[k-sym01] ワーキングメモリ理論と発達障害
環境設定から学習・就業支援へ
Keywords:ワーキングメモリ, 発達障害, 学習
2012年,文部科学省が示した調査資料(『通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について』)によると,普通学級において「学習面で著しい困難」を示す児童生徒の割合は4.5%,つまり,クラスの1名から2名が学習障害を抱え,普通学級で教育を受けている。ここ数年,発達障害に対する支援方法の研究も進み,クラスにいる1~2名の発達障害児への対応に振り回され,授業が成り立たないという状況はおさまりつつある。つまり,発達障害を抱える児童生徒が落ち着いて授業を受けるための環境が整いつつある。それとともに,次に問題になるのが,発達障害を抱える児童生徒の学力をどのように伸ばし,また,将来の就労につなげるかである。この問題に対して,我が国でもワーキングメモリ理論の観点からの研究が進みつつある。本シンポジウムでは,ワーキングメモリ理論の最近の研究動向を踏まえつつ,発達障害を抱える児童生徒に対する学習・就業支援のアプローチを報告し,議論する。
1.ワーキングメモリ・実行機能研究の最前線
(齊藤 智)
ワーキングメモリと実行機能が,学習活動を含む人間の認知活動において重要な役割を担っていること,それ故に,これら2つの構成概念の理解が,人間の認知を理解するにあたって不可避的に必要なることが唱えられてから久しい。この40年の間に,ワーキングメモリと実行機能に関する理論は大きく進歩し,その敷衍が試みられるとともに,実践的研究に寄与できるだけの理論的な展開も見られるようになってきた。本話題提供では,ワーキングメモリと実行機能に関する最近の理論的展開を紹介し,いくつかの問題をとらえる際の枠組みを提供する。その後,2つのテーマ — マインド・ワンダリング (mind wandering)とワーキングメモリ・トレーニング(working memory training) — をとりあげる。まず,学習活動に影響を与えると考えられるマインド・ワンダリングに関する研究が,特にワーキングメモリとの関係で,新たな理論的枠組みを構築してきていることを示す。ワーキングメモリ・トレーニングは,近年,特に注目されているテーマであり,そのため,ここ数年の間に爆発的な勢いで実証研究や理論研究の報告がなされるようになってきている。そうした報告を,これまでの記憶研究の知見と重ね合わせながら検討し,トレーニング研究における統制条件の役割とトレーニング研究を駆動し評価する理論的枠組みの重要性を指摘する。こうした近年の研究動向をふまえながら,ワーキングメモリ理論に基づいた教育的介入のアプローチやデザインが,その目的(例えば,領域固有の知識の形成をターゲットとしているのか,領域普遍的なスキルや認知機能への働きかけを目的としているのか)によって異なる可能性があることについて議論したい。
2.発達障害を抱える児童生徒への個別支援
(河村 暁)
LD(学習障害)は全般的な知的発達に遅れはないが学習に著しい困難を示す状態である。学習に著しい困難のある子どもは通常学級において数人程度在籍すると考えられており,その子どもの特性に合わせた学習支援が必要である。学習に困難のある子どもではしばしばワーキングメモリに困難のあることが指摘されており,その特性に応じた支援方法の提案がなされてきている(湯澤・河村・湯澤,2013)。
学習に困難のある子どもへ支援を行うとき,支援のプロセスにおける多くの場面でワーキングメモリの概念は重要な役割を果たす。それは実践的には,子どもの特性を分析するとき,子どもの示すつまずきを分析するとき,子どもの取り組んでいる学習課題を分析するとき,子どもの理解しやすい教材を作成するとき,そして子どもの学習した知識の定着の程度を分析するときなど,支援を企画して実行し振り返るプロセスの全てに渡る。
ここでは,その中で,子どもが学習課題の内容を理解しやすい,そして知識を定着させやすいような教材を作成するために,個別の学習支援の実践でワーキングメモリの概念をどのように活用しているかを紹介する。ワーキングメモリに困難のある子どもに対して行った個別の学習支援を読解や算数の図形・文章題などについて具体的に紹介するとともに,個別の学習支援での教材作成に際してその困難に対してどのような配慮を行う必要があるか,すなわちワーキングメモリの概念のガイドラインとしての用い方を,実践的な観点から提案する。
3.発達障害を抱える児童生徒へのクラスの中で支援(湯澤正通)
近年の多くの研究は,ワーキングメモリが国語,算数(数学),理科などの学習成績と密接に関連していること,そして,発達障害を抱えるの児童生徒の多くがワーキングメモリの特定の側面に弱さを持っていることを明らかにしている。
