[PF047] 高校における教えあい講座の実践(3)
教えあいの質における効果
キーワード:教えあい, 理解観, プロンプト
問題と目的
近年,学習内容を学習者同士が教えあう活動に関心が集まっている。教えあいが注目を集めるのは,教えあいにより理解が促進されるためだと考えられるが(Roscoe & Chi, 2007),教えあい自体有効な学習方略になりうることを踏まえると,教師に求められずとも,学習者が主体的に教えあいを行うよう促すことも重要だろう。そのためには,自由度の高い状況で学習者が主体的に教えあいを進める機会を設ける必要がある。なぜなら,扱う内容やメンバー,やりとりの進め方などがあまりにも固定的だと,そこでの経験は他の学習場面に転移しにくくなってしまうと予測されるためである(Barnett & Ceci, 2002)。
自由度の高い教えあいを実施するにあたって,学習一般に共通する目標,すなわち「理解を達成すること」自体の認識を深める重要性が示唆される(植阪他,2013)。県立高校にて教えあい講座を実施した植阪他は,理解を目指すことやそのためのスキルを教示したにもかかわらず,実際に見られた教えあいの大半が,断片的な情報をクイズ形式で問うなどの質の低いもので,理解の確認や深化を伴わないものになっていたことを報告している。ここから,生徒が語句を覚えることや問題が解けることを「理解」と捉えている可能性が示唆される。
そこで本研究は,植阪他(2013)の教えあい講座に改善を加えた上で,講座によって理解を目指した教えあいが行われるようになったかを検討する。新たに行われた講座では,理解とは知識が関連づいた状態であることを明示的に伝えるとともに,「そもそも」「なぜ」という直感的で使用しやすいプロンプトを教えあいの中で活用するよう働きかける。また,教えあいの機会を2回設け,1度目では足場かけを多く設ける一方,2度目では自由度を高めて実施する。また,その合間に1度目の教えあいのよかった点と改善点をふり返る講演を行う。
実践の概要と結果
参加者 埼玉県公立高校の1年生320名。分析では,教えあい中の発話を記録した1クラス40名を対象とした。
手続き 2012年秋に「総合的な学習の時間」計6授業時間の講座を実施した。前半3時間は,学習観と学習法を見直すことや教えあいの重要性をテーマに講演を行った。特に,3回目の講演では,教え合いのスキルを解説するとともに,スキルを活用するアクティビティを行った。具体的には,(1) 「そもそも」「なぜ」を問い知識の関連づけを図ること,(2) スキルとして図や具体例の生成も用いること,(3) 教え手が説明した後は役割を交代し聴き手が説明,教え手が質問を行うことなどを教授した。
教授したスキルが使用された程度を調べた。発話を記録した1クラス分を対象に,スキルの使用比率を算出した。分析の単位は教科ごとのやりとりで,1回目は80件のやりとり(20ペア×4教科)が対象となった。
分析の結果,「『なぜ』『そもそも』に関する内容が含んだ教え手の説明」は83%と高い割合を示した。例えば以下の発話では,現在進行形と現在形がなぜ異なるかを整理する発話が見られた。
G3-A:Bobなんとかan English bookってあるじゃん。
(“Bob ( ) an English book. ”という問題について)
G3-A:Bobは英語の本を読んでいるって,何々しているじゃん。
:何々しているっていうのは,現在進行形っていって,今の動作を表すことなの。
:図に表すと,今,過去,未来,ってあって。
:現在進行形っていうのは今だけのことを表すのね。
ただ,1回目の教えあいでは,知識を関連づけられないままやりとりを終える事例などが散見された。そこでふり返り講演では,分からなくなったら外的資源を活用することなどをよりよい教えあいを行うポイントとして伝え,それを確認するワークを行った。2回目の教えあいでは,試験範囲から生徒自身が内容を選び,自由度を高めて教えあいを行った。4名1班の計10グループが教えあいを行ったが,全員が説明を行えなかった班もあったため分析対象となったやりとりは33件であった
2回目の教えあいも大半の説明が「なぜ」「そもそも」を主題としており(85%),積極的に関連づけを試みたことが示された。また,「なぜ」「そもそも」が分からなくなったときに,自ら教科書の索引を引き用語の区別を図るといった事例も確認された。
総合考察
以上から,理解の認識そのものに焦点を当てることで,教えあいの質が高まったことが示唆された。ただし,スキルによっては十分な効果が見られず,例えば「教え手が説明した後には聴き手も説明してみる」といったスキルは比率が低かった(1回目は18%,2回目は33%)。こうした結果が得られた一因として,「説明する主体はあくまで教え手で,聴き手は説明を行うものではない」という別の信念が影響している可能性もある。今後更なる工夫を設ける必要性が示唆される。
