[JD01] キャリア支援の目標やその研究における従属変数はいかにあるべきか
Keywords:進路指導, キャリア形成支援, 目標
企画趣旨
若松養亮
高校や大学,就職先の選択が重要であることは論を俟たない。そのために進路指導やキャリア形成支援に力が入れられてきた。しかしどのような選択が「良い」か,またそこに至る行動やそれを可能にする技能や心的特性はどのような状態にあることが「望ましい」かは,一義的に答が得られるようなものではない。特に職業の選択においては,偏差値が手がかりとなる進学先の選択とは異なり,個々人の価値観や将来設計が反映され,またそれが許容されているので,どのような職業をどのような理由で決めるかは,とりたてて指導の対象になってこなかった。
進路の意思決定過程を対象とした研究においては,自己効力感(浦上, 1993; 1994; 1995),選択行動の自律性(永作, 2005),キャリア成熟(坂柳, 1996),意思決定後の快適さ(Jones, 1989; 若松, 2001)などいくつもの従属変数が設定されてきたが,「その指標が高ければ高いほどいいか」と考えると,どれも限界が想定される。意思決定の理論として長い間良しとされてきた「合理的であること」でさえも揺らいでいる。それは昨今の変化の激しい社会をふまえて,positive uncertainty(Gelatt, 1989)やplanned happenstance theory(Krumboltz, 2004)などに表れている。
このような状況を踏まえると,指導や支援と呼ばれる活動でありながら,またその研究でありながら,目標値や従属変数には再吟味が必要であり,広く使われているものでも限界や留意点を明らかにしたうえで用いる必要がありそうである。
この自主シンポジウムでは,理論にも精通し,自己効力感を我が国のキャリア研究に導入した第一人者的な研究者である浦上氏にまず話題提供をお願いする。続いてキャリア・カウンセリングやキャリア形成支援という実践の場に造詣が深く,動機づけや自律性の観点からキャリア選択行動を研究してきた永作氏にも話題提供をお願いする。それらを通して,これまで経験や信念を主体として判断されてきた進路指導やキャリア形成支援の目標や,研究の継続性も重視して使われ続けてきた従属変数を今一度見直してみたい。
従属変数をとらえる立ち位置の問題
浦上昌則
企画趣旨にもあるように,私自身は自己効力感という概念を使って研究をしてきた。進路選択活動を活発化させる要因として,自己効力感という動機づけ概念を用いていたのである。
当時,しばしば素朴な疑問として尋ねられた質問に,「進路選択活動が活発化すればよい,というふうにお考えなのですか?」というものがあったことを覚えている。その際にどういうふうに答えていたのかというと,正確ではないが「そうです。考えたり,行動したりしないより,する方が望ましいと考えています」というようなものだったと思う。今考えると,この回答は質問者の意図を十分にくみ取っての回答ではなかったのだろう。研究についての質問なので,質問者は従属変数が進路選択活動であることは分かっていて,その上で質問しているはずである。つまりこれは,「従属変数が『進路選択活動』で本当に適切なの? 他にも(重要な変数が)あるのでは? そういう変数がある中で,あなたは何をどう考えて『進路選択活動』を選んだの?」という質問だったのだろうと推測する。つまり,質問者を満足させ得る回答は,当時の私の回答とは異なった内容のものだったのだろう。
しかし当時の私には,おそらくそのような期待される回答はできなかったと思う。なぜなら,それ以上は考えていなかったからである。言い訳のようになるが,当時,私は「動機−行動」という枠組みで現象を切り出していた。先行研究であるTaylor & Betz(1983)の研究にとらわれていたのかもしれないが,心理学の研究として考えた場合,このような因果関係の設定と,その枠組みの中で研究することが適切と考えていたのである。Taylor & Betzが進路不決断を問題視したように,私も「進路の選択に向けて行動しないこと(できないこと)」が解明すべき課題と考えており,「行動するか,しないか」「行動の頻度や程度」といった様相に関心が集中していた。
自己効力感が高いことは,進路を決めるための動きがとれない状況に陥りにくく,そのため決めやすくなるといえる。理論に即していうとそれだけのことであり,決して「良い」進路選択ができるようになるということを示唆するものではない。ここまで推論を広げることは,行動の予測因としての自己効力感という理論的関連から逸脱してしまう。学校から職場への移行期をとらえた探索的研究を行ったことがあるが,学生時代に自己効力感が高かったものは,就職後の仕事に対する意欲も高めであるが,ストレスも高い傾向にあることが確認できた(浦上,1994)。
