[k-tut02] 発達障害のある大学生への「合理的配慮」とは何か
エビデンスに基づいた配慮を実現するために
Keywords:合理的配慮, 発達障害, 大学生
はじめに
独立行政法人日本学生支援機構(2014)の調査によると発達障害のある学生の数は,年々増加を続けており,2013年度の調査では,診断がある学生の数は2,393人となっている。発達障害のある学生への支援は1990年代後半から報告があり,おもに大学の保健管理センターや学生相談の領域で対応がなされてきた(須田・高橋・森光・上村,2011)。
2006年に国連総会で採択された「障害者の権利に関する条約」の批准とそれに向けた法整備という文脈の中で,文部科学省(以下,文科省)も高等教育機関における障がいのある学生への支援の充実に向けて,積極的な取り組みを行ってきた。2012年には「障がいのある学生の修学支援に関する検討会(以下,文科省検討会)」が設置され12月にはその報告(一次まとめ)が示された。その中で大学に求められている支援の中心となる概念は「合理的配慮」である。
合理的配慮という概念は,これまで高等教育における学生支援の文脈で耳にすることがあまりなかった概念である。そのため,高等教育関係者がこの概念を理解することが不可欠である。さらに,合理的配慮の実現にあたっては,教育心理学の貢献も期待されている。本チュートリアルでは,まず,合理的配慮という概念について発達障害のある学生への支援も例にあげながら説明する。そして,教育心理学に期待されている役割について,内外の研究動向などもまじえながら説明する。
障がい学生支援における合理的配慮
文科省検討会の報告(一次まとめ)によると,合理的配慮は「障害のある者が,他の者と平等に教育を受ける権利を享有・行使することを確保するために,大学等が必要かつ適当な変更・調整を行うこと」であり,その際「大学等に対して,体制面,財政面において,均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」と定義づけられている。
この定義における一つ目のポイントは,学生の状態を訓練や治療によって変えるのではなく,大学が一般的なやり方を変えるということである。これは障害の社会モデルに基づく考え方である。障害の捉え方にはさまざまなものがあり,その中に医学モデルと社会モデルがある。医学モデルでは,障害は個人に内在するものであり,脳や身体の機能の一部が多くの人と同じようには働かない状態を指す。このモデルによれば,治療による症状の改善や訓練による機能の向上を試みることが,対応の第一歩となる。これに対し社会モデルでは,一部の個人に不便を強いる社会のあり方が問題であると考える。たとえば,文字を読むことに困難さがある人の場合,情報提供の手段が印刷物のみであれば,その情報にアクセスすることができない。しかし,その情報が音声で提示されればアクセス可能となる。つまり,読字に困難のある人が「学習」や「研究」という活動において制限を受ける状況は,情報提供の手段を限定している教育機関の問題であると考える。このように,一部の人にとって活動に制限がかかるような物理的環境や制度,やり方などを「社会的障壁」と呼ぶ。この社会的障壁を小さくする取り組みが合理的配慮である。たとえば,授業で使う文献資料を教員が電子ファイルで提供することによって,文字を読むことに困難がある学習障害のある学生も,他の学生と同じようにその文献資料の情報にアクセスすることが可能になる。
合理的配慮の二つ目のポイントは配慮の「合理性」である。障害のある学生にとって,教育へのアクセスがしやすくなるとわかっていても,それが過度な負担をともなうものであれば,合理的とは言えない。たとえば,コミュニケーションが極端に苦手な学生が,グループでのディスカッションを求める授業は受けられないが,教員と1対1なら自分の意見を表明できるとする。この場合,すべての授業をマンツーマンで行うのは,過度な負担と言えるだろう。仮にこのような希望が複数出てきたら,一つの授業だけでその教員の業務時間のほとんどを占めるという状況になりかねない。
合理的配慮の実施にあたって,「過度な負担」以外にも注意すべき点がある。それは,教育のレベルの維持である。障害があるから課題を免除するというのは合理的配慮ではない。一次まとめにも「教育の本質や評価基準を変えてしまうこと」は求めないとある。やり方を変えながらも,学生の学習成果をきちんと評価する方法を工夫する必要がある。その際に重要なのは,それぞれの授業における「本質」は何か,単位認定に必要な「基準」は何かを明確にするということである。