近年,学習内容を学習者同士が教えあう活動に関心が集まっている。教えあいが注目を集めるのは,教えあいにより理解が促進されるためだと考えられるが(Roscoe & Chi, 2007),教えあい自体有効な学習方略になりうることを踏まえると,教師に求められずとも,学習者が主体的に教えあいを行うよう促すことも重要だろう。そのためには,自由度の高い状況で学習者が主体的に教えあいを進める機会を設ける必要がある。なぜなら,扱う内容やメンバー,やりとりの進め方などがあまりにも固定的だと,そこでの経験は他の学習場面に転移しにくくなってしまうと予測されるためである(Barnett & Ceci, 2002)。
自由度の高い教えあいを実施するにあたって,学習一般に共通する目標,すなわち「理解を達成すること」自体の認識を深める重要性が示唆される(植阪他,2013)。県立高校にて教えあい講座を実施した植阪他は,理解を目指すことやそのためのスキルを教示したにもかかわらず,実際に見られた教えあいの大半が,断片的な情報をクイズ形式で問うなどの質の低いもので,理解の確認や深化を伴わないものになっていたことを報告している。ここから,生徒が語句を覚えることや問題が解けることを「理解」と捉えている可能性が示唆される。
そこで本研究は,植阪他(2013)の教えあい講座に改善を加えた上で,講座によって理解を目指した教えあいが行われるようになったかを検討する。新たに行われた講座では,理解とは知識が関連づいた状態であることを明示的に伝えるとともに,「そもそも」「なぜ」という直感的で使用しやすいプロンプトを教えあいの中で活用するよう働きかける。また,教えあいの機会を2回設け,1度目では足場かけを多く設ける一方,2度目では自由度を高めて実施する。また,その合間に1度目の教えあいのよかった点と改善点をふり返る講演を行う。
実践の概要と結果
参加者 埼玉県公立高校の1年生320名。分析では,教えあい中の発話を記録した1クラス40名を対象とした。
手続き 2012年秋に「総合的な学習の時間」計6授業時間の講座を実施した。前半3時間は,学習観と学習法を見直すことや教えあいの重要性をテーマに講演を行った。特に,3回目の講演では,教え合いのスキルを解説するとともに,スキルを活用するアクティビティを行った。具体的には,(1) 「そもそも」「なぜ」を問い知識の関連づけを図ること,(2) スキルとして図や具体例の生成も用いること,(3) 教え手が説明した後は役割を交代し聴き手が説明,教え手が質問を行うことなどを教授した。
教授したスキルが使用された程度を調べた。発話を記録した1クラス分を対象に,スキルの使用比率を算出した。分析の単位は教科ごとのやりとりで,1回目は80件のやりとり(20ペア×4教科)が対象となった。
分析の結果,「『なぜ』『そもそも』に関する内容が含んだ教え手の説明」は83%と高い割合を示した。例えば以下の発話では,現在進行形と現在形がなぜ異なるかを整理する発話が見られた。
G3-A:Bobなんとかan English bookってあるじゃん。
(“Bob ( ) an English book. ”という問題について)
G3-A:Bobは英語の本を読んでいるって,何々しているじゃん。
:何々しているっていうのは,現在進行形っていって,今の動作を表すことなの。
:図に表すと,今,過去,未来,ってあって。
:現在進行形っていうのは今だけのことを表すのね。
ただ,1回目の教えあいでは,知識を関連づけられないままやりとりを終える事例などが散見された。そこでふり返り講演では,分からなくなったら外的資源を活用することなどをよりよい教えあいを行うポイントとして伝え,それを確認するワークを行った。2回目の教えあいでは,試験範囲から生徒自身が内容を選び,自由度を高めて教えあいを行った。4名1班の計10グループが教えあいを行ったが,全員が説明を行えなかった班もあったため分析対象となったやりとりは33件であった
2回目の教えあいも大半の説明が「なぜ」「そもそも」を主題としており(85%),積極的に関連づけを試みたことが示された。また,「なぜ」「そもそも」が分からなくなったときに,自ら教科書の索引を引き用語の区別を図るといった事例も確認された。
総合考察
以上から,理解の認識そのものに焦点を当てることで,教えあいの質が高まったことが示唆された。ただし,スキルによっては十分な効果が見られず,例えば「教え手が説明した後には聴き手も説明してみる」といったスキルは比率が低かった(1回目は18%,2回目は33%)。こうした結果が得られた一因として,「説明する主体はあくまで教え手で,聴き手は説明を行うものではない」という別の信念が影響している可能性もある。今後更なる工夫を設ける必要性が示唆される。