ワーキングメモリの発達には大きな個人差があり,同じ学年のクラスの中でワーキングメモリが大きい子どももいれば,小さい子どももいる。小さい子どもの典型例が発達障害を抱える子どもである。クラスでワーキングメモリの小さい子どもの授業態度には,話し合いに参加できない,授業中,ボーとしていることが多いなどの共通した特徴が見られる。それは,授業の中で教師や他の子どもたちの間で交わされる音声情報を処理することができないからである。
発達障害を抱える児童生徒へのクラスの中での支援は,2つのレベルで考える必要がある。
第1に,発達障害を抱える児童生徒の発達特性に応じた環境設定である。例えば,ADHD傾向のある子どもは,その特性として気が散りやすく,刺激を求める。そのため,彼らの注意を引きつける刺激を周囲からなくし,学習に集中できるような環境を設定する必要がある。このような発達障害を抱える児童生徒の発達特性を考慮した支援が適切に行われて始めて,その児童生徒は授業に参加できるようになる。
第2に,発達障害を抱える児童生徒の学習そのもの支援である。彼らのワーキングメモリプロフィールに応じた学習支援が必要である。学習支援の具体的な方略は以下の4つに整理することができる(湯澤・河村・湯澤,2013)。①情報の構造化,多重符号化。②スモールステップ,情報の統合,時間のコントロール。③記憶方略の活用,長期記憶の活用,補助教材の利用。④選択的注意,自己制御。
4.発達障害を抱える生徒への就業支援:ある高等支援学校の実践事例(湯澤美紀)
ワーキングメモリは,種々の学習活動の基盤となる。それは教科学習にとどまらず,就労を目指したより実際的な学習においても,重要な視点となる。本話題提供では,職業教育に重点を置いた教育課程を編成し,就労支援機関や産業現場等と連携を図りながら,就労による社会自立を目指す,ある特別支援学校での取組を紹介したい。
就職をゴールとするのではなく,その後の持続的な就労を促していくためには,在学中に生徒が自分の適性を見出し,学習・実習を通して成功体験を積み重ねていくこと,そして,社会に出たときに自らの認知的特性を踏まえつつ労働環境を構成していける力を身につけることが求められる。
それに向けた取組として,まずは,生徒がどのような認知的特性を有しているのかといった点を明らかにするために,ワーキングメモリのアセスメントを実施した。その後,ワーキングメモリの理論を踏まえたうえで,教師集団は,学習環境の見直しを行い,当校生徒に有効な支援方略について議論した。一連の支援方略は,ワーキングメモリ理論を踏まえた当校独自の「ユニバーサルデザイン」としてまとめられた。一方,生徒の自己理解を促していくために,ワーキングメモリのアセスメントの結果をうけ,教師と生徒はカウンセリングを行い,生徒一人ひとりが「サポートブック」を作成した。そこでは,自分のこれまでの体験を振り返りながら,自らのワーキングメモリの強い面・弱い面について具体的なエピソードを思い出すとともに,これまでの成功体験を意識づけるなどしている。話題提供では,最後に,今後の取組の展開と現在の課題についても触れる。
1.ワーキングメモリ・実行機能研究の最前線
(齊藤 智)
ワーキングメモリと実行機能が,学習活動を含む人間の認知活動において重要な役割を担っていること,それ故に,これら2つの構成概念の理解が,人間の認知を理解するにあたって不可避的に必要なることが唱えられてから久しい。この40年の間に,ワーキングメモリと実行機能に関する理論は大きく進歩し,その敷衍が試みられるとともに,実践的研究に寄与できるだけの理論的な展開も見られるようになってきた。本話題提供では,ワーキングメモリと実行機能に関する最近の理論的展開を紹介し,いくつかの問題をとらえる際の枠組みを提供する。その後,2つのテーマ — マインド・ワンダリング (mind wandering)とワーキングメモリ・トレーニング(working memory training) — をとりあげる。まず,学習活動に影響を与えると考えられるマインド・ワンダリングに関する研究が,特にワーキングメモリとの関係で,新たな理論的枠組みを構築してきていることを示す。ワーキングメモリ・トレーニングは,近年,特に注目されているテーマであり,そのため,ここ数年の間に爆発的な勢いで実証研究や理論研究の報告がなされるようになってきている。そうした報告を,これまでの記憶研究の知見と重ね合わせながら検討し,トレーニング研究における統制条件の役割とトレーニング研究を駆動し評価する理論的枠組みの重要性を指摘する。こうした近年の研究動向をふまえながら,ワーキングメモリ理論に基づいた教育的介入のアプローチやデザインが,その目的(例えば,領域固有の知識の形成をターゲットとしているのか,領域普遍的なスキルや認知機能への働きかけを目的としているのか)によって異なる可能性があることについて議論したい。
2.発達障害を抱える児童生徒への個別支援
(河村 暁)