たとえば,ディスカッションを多く行う授業において,授業の目的が「ディスカッションのスキルを修得すること」なら,ディスカッションをまったくしないで単位を認定することはできないだろう。しかし,ある概念についての理解を深めるための手段としてディスカッションが用いられているなら,他の方法で十分な理解が得られ,その成果を示すことができれば,ディスカッションを免除しても単位認定は可能である。
このように,授業の目的によっても合理的配慮の内容は異なってくる。その授業における修得すべき内容は何か,障がいがあるために十分にできない授業中の活動が,修得すべき内容そのものなのか,それともそれを修得するための手段なのかという点は,授業担当教員でなければ判断できない。合理的配慮の内容を決めるにあたっては授業担当教員の関与が不可欠であるが,そこに,学習目標の設定や,教育方法,評価等の専門知識を持った教育心理学の専門家が加わることで,より妥当な判断が可能になる。
合理性のエビデンス
文科省検討会の報告(一次まとめ)には明確に示されていないが,発達障害の文脈では,合理性にもう一つの意味がある。それは学生が感じる困難と認知機能障害との関連について根拠が示されているということである(高橋,2012)。米国の高等教育機関では,配慮の内容は認知機能の特徴に合わせて決められる。たとえば,試験において拡大問題冊子を準備するという決定は,学習障害の診断があるからという理由ではなく,視覚機能の弱さから細かい文字の認識に時間がかかるという「根拠」が示されることでなされる。
国内でも障害学生支援が充実してきて,合理的配慮の考え方も浸透しつつあるが,検査結果などの「根拠」に基づいて支援の内容を決めるという実践はあまり広がっていないと感じている。その一つの理由は,大学生を対象に利用可能な検査自体が限られているということもあるだろう。検査を実施してその学生への配慮の妥当性の根拠を示すこと,もし,中核となる機能障害を客観的に評価する方法が確立していないとしたら,その方法を開発すること,これらは教育心理学の研究が貢献できる領域であると考えられる。
学修場面における困難と認知機能の障害の関連が示されたとしても,それだけでは十分でない。合理的配慮の決定にあたっては,根拠に基づいて「この程度の変更することで公平な評価が可能になる」といった議論が重要である。
このテーマに関してわが国には十分な研究の蓄積はないが,大学入試センターは貴重な研究結果を報告している。立脇(2013)は試験時間の延長を取り上げ,これが公平なものであるために,障害のない受験生は試験時間を延長しても成績に影響がなく,障害のある受験生は試験時間の延長によって恩恵を得られるということが示される必要があるとしている。過去のセンター試験を用いて実験を行った結果,障害の無い学生において数学以外の科目では得点の違いが見られなかった。障がいがある群は実験に含まれていなかったが,別の実験で読み書き障害のある学生(4名)は黙読で1.4~2倍程度の時間がかかることが示された。このことは,「試験時間が同じ条件では,読み書き障害のある学生は問題文を読むことに多くの時間を取られ,考える時間が多くの受験生と同じように与えられていないから,試験時間の延長が必要である」と主張する根拠になる。このような研究が今後さらに蓄積されることで,一人ひとりの学生のケースで個別に実験的検証をしなくても,ある検査でスコアがこの程度であれば,この程度の配慮が妥当といった判断が可能になるはずである。
おわりに
障害学生支援は,一部の熱心な大学の先進的な取り組みから,すべての教育機関に義務づけられたものとなる。障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律が2013年に公布され,2016年から施行され,国公立の教育機関では法的義務を負い,私立の教育機関では努力義務を負う。高等教育機関で学びたいという意欲のあるすべての学生が,自分の力を伸ばす環境が整えられていくことを期待したい。そして,その実現に向けて教育心理学ができることは少なくない。
引用文献
独立行政法人日本学生支援機構(2014) 平成25年度(2013年度)大学,短期大学及び高等専門学校における障害のある学生の修学支援に関する実態調査結果報告書
須田奈都実・高橋知音・森光晃子・上村恵津子 (2011) 大学における発達障害学生支援の現状と課題 心理臨床学研究, 29(5), 651-660.
高橋知音(2012) 発達障害のある大学生のキャンパスライフサポートブック 学研教育出版.
