The 60th Annual Meeting of the Japanese Association of Educational Psychology

Presentation information

自主企画シンポジウム

[JF01] 自主企画シンポジウム 1
学習支援としての説明は本当に有効なのか(3)

子ども自身による説明活動の実態と課題

Sun. Sep 16, 2018 4:00 PM - 6:00 PM D201 (独立館 2階)

企画・司会:伊藤貴昭(明治大学)
企画・指定討論:山本博樹(立命館大学)
企画・司会:吉田甫(立命館大学)
話題提供:小野田亮介(山梨大学大学院)
話題提供:辻義人(公立はこだて未来大学)
話題提供:小田切歩
指定討論:藤江康彦(東京大学大学院)

[JF01] 学習支援としての説明は本当に有効なのか(3)

子ども自身による説明活動の実態と課題

伊藤貴昭1, 山本博樹2, 吉田甫3, 小野田亮介4, 辻義人5, 小田切歩6, 藤江康彦7 (1.明治大学, 2.立命館大学, 3.立命館大学, 4.山梨大学大学院, 5.公立はこだて未来大学, 6. , 7.東京大学大学院)

Keywords:説明, 学習支援

企画趣旨
 「主体的・対話的で深い学び」が導入されることにより,授業の中において子どもが説明活動の主役として位置づけられるようになっている。そこでなされる説明活動には,目的,内容および相手(聞き手)の違いにより,さまざまなものが含まれるが,説明が「説いて明らかにする」というものである限り,説き手が明らかにしようとしている事柄が,正しく受け手(聞き手)に伝わることが前提となる。そのため,一般に説き手は,受け手の立場に立ち,説明内容に対する理解状況を逐一把握しようと努めることになる。しかし,説き手にはその対象についての豊かな既有知識があるため,それが影響して「受け手」の理解を捏造してしまうこともある。そのため,説き手の考える「わかりやすい説明」が必ずしも受け手にとっても「わかりやすい」とはいえない事態も生じうる。
 では,どうすれば説明が受け手にとって「わかりやすい」ものになるのだろうか。なぜ,説き手は受け手の理解をねつ造してしまうのだろうか。説明活動が授業の中においても中心的な活動として認められるようになった今だからこそ,説明についてあらためて心理学的な観点からこうした問題について検討しておく必要があろう。
 過去のシンポジウムにおいても,説明を取り巻くさまざまな問題について取り上げてきた。2016年には「説明の無効性問題」に着目し,学習支援としての説明の背後にあるメカニズムについて検討した。そこでは,説明表現の特徴や,教師がする説明のクセ,支援としての説明が有効になるために必要なことについて議論された。
 2017年には,「子どもの教え合い」に焦点を当て,説明が「深い学び」のため真に有効になるために,児童生徒が果たすべき説明のあり方について検討した。その中で,教えあいを実施したときの実態や,聞き手の特徴にあわせた説明のありようや,態度や目標のありかたについての議論がなされた。
 以上のように,これまでさまざまな説明活動や説明状況を対象に説明にまつわる問題について議論を重ねてきた。しかし,それでもなお疑問として残るのは,「なぜこれほどまでに説明活動は難しいのか」という問題であろう。思えば,私たちは物心がついたころから,ある種の説明活動に従事しているのである。それにも関わらず,それが学習支援のための説明になったとたん,なぜか有効に機能しなくなることがある。この背景には,おそらく説き手の「説明」に対する考え方や姿勢の問題もあれば,受け手の問題なども関わっているだろう。あるいは,発達的に見たときに,子どもたちが関わる説明活動が,何らかの質的な変化なども影響しているかもしれない。
 本シンポジウムでは,過去のシンポジウムで議論されてきたことを土台としながらも,さらに説明について議論を深めていくことが目的である。特に,子ども自身による説明活動に焦点を当て,その実態や課題について議論することを通して,説明活動を支えているであろう根本的な問題について迫りたい。

