4:00 PM - 6:30 PM
[ksympo03] 今,教育現場でLGBTの子どもたちは
Keywords:LGBT, セクシャルマイノリティ, 教育現場
企画の趣旨
昨今LGBTと盛んに言われ出し,脚光を集めるようになってきた。Lesbian, Gay, Bisexual, Transgenderの略で,性的少数者としてくくられる。日本では同性婚は法律で認められていないが,一部地域で認知されている。
しかし,上記はいずれも大人の話であり,これらが顕著に現れてくるのは思春期で,すでに幼児期や学童期に「他の(同性の)友だちとは違う」ことが本人に認識されている場合も多い。その結果,学校現場でいじめにあったり不登校になったり,また,教師も理解しないことが多く,さらに,自殺念慮が異常に高く自尊感情も低いと言われる。
学校教育のなかで,保健体育,家庭科など,性教育や家族形成といったように,外見上の男女を前提に話が進められているが,性別二元性から来る問題と,実際に子どもたちが抱える問題を知り,何が問題で,どのような取り組みが可能かを考えていきたい。
大学における「LGBT学生支援」
加藤悠二
大学における「LGBT学生支援」は,近年大きな動きを見せている。学長・総長による声明(京都精華大学(2016),国際基督教大学(2017))や,対応に関するガイドライン(筑波大学(2017),大阪府立大学(2017))など,LGBT学生への支援の意志や,差別の禁止を明文化する大学も出てきた。学生課が,在学中のLGBT学生と共同し,ダイバーシティ推進のための研究チームを設けるケース(京都精華大学(2016))や,ジェンダー・セクシュアリティに関するリソースセンターを設置するケース(早稲田大学(2017))など,既存の学生対応を拡充するケースも見受けられる。また,大学内の研究機関が,LGBT学生向けのガイドブックを発行する(国際基督教大学ジェンダー研究センター(以下「CGS」。2012,2016)),啓発イベント週間を実施する(関西学院大学人権問題研究所(2012〜),CGS(2012〜))など,実質的に学生支援を担っている例も存在している。専門性のあるカウンセラーを配備する大学(国際基督教大学(2013〜))や,全学構成員を対象とした実態調査を実施した大学(龍谷大学人権問題研究委員会(2016))もあり,当事者の声の聞き集め方にもさまざまな工夫が見られるようになってきた。このように複数の大学で,多様な部署・教職員が対応を推し進めようとする一方で,一橋大学法科大学院におけるアウティング事件(2015)とそれを巡った裁判が行われていること(2016〜)にも象徴されるように,大学における「LGBT学生支援」の質は,今後ますます問われることとなり,向上が望まれていく分野であることは明らかだろう。
今後の「LGBT学生支援」において根本的に必要なのは,ジェンダー・セクシュアリティに基づく差別がないキャンパス環境を創出し続けていくことだ。これは,「LGBT学生」という特定の弱者を救済する,というスタンスで成すことはできない。また,学生向けの支援にとどまらず,教職員のダイバーシティにも目を向け,教職員もカミングアウトしやすい環境・カミングアウトしなくても働きやすい環境を構築していくことが必要だ。「LGBT学生支援」の質は,「ジェンダー・セクシュアリティをめぐる人権課題として位置づけることができているかどうか」によって問われるべきだろう。
当日の発表では,2004年に設立されたCGSに,2004〜2008年は学部生・大学院生として,また,2010〜2016年には職員として関わってきた筆者の経験も,具体的に紹介する。
異性愛主義と性別二元論が生み出す差別
―排除の主体は誰なのか―
堀江有里
昨今,国連においてもSOGI(性的指向と性自認)をめぐる人権課題が取り沙汰されている。日本においてもLGBTという言葉が報道等でもみられるようになり,行政も人権施策のなかで言及するようになった。
このようななか,わたしたちの社会には,多様な性をもつ人びとが生きていることを認識することのできる機会は多くなった。たしかに,これまで不可視な存在であったものが可視化されることは良いことであろう。しかし,そこでとりこぼされている問題もあるのではないだろうか。