立脇洋介(2013)アコモデーションと公平性 『発達障害と特別措置に関する現状と課題』独立行政法人大学入試センター入学者選抜研究機構,33-52.
独立行政法人日本学生支援機構(2014)の調査によると発達障害のある学生の数は,年々増加を続けており,2013年度の調査では,診断がある学生の数は2,393人となっている。発達障害のある学生への支援は1990年代後半から報告があり,おもに大学の保健管理センターや学生相談の領域で対応がなされてきた(須田・高橋・森光・上村,2011)。
2006年に国連総会で採択された「障害者の権利に関する条約」の批准とそれに向けた法整備という文脈の中で,文部科学省(以下,文科省)も高等教育機関における障がいのある学生への支援の充実に向けて,積極的な取り組みを行ってきた。2012年には「障がいのある学生の修学支援に関する検討会(以下,文科省検討会)」が設置され12月にはその報告(一次まとめ)が示された。その中で大学に求められている支援の中心となる概念は「合理的配慮」である。
合理的配慮という概念は,これまで高等教育における学生支援の文脈で耳にすることがあまりなかった概念である。そのため,高等教育関係者がこの概念を理解することが不可欠である。さらに,合理的配慮の実現にあたっては,教育心理学の貢献も期待されている。本チュートリアルでは,まず,合理的配慮という概念について発達障害のある学生への支援も例にあげながら説明する。そして,教育心理学に期待されている役割について,内外の研究動向などもまじえながら説明する。
障がい学生支援における合理的配慮
文科省検討会の報告(一次まとめ)によると,合理的配慮は「障害のある者が,他の者と平等に教育を受ける権利を享有・行使することを確保するために,大学等が必要かつ適当な変更・調整を行うこと」であり,その際「大学等に対して,体制面,財政面において,均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」と定義づけられている。
この定義における一つ目のポイントは,学生の状態を訓練や治療によって変えるのではなく,大学が一般的なやり方を変えるということである。これは障害の社会モデルに基づく考え方である。障害の捉え方にはさまざまなものがあり,その中に医学モデルと社会モデルがある。医学モデルでは,障害は個人に内在するものであり,脳や身体の機能の一部が多くの人と同じようには働かない状態を指す。このモデルによれば,治療による症状の改善や訓練による機能の向上を試みることが,対応の第一歩となる。これに対し社会モデルでは,一部の個人に不便を強いる社会のあり方が問題であると考える。たとえば,文字を読むことに困難さがある人の場合,情報提供の手段が印刷物のみであれば,その情報にアクセスすることができない。しかし,その情報が音声で提示されればアクセス可能となる。つまり,読字に困難のある人が「学習」や「研究」という活動において制限を受ける状況は,情報提供の手段を限定している教育機関の問題であると考える。このように,一部の人にとって活動に制限がかかるような物理的環境や制度,やり方などを「社会的障壁」と呼ぶ。この社会的障壁を小さくする取り組みが合理的配慮である。たとえば,授業で使う文献資料を教員が電子ファイルで提供することによって,文字を読むことに困難がある学習障害のある学生も,他の学生と同じようにその文献資料の情報にアクセスすることが可能になる。
合理的配慮の二つ目のポイントは配慮の「合理性」である。障害のある学生にとって,教育へのアクセスがしやすくなるとわかっていても,それが過度な負担をともなうものであれば,合理的とは言えない。たとえば,コミュニケーションが極端に苦手な学生が,グループでのディスカッションを求める授業は受けられないが,教員と1対1なら自分の意見を表明できるとする。この場合,すべての授業をマンツーマンで行うのは,過度な負担と言えるだろう。仮にこのような希望が複数出てきたら,一つの授業だけでその教員の業務時間のほとんどを占めるという状況になりかねない。
合理的配慮の実施にあたって,「過度な負担」以外にも注意すべき点がある。それは,教育のレベルの維持である。障害があるから課題を免除するというのは合理的配慮ではない。一次まとめにも「教育の本質や評価基準を変えてしまうこと」は求めないとある。やり方を変えながらも,学生の学習成果をきちんと評価する方法を工夫する必要がある。その際に重要なのは,それぞれの授業における「本質」は何か,単位認定に必要な「基準」は何かを明確にするということである。