従属変数問題は,換言すれば,キャリア教育や支援の目的や目標にかかる問題である。ポジティブ心理学の考え方が明らかにしてきたように,キャリア教育や支援の目標設定においても,改善すべき望ましくない点に注目することもできるし,より望ましいと考えられる方向に注目することもできるだろう。Taylor & Betz(1983)の着眼からすると,自己効力感の活用は望ましくない問題の克服にその源があるというべきだろう。そして私自身もその流れに乗ってきた。しかし,先に紹介した「進路選択活動が活発化すればよい,というふうにお考えなのですか?」という質問は,「より望ましい方向」というものを探しての質問ではなかっただろうか。当時はそこまで考えが至らなかったが,従属変数を考える立ち位置の違いを踏まえて回答すべきだったのかもしれない。
今回は,従属変数問題を検討する視点として,この立ち位置の問題を提起したい。従来は,望ましくない点への注目からの研究が多かったといえるだろう。それゆえ参考になる知見も多い。では,より望ましいと考えられる方向への注目からの研究は成立するだろうか。その際には,どのような従属変数を設定できるだろうか。その可能性について議論できればと考える。
自律的動機づけの醸成と行動遂行
永作 稔
キャリア発達の過程は,「選択」と「適応」の連続であるといわれている(Carole,1992)。このことから,これらの両観点から研究が進められる概念として動機づけの自律性(Deci & Ryan,2002)を中心に,これまで青年期のキャリア支援にかかる研究を行ってきた(eg.永作・新井,2006)。このことから,本話題提供では「キャリア選択における選択行動の望ましさ」という観点にキャリア移行後の「適応」という視座を加えて報告を行いたいと考えている。これは進路指導の6活動における「追指導」,キャリア教育の目標とされる子どもや若者の「社会的自立」,あるいは臨床心理学やカウンセリング心理学で重視される「エビデンスベースド・インターベンション」などの概念と視点を共有するものであると考えられる。
さて,動機づけの自律性には理論的にいくつかの段階があると考えられている。まずは動機が生じておらず自律性が最も低い無動機である。この段階では基本的に行動が生じない。そして典型的な外発的動機づけである外的調整(報酬や罰の回避,外からの指示を源泉とする動機),取り入れ的調整(不安や恥など不快情動の回避を源泉とする動機)である。これらは自律的動機づけではなく,統制的動機づけとして位置づけられている。統制的動機づけに基づくと行動自体は生起するものの,その持続には難があり,精神的健康の低さと関連する。つぎに自律的な外発的動機づけと説明される同一化的調整段階がある。これは「そうすることが○○のために大切だから」といった内在化された価値を源泉として生じる動機づけであり,ここから自律的動機づけの段階に入る。そして統合的調整,さらに典型的な内発的動機づけである内的調整段階までが自律性の高い動機づけであると言われている。自律的動機は行動遂行の持続性や精神的健康と関連することが示されてきている。
キャリア支援においては,支援対象が自らの現状に基づいて行動を起こすことが支援上の当面の目標となる。求職者が求人票を探すことや自己理解や職業理解を深めるために情報探索を行うことなどがその例である。行動を起こすという観点から考えると,統制的動機づけに基づく行動であっても,無動機よりは「まし」という考え方もできる。しかし,よりよいキャリア選択行動という観点で考えれば,今後のキャリアを見すえて自らの価値を吟味し,自分がどうありたいかという生きがいや幸せを求めて自律的に行動すること,つまり自律的動機づけで行動することがより望ましいのは言うまでもない。
しかし,このような利点がある一方で当然ながら理論上および実践上の限界や課題も存在する。まず支援対象が自律性を高め行動の価値や喜びを内在化していく過程,またそれを促すための理論的枠組みが弱い。Deciらの自己決定理論にその理論的枠組みがないわけではない。しかし,それを実践し促していくための介入研究の積み上げがまだ少ないのである。これには理論の哲学である「自ら動く」ということと「そうさせるための介入」との間に相容れないパラドックスがあるからだと推察される。また,自律的行動を促したとしても支援対象者が「何をすればいいかわからない」という場合にまず何を目標と「する/させる」べきかということにも課題が残る。さらに,自律的動機づけの醸成にはどうしても時間がかかるという点も実践上の大きな課題である。キャリア支援の実践には成長(内在化)を期待して待つという忍耐が必要である一方で,実践場面では「タイミング」や「期限」という現実的制約が存在する。つまり「待ったなし」という現実的制約に対して「自律を促す」という支援哲学が足かせになる場合があるのである。この二律背反構造をどのように打破していけばよいのか。この点が非常に大きな実践上の課題であり,今後,理論構築や実践上の工夫などを進めていきながら,さらに検討を重ねていくべき課題であると考えられる。
