の介入前の3条件下では,まずリハありきでリハを行うことが目的化し,そのために患者の状態を家族に伝え,家族に協力を求め,患者に意欲がわかない理由を聞いていた。一方,音楽介入後は,学生に患者への慈しみの心が芽生え,他の3条件に比べ,はるかに患者への心理的距離が近づいていた。そして,必ずしもリハを行うためではなく,患者の生きる意欲を高めることが目的になり,そのために患者の想いを理解し,患者の想いを家族と共有しようとしていた。今回の学生の患者への想いの変容は,我々の心の原風景が歌われた音楽を聴くと情動が揺すぶられ,理学療法を専攻する学生としての心の鎧が脱ぎ捨てられたために生じたと思う。鎧を脱ぎ捨てた結果,患者を運動器疾患を持った対象としてだけでなく,自分と同じ一人の弱い立場の人間としてとらえ,(本来誰しもが持っている)慈しみの心をもつ学生一人ひとりの個が立ち上がり,患者への想いが変容したのだと推察できる。
【理学療法学研究としての意義】
我々の心の原風景が歌われた音楽は,医療人として最も不可欠な心性である患者や家族への慈しみの心を学生に育てることができる可能性が示唆されたこと。