たとえば,ディスカッションを多く行う授業において,授業の目的が「ディスカッションのスキルを修得すること」なら,ディスカッションをまったくしないで単位を認定することはできないだろう。しかし,ある概念についての理解を深めるための手段としてディスカッションが用いられているなら,他の方法で十分な理解が得られ,その成果を示すことができれば,ディスカッションを免除しても単位認定は可能である。
このように,授業の目的によっても合理的配慮の内容は異なってくる。その授業における修得すべき内容は何か,障がいがあるために十分にできない授業中の活動が,修得すべき内容そのものなのか,それともそれを修得するための手段なのかという点は,授業担当教員でなければ判断できない。合理的配慮の内容を決めるにあたっては授業担当教員の関与が不可欠であるが,そこに,学習目標の設定や,教育方法,評価等の専門知識を持った教育心理学の専門家が加わることで,より妥当な判断が可能になる。
合理性のエビデンス
文科省検討会の報告(一次まとめ)には明確に示されていないが,発達障害の文脈では,合理性にもう一つの意味がある。それは学生が感じる困難と認知機能障害との関連について根拠が示されているということである(高橋,2012)。米国の高等教育機関では,配慮の内容は認知機能の特徴に合わせて決められる。たとえば,試験において拡大問題冊子を準備するという決定は,学習障害の診断があるからという理由ではなく,視覚機能の弱さから細かい文字の認識に時間がかかるという「根拠」が示されることでなされる。
国内でも障害学生支援が充実してきて,合理的配慮の考え方も浸透しつつあるが,検査結果などの「根拠」に基づいて支援の内容を決めるという実践はあまり広がっていないと感じている。その一つの理由は,大学生を対象に利用可能な検査自体が限られているということもあるだろう。検査を実施してその学生への配慮の妥当性の根拠を示すこと,もし,中核となる機能障害を客観的に評価する方法が確立していないとしたら,その方法を開発すること,これらは教育心理学の研究が貢献できる領域であると考えられる。
学修場面における困難と認知機能の障害の関連が示されたとしても,それだけでは十分でない。合理的配慮の決定にあたっては,根拠に基づいて「この程度の変更することで公平な評価が可能になる」といった議論が重要である。
このテーマに関してわが国には十分な研究の蓄積はないが,大学入試センターは貴重な研究結果を報告している。立脇(2013)は試験時間の延長を取り上げ,これが公平なものであるために,障害のない受験生は試験時間を延長しても成績に影響がなく,障害のある受験生は試験時間の延長によって恩恵を得られるということが示される必要があるとしている。過去のセンター試験を用いて実験を行った結果,障害の無い学生において数学以外の科目では得点の違いが見られなかった。障がいがある群は実験に含まれていなかったが,別の実験で読み書き障害のある学生(4名)は黙読で1.4~2倍程度の時間がかかることが示された。このことは,「試験時間が同じ条件では,読み書き障害のある学生は問題文を読むことに多くの時間を取られ,考える時間が多くの受験生と同じように与えられていないから,試験時間の延長が必要である」と主張する根拠になる。このような研究が今後さらに蓄積されることで,一人ひとりの学生のケースで個別に実験的検証をしなくても,ある検査でスコアがこの程度であれば,この程度の配慮が妥当といった判断が可能になるはずである。
おわりに
障害学生支援は,一部の熱心な大学の先進的な取り組みから,すべての教育機関に義務づけられたものとなる。障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律が2013年に公布され,2016年から施行され,国公立の教育機関では法的義務を負い,私立の教育機関では努力義務を負う。高等教育機関で学びたいという意欲のあるすべての学生が,自分の力を伸ばす環境が整えられていくことを期待したい。そして,その実現に向けて教育心理学ができることは少なくない。
引用文献
独立行政法人日本学生支援機構(2014) 平成25年度(2013年度)大学,短期大学及び高等専門学校における障害のある学生の修学支援に関する実態調査結果報告書
須田奈都実・高橋知音・森光晃子・上村恵津子 (2011) 大学における発達障害学生支援の現状と課題 心理臨床学研究, 29(5), 651-660.
高橋知音(2012) 発達障害のある大学生のキャンパスライフサポートブック 学研教育出版.
立脇洋介(2013)アコモデーションと公平性 『発達障害と特別措置に関する現状と課題』独立行政法人大学入試センター入学者選抜研究機構,33-52.