若松養亮
高校や大学,就職先の選択が重要であることは論を俟たない。そのために進路指導やキャリア形成支援に力が入れられてきた。しかしどのような選択が「良い」か,またそこに至る行動やそれを可能にする技能や心的特性はどのような状態にあることが「望ましい」かは,一義的に答が得られるようなものではない。特に職業の選択においては,偏差値が手がかりとなる進学先の選択とは異なり,個々人の価値観や将来設計が反映され,またそれが許容されているので,どのような職業をどのような理由で決めるかは,とりたてて指導の対象になってこなかった。
進路の意思決定過程を対象とした研究においては,自己効力感(浦上, 1993; 1994; 1995),選択行動の自律性(永作, 2005),キャリア成熟(坂柳, 1996),意思決定後の快適さ(Jones, 1989; 若松, 2001)などいくつもの従属変数が設定されてきたが,「その指標が高ければ高いほどいいか」と考えると,どれも限界が想定される。意思決定の理論として長い間良しとされてきた「合理的であること」でさえも揺らいでいる。それは昨今の変化の激しい社会をふまえて,positive uncertainty(Gelatt, 1989)やplanned happenstance theory(Krumboltz, 2004)などに表れている。
このような状況を踏まえると,指導や支援と呼ばれる活動でありながら,またその研究でありながら,目標値や従属変数には再吟味が必要であり,広く使われているものでも限界や留意点を明らかにしたうえで用いる必要がありそうである。
この自主シンポジウムでは,理論にも精通し,自己効力感を我が国のキャリア研究に導入した第一人者的な研究者である浦上氏にまず話題提供をお願いする。続いてキャリア・カウンセリングやキャリア形成支援という実践の場に造詣が深く,動機づけや自律性の観点からキャリア選択行動を研究してきた永作氏にも話題提供をお願いする。それらを通して,これまで経験や信念を主体として判断されてきた進路指導やキャリア形成支援の目標や,研究の継続性も重視して使われ続けてきた従属変数を今一度見直してみたい。
従属変数をとらえる立ち位置の問題
浦上昌則
企画趣旨にもあるように,私自身は自己効力感という概念を使って研究をしてきた。進路選択活動を活発化させる要因として,自己効力感という動機づけ概念を用いていたのである。
当時,しばしば素朴な疑問として尋ねられた質問に,「進路選択活動が活発化すればよい,というふうにお考えなのですか?」というものがあったことを覚えている。その際にどういうふうに答えていたのかというと,正確ではないが「そうです。考えたり,行動したりしないより,する方が望ましいと考えています」というようなものだったと思う。今考えると,この回答は質問者の意図を十分にくみ取っての回答ではなかったのだろう。研究についての質問なので,質問者は従属変数が進路選択活動であることは分かっていて,その上で質問しているはずである。つまりこれは,「従属変数が『進路選択活動』で本当に適切なの? 他にも(重要な変数が)あるのでは? そういう変数がある中で,あなたは何をどう考えて『進路選択活動』を選んだの?」という質問だったのだろうと推測する。つまり,質問者を満足させ得る回答は,当時の私の回答とは異なった内容のものだったのだろう。
しかし当時の私には,おそらくそのような期待される回答はできなかったと思う。なぜなら,それ以上は考えていなかったからである。言い訳のようになるが,当時,私は「動機−行動」という枠組みで現象を切り出していた。先行研究であるTaylor & Betz(1983)の研究にとらわれていたのかもしれないが,心理学の研究として考えた場合,このような因果関係の設定と,その枠組みの中で研究することが適切と考えていたのである。Taylor & Betzが進路不決断を問題視したように,私も「進路の選択に向けて行動しないこと(できないこと)」が解明すべき課題と考えており,「行動するか,しないか」「行動の頻度や程度」といった様相に関心が集中していた。
自己効力感が高いことは,進路を決めるための動きがとれない状況に陥りにくく,そのため決めやすくなるといえる。理論に即していうとそれだけのことであり,決して「良い」進路選択ができるようになるということを示唆するものではない。ここまで推論を広げることは,行動の予測因としての自己効力感という理論的関連から逸脱してしまう。学校から職場への移行期をとらえた探索的研究を行ったことがあるが,学生時代に自己効力感が高かったものは,就職後の仕事に対する意欲も高めであるが,ストレスも高い傾向にあることが確認できた(浦上,1994)。