聴き手意識と説明における情報省略との関連
小野田亮介
 一般的に,説明は「知っている人から知らない人へ」行われる。説明者は聴き手に必要な情報を選び取って伝える必要があるため,「聴き手に合わせて説明すること」は良い説明を行うための重要な目標となる。それでは,学校教育でしばしば行われる「知っている人から知っている人へ」の説明活動(e.g., 既習内容についての学習者間での相互説明)においても,「聴き手に合わせて説明すること」は良い説明を行うための効果的な目標となり得るのだろうか。
 筆者はこれまで,主に意見文産出における読み手意識に注目した研究を行い,読み手に合わせた意見文産出を求めると(a)学習者は「読み手が知っているはずの情報」を,たとえそれが伝えるべき情報であっても省略する傾向にあること,および(b)説明内容を知らない「未知の読み手」よりも,説明内容を知っている「既知の読み手」の方が説得が容易だと評価することを見出してきた(小野田,2014,発達心理学研究)。つまり,学習者は既知の読み手を「少ない情報で簡単に説得できる読み手」と判断する傾向にあったといえる。これは文章産出において得られた知見であるが,仮に同じ現象が既習内容についての説明活動で生起するとすれば,学習者は既知の聴き手を「少ない情報で簡単に説明できる聴き手」と判断し,本来伝えるべき情報を省略して説明を行う可能性がある。このことが,学習者間の説明活動を困難化させている原因の一つかもしれない。
 こうした問題意識のもと,筆者らは「本の魅力を伝える授業」を実施し,本の内容を知らない「未知の聴き手」と,本の内容を知っている「既知の聴き手」を想定する場合とで,本の説明に用いられる情報や,その提示方法がどのように異なるかを比較した。また,聴き手からのフィードバックの受け入れ方に聴き手意識の差異が影響しているかどうかについても検討を加えた。当日は,実際に行った授業と得られた結果について紹介し,聴き手意識と情報省略をキーワードとして「聴き手に合わせて説明すること」の意味について考えていきたい。

わかりやすい説明活動を支える認知機能としてのメタ認知能力
辻 義人
 子どもを対象とした説明活動に対する注目に際して,成人における説明活動に注目すると,辻・岸・中村(2003)は,説明活動の情報処理モデルの提案を行っている。辻らは,説明場面における情報処理モデルにおいて,わかりやすい説明活動の条件として,説明者(説き手)は学習者(情報の受け手)に対して,適切な説明活動を推測・構築する必要があることを指摘している。また,説き手は,自らの説明活動に対する受け手のフィードバックを得ることによって,より適切な説明プランの構築が可能となることが考えられる。また,その際に,説き手のメタ認知能力(崎濱, 2003)に注目すると,メタ認知能力高群は,説明課題によって説明プランニングを使い分けていることが示された。
 これまで,児童による説明文産出に関して,どのような検討がなされているのだろうか。岸・中村(1999)は,児童と成人の説明文章のわかりやすさ評定の検討を行っている。その結果より,児童(小学2,4,6年生)と成人の間で,わかりにくいと評価される説明文章は共通していることが示された。一方で,2年生の場合では,わかりにくいと評価した説明表現が用いられていることが示された。次に,中村・岸(1995)は,説明課題の既有知識量と説明文章のわかりやすさの検討を行った。その結果,既有知識が少ない場合,小学2年生と5年生の文章に差が見られない一方で,既有知識量が多い場合には,5年生の文章がわかりやすい結果が得られている。これらの研究結果は,説明文章のわかりやすさには,多様な要因が関連していることを示唆している。
 本報告では,これまでの子どもを対象とした説明活動研究に関連して,成人の説明活動に関係する能力である「読み手意識(Audience Awareness)尺度(辻・岸・本田, 2008)」に注目する。本尺度の提案と検証プロセスの紹介を通して,わかりやすい説明活動の条件をまとめるとともに,子どもを対象とした説明文指導に求められる要素について提言を行うことを目的とする。

算数授業での協同過程における児童の説明と数学的概念に関する理解の深まり
小田切 歩
 授業場面での協同過程においては,発言を通じた児童生徒の説明の精緻化が促されることが示されている(e.g., Linn & Hsi, 2000)。そして,そのような授業場面での協同過程における集団的な説明の精緻化のもとで,個人の説明の精緻化が促されることにより,発言を通じて説明に関わった発言者だけでなく,その説明を聞いていた非発言者の理解の深まりにもつながることを示す研究(e.g., 小田切, 2016)もある。しかしながら,日本の算数授業における児童による説明に関しては,児童が自分の考えについて説明する場面は多く見られるものの,その説明には,形骸的なやりとりや話型指導への偏り,手続きのみに関する説明,文脈を共有する相手にしか伝わらない表現等の問題点があり,児童による説明が必ずしも学習の促進につながっていないことが指摘されている(佐藤,2016)。
 そこで本発表では,小学2年の算数授業での協同過程における児童による説明が,数学的概念に関する理解の深まりに及ぼす効果を,実証的に検証した研究を紹介する。この授業は,課題の個別解決の後に,グループでの話し合いと全体交流という協同過程を設けたものである。発表では,児童自身による説明活動の実態として,まず発言を通じた集団的な説明の精緻化過程を,グループでの話し合いと全体交流におけるそれぞれの特徴を明確にしながら示す。そして,そのような集団的な説明の精緻化が,それぞれ個人の説明にどのように影響したのか,さらに,どのような個人の説明が数学的概念に関する理解の深まりにつながったのかを検討する。それらの結果をもとに,算数授業での協同過程における児童による説明に関する課題と授業改善の方向性について,数学的概念に関する個人の理解の深まりという観点から考察する。さらに,他教科において活かすことのできる知見についても議論を深めていきたい。