LD(学習障害)は全般的な知的発達に遅れはないが学習に著しい困難を示す状態である。学習に著しい困難のある子どもは通常学級において数人程度在籍すると考えられており,その子どもの特性に合わせた学習支援が必要である。学習に困難のある子どもではしばしばワーキングメモリに困難のあることが指摘されており,その特性に応じた支援方法の提案がなされてきている(湯澤・河村・湯澤,2013)。
学習に困難のある子どもへ支援を行うとき,支援のプロセスにおける多くの場面でワーキングメモリの概念は重要な役割を果たす。それは実践的には,子どもの特性を分析するとき,子どもの示すつまずきを分析するとき,子どもの取り組んでいる学習課題を分析するとき,子どもの理解しやすい教材を作成するとき,そして子どもの学習した知識の定着の程度を分析するときなど,支援を企画して実行し振り返るプロセスの全てに渡る。
ここでは,その中で,子どもが学習課題の内容を理解しやすい,そして知識を定着させやすいような教材を作成するために,個別の学習支援の実践でワーキングメモリの概念をどのように活用しているかを紹介する。ワーキングメモリに困難のある子どもに対して行った個別の学習支援を読解や算数の図形・文章題などについて具体的に紹介するとともに,個別の学習支援での教材作成に際してその困難に対してどのような配慮を行う必要があるか,すなわちワーキングメモリの概念のガイドラインとしての用い方を,実践的な観点から提案する。
3.発達障害を抱える児童生徒へのクラスの中で支援(湯澤正通)
近年の多くの研究は,ワーキングメモリが国語,算数(数学),理科などの学習成績と密接に関連していること,そして,発達障害を抱えるの児童生徒の多くがワーキングメモリの特定の側面に弱さを持っていることを明らかにしている。
ワーキングメモリの発達には大きな個人差があり,同じ学年のクラスの中でワーキングメモリが大きい子どももいれば,小さい子どももいる。小さい子どもの典型例が発達障害を抱える子どもである。クラスでワーキングメモリの小さい子どもの授業態度には,話し合いに参加できない,授業中,ボーとしていることが多いなどの共通した特徴が見られる。それは,授業の中で教師や他の子どもたちの間で交わされる音声情報を処理することができないからである。
発達障害を抱える児童生徒へのクラスの中での支援は,2つのレベルで考える必要がある。
第1に,発達障害を抱える児童生徒の発達特性に応じた環境設定である。例えば,ADHD傾向のある子どもは,その特性として気が散りやすく,刺激を求める。そのため,彼らの注意を引きつける刺激を周囲からなくし,学習に集中できるような環境を設定する必要がある。このような発達障害を抱える児童生徒の発達特性を考慮した支援が適切に行われて始めて,その児童生徒は授業に参加できるようになる。
第2に,発達障害を抱える児童生徒の学習そのもの支援である。彼らのワーキングメモリプロフィールに応じた学習支援が必要である。学習支援の具体的な方略は以下の4つに整理することができる(湯澤・河村・湯澤,2013)。①情報の構造化,多重符号化。②スモールステップ,情報の統合,時間のコントロール。③記憶方略の活用,長期記憶の活用,補助教材の利用。④選択的注意,自己制御。
4.発達障害を抱える生徒への就業支援:ある高等支援学校の実践事例(湯澤美紀)
ワーキングメモリは,種々の学習活動の基盤となる。それは教科学習にとどまらず,就労を目指したより実際的な学習においても,重要な視点となる。本話題提供では,職業教育に重点を置いた教育課程を編成し,就労支援機関や産業現場等と連携を図りながら,就労による社会自立を目指す,ある特別支援学校での取組を紹介したい。
就職をゴールとするのではなく,その後の持続的な就労を促していくためには,在学中に生徒が自分の適性を見出し,学習・実習を通して成功体験を積み重ねていくこと,そして,社会に出たときに自らの認知的特性を踏まえつつ労働環境を構成していける力を身につけることが求められる。
それに向けた取組として,まずは,生徒がどのような認知的特性を有しているのかといった点を明らかにするために,ワーキングメモリのアセスメントを実施した。その後,ワーキングメモリの理論を踏まえたうえで,教師集団は,学習環境の見直しを行い,当校生徒に有効な支援方略について議論した。一連の支援方略は,ワーキングメモリ理論を踏まえた当校独自の「ユニバーサルデザイン」としてまとめられた。一方,生徒の自己理解を促していくために,ワーキングメモリのアセスメントの結果をうけ,教師と生徒はカウンセリングを行い,生徒一人ひとりが「サポートブック」を作成した。そこでは,自分のこれまでの体験を振り返りながら,自らのワーキングメモリの強い面・弱い面について具体的なエピソードを思い出すとともに,これまでの成功体験を意識づけるなどしている。話題提供では,最後に,今後の取組の展開と現在の課題についても触れる。