資源・素材2018(福岡)

講演情報(2018年7月31日付 確定版)

企画講演

鉱業史(2)

2018年9月12日(水) 14:45 〜 16:30 第4会場 (A棟 2階 A21講義室)

司会:久間 英樹(松江工業高等専門学校)

15:45 〜 16:15

[3410-12-03] 鹿児島県における金銀製錬法の発達史

○五味 篤1 (1. 三井串木野鉱山株式会社)

司会:久間 英樹(松江工業高等専門学校)

キーワード:灰吹法、混汞法(アマルガム法)、浮遊選鉱法、青化法、銅製錬熔剤

鹿児島県には多くの金銀鉱山が存在する。これらの鉱山は、薩摩藩の逼迫した財政の新たな財源確保のために、近世に次々と開発された(山ヶ野鉱山1640年、芹ヶ野鉱山1660年、鹿籠鉱山1683年、神殿鉱山1698年)。この時期には、金銀鉱は石臼で粉砕され揺盆による比重選鉱法で濃集分離され熔解されて玉金と成した。明治になって経営は島津家に移り、石臼に代わって水車動力による搗鉱機と混汞法(アマルガム法)が導入された(芹ヶ野鉱山1871年、山ヶ野鉱山1877年)。青化法については1893年に米国の操業例が日本鉱業会誌に紹介され、鹿児島県では1897年に滝ノ神、1900年に柿木畑で試験導入された。その後、金銀採収率を向上させるために、混汞法で処理した残渣に対し、残留している金銀を青化法で回収する工程をもつ製錬所が建設された(山ヶ野鉱山1903年、芹ヶ野鉱山1909年)。串木野鉱山(西山)は既に1689年頃に発見されていたが、金銀鉱物が極細粒で製錬がやや困難であったことや坑内湧水が障害となり本格的な開発が遅れていた。1906年に三井合名が鉱区を取得し、金銀鉱の製錬試験を重ねた結果、混汞法は採用せず、全泥青化法を採用することとし、1914年に全泥青化製錬所を建設、現在に至っている。

講演PDFファイルダウンロードパスワード認証

講演集に収録された講演PDFファイルのダウンロードにはパスワードが必要です。

現在有効なパスワードは、[資源・素材学会会員専用パスワード]です。
※[資源・素材学会会員専用パスワード]は【会員マイページ】にてご確認ください。(毎年1月に変更いたします。)

[資源・素材学会会員専用パスワード]を入力してください

パスワード