10:00 AM - 12:00 PM
[PA50] 教育に関する語の記述的意味と情緒的意味
語の価値化傾向の文脈による変化
Keywords:道徳, 教職, 教師
語の意味は,一般に記述的意味と情緒的意味に分けられる。記述的意味とは語が指し示す事実に関する意味であり,一方情緒的意味とは語が引き起こす価値的,情緒的,(辞書に載るとは限らない)比喩的意味である。語の主な意味は記述的意味であるが,語の情緒的意味を変えずに記述的意味を変える説得的定義(Stevenson,1944)や,何らかの実践的,道徳的意図から語の外延を変えるプログラム的定義(Scheffler, 1960)のように,語は,使用者の意図や目的によって,両方の意味をさまざまに利用,混交されて用いられる。
吉岡(2016)は,日常的な語用において,両意味のこのような利用や混交がどの程度行われているのかを調べ,「学校」「教師」といった語を定義する場面で,情緒的意味に依りがちであることを示した。記述的意味が曖昧な語や情緒的意味が強い語の場合,日常的で無意識的な語の使用が,情緒的意味に依存したものとなり,それが記述的意味よりも大きな役割を果たしていることが―いわば,説得的定義やプログラム的定義としての語用が常態化していることが―見られた。そしてこれを「価値化傾向」と呼んだ。
ところで,「価値化傾向」は語の文脈や関連情報の想起によって左右されるだろうか。本研究では,簡易な情報を提示した上で語の意味を述べるように指示し,そこで語の意味にどのような変化が生じるかを調べた。
方 法
吉岡(2016)で価値化傾向が高かった「学校」「教師」の2語について,「いじめ」というごく簡単な文脈(関連情報)を示した上で,定義を簡略に書くよう求め,そこに見られる記述的意味,情緒的意味の頻度等に,どのような違いが生じるか調べた。
対象者:都内私立大学学生90名。
コード化:記述的意味,情緒的意味のいずれかが述べられている場合はその意味に2点を,両者が述べられている場合はそれぞれに1点を与えた。記述的意味の真(true),偽(false)は区別せず,いずれも記述的意味に数えた。
また,文脈(関連情報)についての言及がある場合を数えた。文脈への言及は記述的意味,情緒的意味と排反ではないため,同一の回答を,たとえば記述的意味と文脈(関連情報)の両方に数えるということがある。一方,文脈についての言及に終始し語の定義に及んでいない回答もあり,その場合は当然,語の意味への言及に数えなかった。
結 果
吉岡(2016)と同様,「学校」「教師」いずれの語も,語の定義で情緒的意味に関する言及が見られた。
「いじめ」という文脈(関連情報)語を提示するとこの傾向は顕著になった。「学校」「教師」を合わせた得点について,「いじめ」提示群と統制群間でt検定を行なったところ有意差が見られた(df=74, t<0.001)。すなわち,「いじめ」という語が示された上で「学校」「教師」の意味を問われると,語の情緒的意味への言及が増加した。つまり,語の「価値化傾向」はこの場合により高くなった。
また,当然,単に語義を尋ねた場合と異なり,いじめについての言及が見られた。
考 察
「いじめ」という語の提示によって,「教師」や「学校」という語の情緒的意味に注目する「価値化傾向」が強くなることが示された。この事実は,いじめなどの教育問題や道徳を論ずる際に,われわれが,議論の前提となる「学校」「教師」などの意味を,意識せずに情緒的意味を中心にしたものに変化させている可能性を示唆している。これに伴い,議論の筋道や結論も変化している可能性もありうる。これらについて今後さらに検討する必要がある。
もっとも,日本では,いじめへの対応は学校や教師の重要な職務とされているから,本研究が示したのは,情緒的意味への注目というよりも記述的意味の強調点の違いであるとも言いうる。しかし,そのような強調点の違いが意識しないうちに生じるとすれば,ここで指摘した議論の筋道や結論に対する影響は同様に生じているはずであり,やはり,今後検討する必要がある。
吉岡(2016)は,日常的な語用において,両意味のこのような利用や混交がどの程度行われているのかを調べ,「学校」「教師」といった語を定義する場面で,情緒的意味に依りがちであることを示した。記述的意味が曖昧な語や情緒的意味が強い語の場合,日常的で無意識的な語の使用が,情緒的意味に依存したものとなり,それが記述的意味よりも大きな役割を果たしていることが―いわば,説得的定義やプログラム的定義としての語用が常態化していることが―見られた。そしてこれを「価値化傾向」と呼んだ。
ところで,「価値化傾向」は語の文脈や関連情報の想起によって左右されるだろうか。本研究では,簡易な情報を提示した上で語の意味を述べるように指示し,そこで語の意味にどのような変化が生じるかを調べた。
方 法
吉岡(2016)で価値化傾向が高かった「学校」「教師」の2語について,「いじめ」というごく簡単な文脈(関連情報)を示した上で,定義を簡略に書くよう求め,そこに見られる記述的意味,情緒的意味の頻度等に,どのような違いが生じるか調べた。
対象者:都内私立大学学生90名。
コード化:記述的意味,情緒的意味のいずれかが述べられている場合はその意味に2点を,両者が述べられている場合はそれぞれに1点を与えた。記述的意味の真(true),偽(false)は区別せず,いずれも記述的意味に数えた。
また,文脈(関連情報)についての言及がある場合を数えた。文脈への言及は記述的意味,情緒的意味と排反ではないため,同一の回答を,たとえば記述的意味と文脈(関連情報)の両方に数えるということがある。一方,文脈についての言及に終始し語の定義に及んでいない回答もあり,その場合は当然,語の意味への言及に数えなかった。
結 果
吉岡(2016)と同様,「学校」「教師」いずれの語も,語の定義で情緒的意味に関する言及が見られた。
「いじめ」という文脈(関連情報)語を提示するとこの傾向は顕著になった。「学校」「教師」を合わせた得点について,「いじめ」提示群と統制群間でt検定を行なったところ有意差が見られた(df=74, t<0.001)。すなわち,「いじめ」という語が示された上で「学校」「教師」の意味を問われると,語の情緒的意味への言及が増加した。つまり,語の「価値化傾向」はこの場合により高くなった。
また,当然,単に語義を尋ねた場合と異なり,いじめについての言及が見られた。
考 察
「いじめ」という語の提示によって,「教師」や「学校」という語の情緒的意味に注目する「価値化傾向」が強くなることが示された。この事実は,いじめなどの教育問題や道徳を論ずる際に,われわれが,議論の前提となる「学校」「教師」などの意味を,意識せずに情緒的意味を中心にしたものに変化させている可能性を示唆している。これに伴い,議論の筋道や結論も変化している可能性もありうる。これらについて今後さらに検討する必要がある。
もっとも,日本では,いじめへの対応は学校や教師の重要な職務とされているから,本研究が示したのは,情緒的意味への注目というよりも記述的意味の強調点の違いであるとも言いうる。しかし,そのような強調点の違いが意識しないうちに生じるとすれば,ここで指摘した議論の筋道や結論に対する影響は同様に生じているはずであり,やはり,今後検討する必要がある。