従属変数問題は,換言すれば,キャリア教育や支援の目的や目標にかかる問題である。ポジティブ心理学の考え方が明らかにしてきたように,キャリア教育や支援の目標設定においても,改善すべき望ましくない点に注目することもできるし,より望ましいと考えられる方向に注目することもできるだろう。Taylor & Betz(1983)の着眼からすると,自己効力感の活用は望ましくない問題の克服にその源があるというべきだろう。そして私自身もその流れに乗ってきた。しかし,先に紹介した「進路選択活動が活発化すればよい,というふうにお考えなのですか?」という質問は,「より望ましい方向」というものを探しての質問ではなかっただろうか。当時はそこまで考えが至らなかったが,従属変数を考える立ち位置の違いを踏まえて回答すべきだったのかもしれない。
今回は,従属変数問題を検討する視点として,この立ち位置の問題を提起したい。従来は,望ましくない点への注目からの研究が多かったといえるだろう。それゆえ参考になる知見も多い。では,より望ましいと考えられる方向への注目からの研究は成立するだろうか。その際には,どのような従属変数を設定できるだろうか。その可能性について議論できればと考える。
自律的動機づけの醸成と行動遂行
永作 稔
キャリア発達の過程は,「選択」と「適応」の連続であるといわれている(Carole,1992)。このことから,これらの両観点から研究が進められる概念として動機づけの自律性(Deci & Ryan,2002)を中心に,これまで青年期のキャリア支援にかかる研究を行ってきた(eg.永作・新井,2006)。このことから,本話題提供では「キャリア選択における選択行動の望ましさ」という観点にキャリア移行後の「適応」という視座を加えて報告を行いたいと考えている。これは進路指導の6活動における「追指導」,キャリア教育の目標とされる子どもや若者の「社会的自立」,あるいは臨床心理学やカウンセリング心理学で重視される「エビデンスベースド・インターベンション」などの概念と視点を共有するものであると考えられる。
さて,動機づけの自律性には理論的にいくつかの段階があると考えられている。まずは動機が生じておらず自律性が最も低い無動機である。この段階では基本的に行動が生じない。そして典型的な外発的動機づけである外的調整(報酬や罰の回避,外からの指示を源泉とする動機),取り入れ的調整(不安や恥など不快情動の回避を源泉とする動機)である。これらは自律的動機づけではなく,統制的動機づけとして位置づけられている。統制的動機づけに基づくと行動自体は生起するものの,その持続には難があり,精神的健康の低さと関連する。つぎに自律的な外発的動機づけと説明される同一化的調整段階がある。これは「そうすることが○○のために大切だから」といった内在化された価値を源泉として生じる動機づけであり,ここから自律的動機づけの段階に入る。そして統合的調整,さらに典型的な内発的動機づけである内的調整段階までが自律性の高い動機づけであると言われている。自律的動機は行動遂行の持続性や精神的健康と関連することが示されてきている。
キャリア支援においては,支援対象が自らの現状に基づいて行動を起こすことが支援上の当面の目標となる。求職者が求人票を探すことや自己理解や職業理解を深めるために情報探索を行うことなどがその例である。行動を起こすという観点から考えると,統制的動機づけに基づく行動であっても,無動機よりは「まし」という考え方もできる。しかし,よりよいキャリア選択行動という観点で考えれば,今後のキャリアを見すえて自らの価値を吟味し,自分がどうありたいかという生きがいや幸せを求めて自律的に行動すること,つまり自律的動機づけで行動することがより望ましいのは言うまでもない。
しかし,このような利点がある一方で当然ながら理論上および実践上の限界や課題も存在する。まず支援対象が自律性を高め行動の価値や喜びを内在化していく過程,またそれを促すための理論的枠組みが弱い。Deciらの自己決定理論にその理論的枠組みがないわけではない。しかし,それを実践し促していくための介入研究の積み上げがまだ少ないのである。これには理論の哲学である「自ら動く」ということと「そうさせるための介入」との間に相容れないパラドックスがあるからだと推察される。また,自律的行動を促したとしても支援対象者が「何をすればいいかわからない」という場合にまず何を目標と「する/させる」べきかということにも課題が残る。さらに,自律的動機づけの醸成にはどうしても時間がかかるという点も実践上の大きな課題である。キャリア支援の実践には成長(内在化)を期待して待つという忍耐が必要である一方で,実践場面では「タイミング」や「期限」という現実的制約が存在する。つまり「待ったなし」という現実的制約に対して「自律を促す」という支援哲学が足かせになる場合があるのである。この二律背反構造をどのように打破していけばよいのか。この点が非常に大きな実践上の課題であり,今後,理論構築や実践上の工夫などを進めていきながら,さらに検討を重ねていくべき課題であると考えられる。