[PF054] 即興演劇の自己表現活動としての可能性
応用演劇(Applied Theater)実践からの考察
Keywords:即興演劇, 応用演劇, 自己表現活動
■自己表現活動としての演劇:自己表現とは既にある自分の思いを何らかの媒体(vehicle)に載せ他者に提示する思想の外化ではない。思想が言語に媒介され他者に指し向けられた時意味を生成する(Vygotsky,1934)ように,他者に表現する過程を通して自らのコトバ(discourse)を創る過程である。その意味で,自己表現活動とは他者との間にあって関係を連続的に構築する過程である。
こうした他者との「出会い=関係作り」のツールとして最もよく用いられるのは言語だ。話すこと,書くことは他者との対話過程(Bakhtin,1924)であり,その中で自らの言葉が紡ぎ出される。しかし,「言語化」は慣習的で惰性化した枠組を容易に引き込む。コトバにならない思いはアクセントやイントネーションとして,一部はコトバに棲みつくが,流れ落ちるものも多い(Vygotsky,1934)。
他者の身体との接触において<私>の身体は一瞬の戸惑いや驚きを示す。この認知・情動的経験はコトバにならないことも多い。身体パフォーマンスという表現活動に着目することで自己表現活動の豊かさを捉えることはできないだろうか。演じる過程では常に何らかの規則が創発され,それによって仮の共同体が構成される。鈴木(1988)は「演劇のメソッド」を「異質なものに橋をかける集団的方法」であり,他者との間に「意識の共同性」ではなく,「<身体の共同性>の場」を作ることが要求されるという。
本研究では,応用演劇のファシリテーターである石川が実践した即興劇実践を取り上げ,演劇の素人が「他者」と出会う経験の意味を問う。即興行為が可能とする「他者との出会い」について,予備的な検討をすることがここでの目的となる。
■方法(概要):(1)取り上げる即興劇は2014年1月10日に都内の大学で約2時間半学部生と大学院生計15(女10,男5)名が参加して行われた。(2)WS設定意図:応用演劇とは何か,演劇を応用するとはどのようなことなのかを知ってもらうことを目的に,今回はプロセスドラマの手法を用いた。北米を「開拓した」際に先住民コマンチェ族と新住民パーカー族(「白人」)との間に生じた抗争の歴史に焦点をあてた。歴史教科書の中のわずかな言葉にどれほどの人々の葛藤や苦しみが含まれているのか演じることを通して体験する設定とした。劇作りを通し自分の価値観を再認識し,新しい視点を持つことを期待した。(3)構成:1)集団作り2)即興演劇の基本の学習(身体表現)3)知識共有4)物語への導入5)感情の引き出し5) 対話6)意思決定7)振り返り(4)手続き:参加者を集中させるため「身体ほぐし」をした後,1)19世紀の北米(パーカー族,コマンチェ族)の写真を壁に貼り,想像されることを語ってから模造紙に書く。2)両部族の抗争を語るエピソードを皆で読む。3)両部族それぞれの立場を演じる。
■結果:劇化は(1)参加者が演じるパーカー族が誘拐されたアンと再会する場面,(2)戦いに勝利したパーカー族が参加者が演じるコマンチェ族に土地共有化を申し出る場面の二カ所でなされた。場面(2)では参加者は受け入れ賛成-反対の度合いに応じて一列に並び,自らの立場を表明した後,皆で話し合った。「悔しいが子どもの将来のために受け入れる」,「共有によって生活がよくなるとは思えない」など多様な意見が出た。ファシリテーターは急にスカーフを被り,パーカー族の代理人として「真ん中とかない」と高圧的に決断を迫った。参加者も代理人に感情的な声を返す。反対派から賛成派に「おまえらこれからもこんな調子でいくぞ そっちいっちゃっていいのか」との発言もあった。参加者の相貌に明らかな変化が見え,それまでの傍観者的なにやけた笑いはなくなった。
■考察:映像・テキスト情報が与えられ,状況の想像後,劇化がなされた。(2)の劇化場面では「当事者」として強い情動体験が引き起こされた。劇終了後参加者は劇内で思いを十分言語化できなかったことを自覚していた。演じることで参加者は言語化できない複雑な思いを自覚し,異種混交する声が人々の間だけでなく,自らの中にもあることを知ることになった。自らの中にすまう複数の「他者」に気づいたようだ。学習活動としての即興劇では他者が学習対象を用意するのではなく,自らを含む他者との能動的な関わりこそが何を学ぶのかを決める。このことがアイデンティティの揺さぶりや世界観の変化を促すのだろう。(文責:石黒)*本研究は「海外にルーツがある文化的に多様な子ども達の表現活動を中心とした学習共同体の研究」(科学研究費助成事業 基盤研究(B)代表:石黒 )の助成を受けている。