少なくとも,ふたつの問題が生じていることを指摘しておきたい。まず,一点目にはLGBTという言葉が人口に膾炙することによって,まるでひとつのまとまりであるかのように錯覚されていることである。とりわけ,性的指向による差別(レズビアン,ゲイ,バイセクシュアルに向けられるもの)と性自認をめぐる差別(トランスジェンダーに向けられるもの)が混同されるなかで,生じているのは,セクシュアル・マイノリティのうちでも,一部のカテゴリーにおける可視化であり,実際には,これまでに差別や排除を生み出してきたマジョリティの規範が問われていないことである。むしろ,可視化は,「市場」(マーケット)や「家族」をキーワードとして,資本主義社会におけるマジョリティの規範への同化を促進するものとして推移してきているのではないだろうか。この点について,批判的に検証する必要がある。
そして,二点目として,LGBTという言葉が可視化することに伴い,日本社会においても,トランスジェンダーをはじめ,性別違和をもったり,性別を移行して生きようとする人びとへの差別意識(トランスフォビア)や,同性間パートナーシップを育もうとする人びとへの差別意識(ホモフォビア)がより一層顕在化してきている状況にある。SNSなどインターネット上のツールのみならず,政治家をはじめとした公人も差別的な発言は後を絶たない。性の多様性は,表面的には受け入れられつつあるようにみえても,実際には,身近なところに存在する場合には嫌悪感や差別意識が強くなることも,調査結果として報告されている(性的マイノリティについての意識・全国調査,2015)。
本報告では,このような状況を踏まえ,これまでセクシュアル・マイノリティの相談業務に従事してきたなかでの事例や理論研究を行なってきた内容から,具体的な問題として,排除や差別を生み出すマジョリティの規範―異性愛主義と性別二元論―を批判的に検証する予定である。
SOGI/Eの多様性と学校教育
東 優子
1996年に埼玉医科大学倫理委員会が性別適合手術を正当な医療行為として承認して以降,性同一性障害(Gender Identity Disorder: GID)という疾患概念が広く社会に認知されるようになった。日本精神神経学会「性同一性障害に関する委員会」が全国の主要医療機関を対象に実施した調査によれば,2015年12月末までに性別違和(Gender Dysphoria)を主訴に受診したのは22,435例にのぼり,その中には小学校就学前の子どもたちも含まれている(針間他, 2017)。
文部科学省では,2010年と2015年に,全国都道府県の教育委員会などに対して「性同一性障害に係る児童生徒の心情等に十分配慮した対応」を要請する通知を発令し,とくに2度目の通知では「きめ細かな対応の実施に当たっての具体的な配慮事項等」を紹介しているほか,同性愛・両性愛という用語は使用していないものの,「悩みや不安を受け止める必要性は,性同一性障害に係る児童生徒だけでなく,いわゆる『性的マイノリティ』とされる児童生徒全般に共通するものである」と述べ,範囲を拡大している。翌年には,冊子『性同一性障害や性的指向・性自認に係る,児童生徒に対するきめ細かな対応等の実施について(教職員向け)』(2016)も刊行された。数年の間に,全国で開催される管理職や教職員を対象とした講演会・研修の数は急増し,教育現場での対応にも様々な変化がみられるようになったとはいえ,知識・認識は未だ十分ではない。さらには,「一定性」を求めることが常態化している教育現場(伊井, 2016)での,画一的な対応による新たな問題も指摘されている(康,2017)。
そもそも,こうした取り組みで繰り返し強調される「正しい知識・理解の促進」の「正しさ」とは何か。SOGI/E(性的指向,ジェンダー・アイデンティティ,ジェンダー表現の略語)の多様性について,「何がどうである」「何がどうであるかもしれない」「何がどうであるべきか」の区別も曖昧に,医学的言説に傾倒した知識・情報が流布されている現状には危うさが伴う。
「性」に限らず,ダイバーシティ&インクルージョンあるいは多様性との共存・共生は,現代社会における重要課題である。その実現には知識・情報だけでなく,不協和を解消する態度やシステムの変容と「合理的配慮」に対するコミットメントが求められる。