こうした他者との「出会い=関係作り」のツールとして最もよく用いられるのは言語だ。話すこと,書くことは他者との対話過程(Bakhtin,1924)であり,その中で自らの言葉が紡ぎ出される。しかし,「言語化」は慣習的で惰性化した枠組を容易に引き込む。コトバにならない思いはアクセントやイントネーションとして,一部はコトバに棲みつくが,流れ落ちるものも多い(Vygotsky,1934)。
他者の身体との接触において<私>の身体は一瞬の戸惑いや驚きを示す。この認知・情動的経験はコトバにならないことも多い。身体パフォーマンスという表現活動に着目することで自己表現活動の豊かさを捉えることはできないだろうか。演じる過程では常に何らかの規則が創発され,それによって仮の共同体が構成される。鈴木(1988)は「演劇のメソッド」を「異質なものに橋をかける集団的方法」であり,他者との間に「意識の共同性」ではなく,「<身体の共同性>の場」を作ることが要求されるという。
本研究では,応用演劇のファシリテーターである石川が実践した即興劇実践を取り上げ,演劇の素人が「他者」と出会う経験の意味を問う。即興行為が可能とする「他者との出会い」について,予備的な検討をすることがここでの目的となる。
■方法(概要):(1)取り上げる即興劇は2014年1月10日に都内の大学で約2時間半学部生と大学院生計15(女10,男5)名が参加して行われた。(2)WS設定意図:応用演劇とは何か,演劇を応用するとはどのようなことなのかを知ってもらうことを目的に,今回はプロセスドラマの手法を用いた。北米を「開拓した」際に先住民コマンチェ族と新住民パーカー族(「白人」)との間に生じた抗争の歴史に焦点をあてた。歴史教科書の中のわずかな言葉にどれほどの人々の葛藤や苦しみが含まれているのか演じることを通して体験する設定とした。劇作りを通し自分の価値観を再認識し,新しい視点を持つことを期待した。(3)構成:1)集団作り2)即興演劇の基本の学習(身体表現)3)知識共有4)物語への導入5)感情の引き出し5) 対話6)意思決定7)振り返り(4)手続き:参加者を集中させるため「身体ほぐし」をした後,1)19世紀の北米(パーカー族,コマンチェ族)の写真を壁に貼り,想像されることを語ってから模造紙に書く。2)両部族の抗争を語るエピソードを皆で読む。3)両部族それぞれの立場を演じる。
■結果:劇化は(1)参加者が演じるパーカー族が誘拐されたアンと再会する場面,(2)戦いに勝利したパーカー族が参加者が演じるコマンチェ族に土地共有化を申し出る場面の二カ所でなされた。場面(2)では参加者は受け入れ賛成-反対の度合いに応じて一列に並び,自らの立場を表明した後,皆で話し合った。「悔しいが子どもの将来のために受け入れる」,「共有によって生活がよくなるとは思えない」など多様な意見が出た。ファシリテーターは急にスカーフを被り,パーカー族の代理人として「真ん中とかない」と高圧的に決断を迫った。参加者も代理人に感情的な声を返す。反対派から賛成派に「おまえらこれからもこんな調子でいくぞ そっちいっちゃっていいのか」との発言もあった。参加者の相貌に明らかな変化が見え,それまでの傍観者的なにやけた笑いはなくなった。
■考察:映像・テキスト情報が与えられ,状況の想像後,劇化がなされた。(2)の劇化場面では「当事者」として強い情動体験が引き起こされた。劇終了後参加者は劇内で思いを十分言語化できなかったことを自覚していた。演じることで参加者は言語化できない複雑な思いを自覚し,異種混交する声が人々の間だけでなく,自らの中にもあることを知ることになった。自らの中にすまう複数の「他者」に気づいたようだ。学習活動としての即興劇では他者が学習対象を用意するのではなく,自らを含む他者との能動的な関わりこそが何を学ぶのかを決める。このことがアイデンティティの揺さぶりや世界観の変化を促すのだろう。(文責:石黒)*本研究は「海外にルーツがある文化的に多様な子ども達の表現活動を中心とした学習共同体の研究」(科学研究費助成事業 基盤研究(B)代表:石黒 )の助成を受けている。