昨今LGBTと盛んに言われ出し,脚光を集めるようになってきた。Lesbian, Gay, Bisexual, Transgenderの略で,性的少数者としてくくられる。日本では同性婚は法律で認められていないが,一部地域で認知されている。
しかし,上記はいずれも大人の話であり,これらが顕著に現れてくるのは思春期で,すでに幼児期や学童期に「他の(同性の)友だちとは違う」ことが本人に認識されている場合も多い。その結果,学校現場でいじめにあったり不登校になったり,また,教師も理解しないことが多く,さらに,自殺念慮が異常に高く自尊感情も低いと言われる。
学校教育のなかで,保健体育,家庭科など,性教育や家族形成といったように,外見上の男女を前提に話が進められているが,性別二元性から来る問題と,実際に子どもたちが抱える問題を知り,何が問題で,どのような取り組みが可能かを考えていきたい。
大学における「LGBT学生支援」
加藤悠二
大学における「LGBT学生支援」は,近年大きな動きを見せている。学長・総長による声明(京都精華大学(2016),国際基督教大学(2017))や,対応に関するガイドライン(筑波大学(2017),大阪府立大学(2017))など,LGBT学生への支援の意志や,差別の禁止を明文化する大学も出てきた。学生課が,在学中のLGBT学生と共同し,ダイバーシティ推進のための研究チームを設けるケース(京都精華大学(2016))や,ジェンダー・セクシュアリティに関するリソースセンターを設置するケース(早稲田大学(2017))など,既存の学生対応を拡充するケースも見受けられる。また,大学内の研究機関が,LGBT学生向けのガイドブックを発行する(国際基督教大学ジェンダー研究センター(以下「CGS」。2012,2016)),啓発イベント週間を実施する(関西学院大学人権問題研究所(2012〜),CGS(2012〜))など,実質的に学生支援を担っている例も存在している。専門性のあるカウンセラーを配備する大学(国際基督教大学(2013〜))や,全学構成員を対象とした実態調査を実施した大学(龍谷大学人権問題研究委員会(2016))もあり,当事者の声の聞き集め方にもさまざまな工夫が見られるようになってきた。このように複数の大学で,多様な部署・教職員が対応を推し進めようとする一方で,一橋大学法科大学院におけるアウティング事件(2015)とそれを巡った裁判が行われていること(2016〜)にも象徴されるように,大学における「LGBT学生支援」の質は,今後ますます問われることとなり,向上が望まれていく分野であることは明らかだろう。
今後の「LGBT学生支援」において根本的に必要なのは,ジェンダー・セクシュアリティに基づく差別がないキャンパス環境を創出し続けていくことだ。これは,「LGBT学生」という特定の弱者を救済する,というスタンスで成すことはできない。また,学生向けの支援にとどまらず,教職員のダイバーシティにも目を向け,教職員もカミングアウトしやすい環境・カミングアウトしなくても働きやすい環境を構築していくことが必要だ。「LGBT学生支援」の質は,「ジェンダー・セクシュアリティをめぐる人権課題として位置づけることができているかどうか」によって問われるべきだろう。
当日の発表では,2004年に設立されたCGSに,2004〜2008年は学部生・大学院生として,また,2010〜2016年には職員として関わってきた筆者の経験も,具体的に紹介する。
異性愛主義と性別二元論が生み出す差別
―排除の主体は誰なのか―
堀江有里
昨今,国連においてもSOGI(性的指向と性自認)をめぐる人権課題が取り沙汰されている。日本においてもLGBTという言葉が報道等でもみられるようになり,行政も人権施策のなかで言及するようになった。
このようななか,わたしたちの社会には,多様な性をもつ人びとが生きていることを認識することのできる機会は多くなった。たしかに,これまで不可視な存在であったものが可視化されることは良いことであろう。しかし,そこでとりこぼされている問題もあるのではないだろうか。
少なくとも,ふたつの問題が生じていることを指摘しておきたい。まず,一点目にはLGBTという言葉が人口に膾炙することによって,まるでひとつのまとまりであるかのように錯覚されていることである。とりわけ,性的指向による差別(レズビアン,ゲイ,バイセクシュアルに向けられるもの)と性自認をめぐる差別(トランスジェンダーに向けられるもの)が混同されるなかで,生じているのは,セクシュアル・マイノリティのうちでも,一部のカテゴリーにおける可視化であり,実際には,これまでに差別や排除を生み出してきたマジョリティの規範が問われていないことである。むしろ,可視化は,「市場」(マーケット)や「家族」をキーワードとして,資本主義社会におけるマジョリティの規範への同化を促進するものとして推移してきているのではないだろうか。この点について,批判的に検証する必要がある。
そして,二点目として,LGBTという言葉が可視化することに伴い,日本社会においても,トランスジェンダーをはじめ,性別違和をもったり,性別を移行して生きようとする人びとへの差別意識(トランスフォビア)や,同性間パートナーシップを育もうとする人びとへの差別意識(ホモフォビア)がより一層顕在化してきている状況にある。SNSなどインターネット上のツールのみならず,政治家をはじめとした公人も差別的な発言は後を絶たない。性の多様性は,表面的には受け入れられつつあるようにみえても,実際には,身近なところに存在する場合には嫌悪感や差別意識が強くなることも,調査結果として報告されている(性的マイノリティについての意識・全国調査,2015)。
本報告では,このような状況を踏まえ,これまでセクシュアル・マイノリティの相談業務に従事してきたなかでの事例や理論研究を行なってきた内容から,具体的な問題として,排除や差別を生み出すマジョリティの規範―異性愛主義と性別二元論―を批判的に検証する予定である。
SOGI/Eの多様性と学校教育
東 優子
1996年に埼玉医科大学倫理委員会が性別適合手術を正当な医療行為として承認して以降,性同一性障害(Gender Identity Disorder: GID)という疾患概念が広く社会に認知されるようになった。日本精神神経学会「性同一性障害に関する委員会」が全国の主要医療機関を対象に実施した調査によれば,2015年12月末までに性別違和(Gender Dysphoria)を主訴に受診したのは22,435例にのぼり,その中には小学校就学前の子どもたちも含まれている(針間他, 2017)。
文部科学省では,2010年と2015年に,全国都道府県の教育委員会などに対して「性同一性障害に係る児童生徒の心情等に十分配慮した対応」を要請する通知を発令し,とくに2度目の通知では「きめ細かな対応の実施に当たっての具体的な配慮事項等」を紹介しているほか,同性愛・両性愛という用語は使用していないものの,「悩みや不安を受け止める必要性は,性同一性障害に係る児童生徒だけでなく,いわゆる『性的マイノリティ』とされる児童生徒全般に共通するものである」と述べ,範囲を拡大している。翌年には,冊子『性同一性障害や性的指向・性自認に係る,児童生徒に対するきめ細かな対応等の実施について(教職員向け)』(2016)も刊行された。数年の間に,全国で開催される管理職や教職員を対象とした講演会・研修の数は急増し,教育現場での対応にも様々な変化がみられるようになったとはいえ,知識・認識は未だ十分ではない。さらには,「一定性」を求めることが常態化している教育現場(伊井, 2016)での,画一的な対応による新たな問題も指摘されている(康,2017)。
そもそも,こうした取り組みで繰り返し強調される「正しい知識・理解の促進」の「正しさ」とは何か。SOGI/E(性的指向,ジェンダー・アイデンティティ,ジェンダー表現の略語)の多様性について,「何がどうである」「何がどうであるかもしれない」「何がどうであるべきか」の区別も曖昧に,医学的言説に傾倒した知識・情報が流布されている現状には危うさが伴う。
「性」に限らず,ダイバーシティ&インクルージョンあるいは多様性との共存・共生は,現代社会における重要課題である。その実現には知識・情報だけでなく,不協和を解消する態度やシステムの変容と「合理的配慮」に対するコミットメントが求められる。